ぼくの自尊心を揺るがすきみ

 翼にとってこの容姿と身長は、昔からトラブルのもとだった。女の子みたいと言われるのはしょっちゅうで、そのたびに男だと主張しては驚かれる。そのせいで変な奴に絡まれることもしばしば、護身術を習ったほどだ。
 一番困るのは得意のサッカーに関することだった。デカい奴らと対等に渡り合うために、がむしゃらに突っ込んでいっては片手で押しのけられる。体力も技術もまだ身についていない小学校低学年の頃はバカみたいにそれしかできなくて、もどかしかった。
 しかし、学年が上がるごとにどちらも向上するとそこに頭脳という翼の武器が加わってできることが少しずつ増えた。小さくても十分に戦えることが誇らしく思えるほどには、翼はコンプレックスを気にしないようになっていった。
 翼が再び"身長"を気にする羽目になったのは、麻城中から飛葉中へ転校した中学二年のことである。
 その話はサッカーを通じて仲間になった同じクラスの直樹から聞いた。どうやら女で学年一デカい奴がいて、聞けば自分より15センチも上だという。翼は現在151センチと中学二年男子の平均よりかなり低いので、15センチ高いということはその女は二年にして166センチも持っていることになる。女で166というのは高いほうだし、それが二年生なら尚更だ。だが、翼とはクラスが異なるし、性別も違うので関わることはないだろうとこの時は安直に考えていた。

 転校してからサッカー部を創設して早二週間。平和に過ごしていた日々に突然終止符を打ったのは直樹の何気ない一言だった。昼休み後、翼は仲間の直樹と五助を連れだって理科室へ移動していた。二年の廊下を北校舎側へ進み、一階に下りていってさらに右側の廊下を進んだ先に目的の場所が位置している。
 階段に差し掛かったところで上の階から下りてくる女子のグループとすれ違ったときである。不意に直樹が「お!」と感嘆の声をあげた。

「もしかして、学年一デカい女子と学年一小柄な翼が並ぶとなんかおもろいんとちゃうか」

 悪気があって言ったことではないだろうが、面白がっているのは間違いなかった。お調子者というのはこれだから困る。適当なことを言って場を和ませる割に、あとになったらもう何を言ったのか覚えていない。しかもこの場合、和ませるどころか険悪なほうへまっしぐらだ。
 翼はもちろん彼女も心底迷惑だという表情で直樹を睨みつけた。

「全然おもろくないし、そういうの迷惑だし」

 直樹の言葉につられて微妙な関西弁を含んだ返しをした彼女は、聞いていた通り大きかった。すらりとした長身で、けれど健康的な骨格であることはスポーツをやってる者ならすぐにわかる。スカートの丈が短く感じるのはきっと足の長さのせいだろう。どこの部活に所属しているのかは知らないが、ショートカットの似合う典型的なスポーツ選手のそれだった。
 実際迷惑だと口にして不機嫌さをあらわにする彼女の顔は、それでも凛として気高い印象を与えた。どちらかといえば可愛いではなく綺麗で落ち着いた感じがする――という翼の評価を早々に裏切ったのは彼女のほうだった。

「女顔のおチビちゃんと一緒くたにしないでよね!」

 言いつつ、鋭い視線が今度は直樹ではなく翼に向けられた。噛みつかんばかりの勢いで迫ってきた相手は、しかし翼の横を通り過ぎて二年の教室があるほうに消えていった。
 落ち着いた感じがする? 冗談じゃない。前言撤回だ。


 こうして最悪の出会いを果たしたといってもいい例の女子とは、顔を合わせば何かと憎まれ口を叩き合うようになった。その原因である直樹はどこ吹く風で「でこぼこコンビ」などという不名誉な名前までつけてくる始末。それでも笑いながら彼女に突っかかる直樹の精神の強さは一体どこから来るのか不思議で仕方ない。
 彼女――は女バスのキャプテンを務めている、というのは運動部の総会で知ったことだ。相変わらずきりりとした顔をしているのだが、口を開けばまったく可愛げのない言葉ばかりを並べ立てる。
 "小さいのにサッカーやってるなんてすごいね"
 "見かけによらず結構動けるんだ"
 すごいとか動けるとか、一見褒めているように聞こえるそれらは余計な一言のせいで全然嬉しくない。そのどれもがこの小さい体を指摘するものだから癪に障る。
 学年一身長が高い女子と学年一身長が低い男子は、当然周りの目を引く材料として何でもかんでもセットにされるのでそれがまた苛立つ原因でもあった。彼女もまた同様に翼とセットで扱われることが不服らしく、事あるごとに嫌な顔をする。取り繕うことをしないのでいっそ清々しいほどだ。

