FIELD OF DREAMS

 スポーツアナリストという言葉を聞いた高校三年の夏。あれから調べてみて、確かに自分に合っているかもしれないなと直感的に思った由仁は進路調査票に都外の私立大学の名を書いて提出した。
 スポーツマネジメント学部。主にスポーツのデータ解析やコーチング理論など、アナリストを目指す人間が必要な知識を身につけるために設置された学部である。知識はまるでゼロだが、ここから自分ができることを見つけて将来に繋げられたらいいと思う。
 そんな漠然とした思いで志望したS大学だったが、なんと学校推薦を得られた上にそのままとんとん拍子で書類選考や小論文をパスし、最後の面接で合格をもらったのだ。その話を聞いた友人はとてつもなく驚いていたのを覚えている。つい数か月前まで興味のない「経済学部」と書いていた人間が、スポーツマネジメントという聞きなれない学部に合格したというのだから無理もない。由仁も同じ気持ちだ。
 こうして無事S大学に入学した由仁は、四年間かけてスポーツを科学的な視点で学んだ。たとえば、スポーツデータ解析。サッカーでいえば、シュート数・ゴールキック数・コーナーキック数・オフサイド数などの基本的なプレー回数だけでなく、パス・ドリブル・クリア・クロスといったもっと細かいプレーを対象にその回数や成功・失敗を記録し蓄積する。
 そうしたデータからパスの成功率、ボール支配率などを割り出すことができ、ひいては「ある選手がパスを出すとき、どの方向に出すことが多いのか」といった複雑なシチュエーションを抽出することができるようになるのだ。
 ボランティアや実際の試合からデータ化するといった体験型の授業を通して由仁はめきめきと知識と情報収集力、分析力を身につけていった。
 そして今年の春、留年することなく卒業した由仁はスポーツデータを起点に事業展開する企業へ就職することに成功した。

「へえ、やるじゃん」

 都内の洒落たイタリアンレストランの一角。由仁は腐れ縁ともいうべき、同級生の椎名翼とテーブルを囲んでいた。ワインを飲む姿は、さすが海外生活をして四年も経つだけあって様になっている。腹立たしいくらいに。
 突然スマホに椎名からのメッセージが届いたのは一週間前のことだった。久しぶりに日本に帰るから会わないかということだったが、高校卒業してから一度も連絡をとってこなかった人間と今更なにを話せばいいのか迷いつつ、無視することもできなかったのでひとまず「了解」と返事をしたわけである。
 待ち合わせをしてわからなかったらどうしようと悩んだりもしたのに、来てみればなんてことない。すぐに椎名とわかる姿になぜか安心した由仁は、不躾に「よし、まだ私より小さいな」と一発かましたのだった。

「相変わらず上から目線なのが癪だけど、そっちはご活躍されてるみたいで」
「アンダーエイジのこと? まあ実力ある奴は高校卒業したらJリーグからスカウトされるし、そこで活躍できれば代表にも選ばれるさ」
「椎名は海外だけどね」
「海外だって収集かけられたら来るんだよ、国籍はこっちなんだから」
「ふうん」

 椎名が代表に選ばれていることは由仁の耳にも届いている。なぜならスポーツデータ解析の中でも、とりわけ由仁が扱っているのはサッカーに関する分析だからだ。否が応でも現役選手の情報は入ってくるし、実際の試合を使って日々勉強する由仁にとって彼らのプレーは良き材料なのである。
 サッカーを選択したのは別に椎名を意識したというわけではないが、かといってまったく嘘でもなかったりする。
 あの日――夏休みに見た椎名の試合が頭から離れなかったのは事実だ。視覚から入ってくる情報で、相手の動きにパターンがあるとか、特定方向へのパスが失敗しがちなこととか。そうした分析が好きであることに気づかせてくれたのが椎名翼本人なのだ。

「で?」
「……なにが」

 グラスを置いた椎名が、今からが本題とでもいうような口調で由仁に何かを訴えてきた。
 サッカー選手のオフというものを知らないが、カジュアルなのにレストランの雰囲気を壊していない服装を選んでくるあたり、椎名のこなれた感が伝わってきて実に不愉快だった。だから、ついこうしてトゲのある話し方になってしまう。いつまで経ってもあの頃と変わらない。

「だから、試合に協力してくれるのはいつだって言ってんの」

 全部お見通しってわけか。どこでとか、誰にとか。聞かなくても、椎名の周りには同じようにプロとして前線を走る仲間がごろごろいるのだ。情報というものは人から人へ伝わっていく。共通の知り合いがいるなら尚更である。

「黒川の奴、喋ったな」
「マサキを怒るなよ。あいつは教えてくれただけなんだって」
「あんたもねえ、人を使って私の情報得るのやめなよ。私に直接聞いてくれる?」
「悪かったよ。マサキたちのほうが連絡する機会が多いからさ」

 と、悪びれた様子もなく平然としているのできっとこの先も同じようなことが起きるに違いない。今更そんなことで椎名との関係が崩れることはないが、こっちに連絡を寄こしてもいいのではないかと抗議したかった。
 そもそも由仁が代表戦の試合の解析を依頼されたからなんだというのだろう。いまいち要領を得ない会話な気がして居心地の悪さを覚えた由仁は、それを知ってどうするのか素直に問うてみた。

「どうするって。別に意味なんかないよ」
「はあ?」

 椎名のあっけらかんとした表情に思わず大きな声を出してしまった。意味なんかないとはどういうことだ。意味ないなら聞く必要ある? と、問いただしたい気持ちに駆られてテーブル越しに前のめりになった。しかし、当の本人はなぜそんなに怒っているのか訳が分からないという顔である。

「同期の活躍は普通嬉しいもんだろ? それも俺ら現役が出る試合なら尚更」
「……」
「わからないなら言うけど、おめでとうって言ってんの」

 ったく、そんくらいわかれよ。ちょっとは成長したかと思ったのに頭は弱いままか。
 ぽかんと間抜けな顔をさらす由仁をよそに、ぶちぶち小言を呟く小姑みたいな椎名はあくまで察しろと上から目線だった。おめでとうって、そんなの……。
 つまり、椎名は最初から由仁が何を勉強してどういう道に進んで、その結果自分と同じフィールドに立つと疑わず、こうして祝うときが来るのを待ち構えてたってこと? いやいやいや、訳が分からない。確かに椎名に勧められた道ではあるけど、本当にそうなるかなんてわからないだろう。自分でも驚いているくらいなのに。
 それ以前に祝われていることを察するほうが無理だ。この男、私を何だと思っているのだ。私はエスパーじゃない。わかるわけない。

「……いや、わかんないでしょ!」

 心の鬱憤を晴らすがごとく、盛大に相手に向かって叫んでやった。