 そんなふうにして翼が小柄であることを自覚せざるを得ない日々が続いていたある日。
 通常体育の授業は男女別だが、男子を担当する教員が休みだというので今日のみ一緒に行うのだという。そして飛葉中では二クラス合同なので、翼の所属する一組と二組が一緒に授業を受けることになる。というわけで、男子は本来外でソフトボールの予定が急遽女子とともに体育館でのバレーボールとなった。とはいえ、練習も試合も二面使って男女別で行うのだが。
 準備運動がおわるとペアにわかれて練習が始まった。バレーの基本となるアンダーとオーバーのパスを繰り返しながら、練習相手である直樹がふと体育館のもう半分側で同じことをしている女子のほうへ視線を向けた。

「やっぱうまいのう」

 翼がオーバーで返したボールが直樹の前で虚しくぽんっと音を立てた。ったく、余所見するなよ。呆れつつ翼も視線の先を追う。誰が、とは聞かなくてもわかる。だ。彼女はバスケだけでなくバレーボールも上手いらしい。もともと運動神経がいいのだろう、あの身長をいかして器用にスパイクを打つ姿が目に入った。パス練しているのかと思いきや、女子はスパイクを打ったりサーブを打ったり自由にやっていた。
 キュッと体育館シューズを鳴らしてジャンプする。しなやかに背中を反らした刹那、つがえた矢が放たれるように上半身が引き戻される。手のひらにしっかり当たったボールは、スピードはそれほどではなかったが見事ネットの向こうに飛んでいった。気持ちいいほどストレートに決まったそれに、彼女自身も「よしっ」と声をあげている。
 バスケ部員のくせに、バレーのスパイクフォームが綺麗とか嫌味な奴。
 思わずついてしまった悪態は、嫉妬心からだ。自分にないものを持っているということが妬ましく、同時にひどく羨ましかった。女と比べてどうかなんて翼らしくもない。
 笛の音で我に返った翼は、集合の声に教師のもとへ歩いていく。いよいよ数チームにわかれて試合をやるらしいが、何せ片面は女子が使っているので実質ひと試合しかできない。試合する二チームと審判をするチーム以外は見学という形になる。
 結果、翼は二試合目が出番になり、最初は座って見学することになった。体育館とはいえ、片面しか使えない上に、二クラスが集まっているとなれば見学スペースもさほどない。女子のほうに背中を向ける状態で床に座り込んだ翼は胡坐になって肘をついた。
 サッカーに限らず基本的に動くのが好きな翼は、見ているだけというのは苦痛に感じる体質である。いくぞーというユルいかけ声で始まった一試合目は、バレー部員が片方に一人いるだけであとは素人だからか、ギリギリ繋いでいるといった感じだった。
 あまり面白くないものの、だからといってやることもないので珍しくぼうっとその試合をみていた。それが理由というわけではないだろうが、後ろから向かってくるボールに翼は気づかなかった。
 後ろがやけに騒がしいなと思ったのも束の間――
 ズドン!
 衝撃音とともに翼を襲ったのは頭に何かが直撃したということだけであった。突然のことに身体が耐えきれなかったのか、そのまま床に伏せる。かろうじて見えたのは緑と赤と白のラインが入ったバレーボールで、ああこれが当たったのかと他人事のように思ったのを最後に、翼は意識を手放した。


*


 つんとした独特の匂いでここが保健室であることをすぐに悟った。ゆっくり目を開けるとやはり体育館の天井ではなく、自分は意識を失ってここに連れてこられたのだと思考はすぐに回り始めた。
 起き上がろうとしてしかし、「まだ寝てなよ」という声が翼を驚かせる。視線を横にずらせば、なぜかがベッドの脇の椅子に座ってこちらを見ていた。

「なんで……」
「第一声がそれって、まあいいや。気づいてなかっただろうけど、椎名くんは私のスパイクに直撃したの」
「は」
「コースがずれてさ、ちょうどその先に椎名くんの頭があったというかなんというか」随分と歯切れが悪い言い方で、威勢のいい普段の彼女らしくないもじもじした仕草をしている。何だ急に、しおらしくて鳥肌が立つ。「だから!」勢いに任せて顔を上げた彼女の頬はほんのり赤く染まっていた。ふうん、そんな顔もするんだ。

「ごめんなさい」
「あー別に、いいよ。あんな狭いコートを二クラスで使ってたんだし」
「悪いとは思うけど……でも椎名くん。女子の素人スパイクで倒れちゃうのはやっぱり脆すぎない? もう少し鍛えたほうがいいんじゃないの」

 ピキ。翼のこめかみに青筋が立つ。さっきまでのしおらしい態度から一変、いつも通りのが翼を見下ろしていた。

「余計なお世話だ! これでも俺はサッカー部のキャプテンで対戦成績も悪くない。頭脳で勝負してるからね。そっちこそデカいばっかりで力を加減するとかできないわけ? これだからおつむが弱い奴は困る」
「なっ、なにそれ! 心配してここにいたのに! そんな減らず口を叩けるならもう大丈夫みたいだね」
「別にここにいろって頼んだ覚えはない」
「あーそうですか!」

 激しい音を立てて保健室を出ていく女子にしては大きい、でも細い背中を見つめながら長いため息をこぼす。彼女とはまだ仲良くなれそうにない。