Holly Jolly

 別に彼女と過ごせるなら何でもよかったのだが、あいにく今日はクリスマスである。カップルや家族連れが行きそうな場所はどこも人で溢れているだろう。であれば、翼が趣味としている映画に誘ってともに時間を過ごすのも悪くない。
 あのあと連絡を取ったら、彼女も映画鑑賞は好きだという。日曜日かつクリスマスということもあって混みあっていることは想定内だが、ナイトショーであれば子どもはいないし多少落ち着いて鑑賞できるはずだ。店を閉めると同時に来ることを伝えて翼は柄にもなくそわそわした気持ちで眠りについた。
 迎えたクリスマス当日。日曜日ということもあって、予想通り都内は人の往来が激しかった。電車の中も都心の駅に近づくにつれて人が増えていく。翼は浮足立つ空気の波にのまれながら、彼女のカフェ<ビブリオ>の最寄り駅へ降り立つ。大学の最寄り駅でもあるここは、やはり学生が多い印象を受けるが小さな店が立ち並ぶ大通りがあるせいか一般人も比較的いる。
 駅へ向かっていく人々とは反対に翼は大通りに出て大学方面へ歩いていく。街路樹に施されたイルミネーションはまだ点灯していない。十二月ともなると四時半には暗くなっているが、さすがに三時前では早すぎる。
 一本道を進んでいき、<ビブリオ>の看板が見えた。クリスマス当日に来る客も珍しいだろうが、人それぞれ都合というものがあるし、それは翼の知るところではない。
 堂々とカウベルを鳴らして店の扉をくぐった翼は、「いらっしゃいま、」中途半端な接客言葉を使って顔をこわばらせたカフェの店長に「どうも」と笑顔で返した。

「それが接客する態度か?」
「翼さんはお客様なんですか?」
「……ふうん。言うようになったね」

 カウンター席の一番奥に座ってホットコーヒーを注文する。くるりと振り返って店内を見渡すと、疎らだったがテーブル席に二組、カウンターに一人と一応客はいる。ただ、あと三十分もしないうちに閉まるので帰り支度をしているようにも見えた。
 二分と経たないうちに目の前に置かれたコーヒーに口をつける。自宅からここまで一時間弱。十二月も半ばを過ぎて寒さはいよいよ厳しさを増している。かじかんだ指先がカップの熱によってほぐされていく。ほうっと息をついて一口すすった。彼女の淹れるコーヒーは悔しいが美味い。口には一切出さないけれど。
 翼がコーヒーを飲んでいる間に、テーブル席の二組が会計を済ませて出ていった。ラストオーダーはすでに過ぎているだけにこれから入店する客はいないから、彼女も閉店作業を始めている。それに倣うように翼はさっとコーヒーを飲みきって作業の手伝いをする。彼女もまた翼が手伝うことに抗議せず受け入れているので、勝手知ったる手つきで進めていく。
 やがて三時を回り最後の客が出ていくのを見送った彼女は、掃除をテキパキ済ませるとあっという間に店内は閉められる状態になった。店を始めて一年と経たないのに、元からの気質なのか彼女はなかなか器用である。

「準備できましたよ」

 カウンターの奥の部屋で着替えを済ませてきた彼女が少しだけ照れくさそうにそう言って翼を見やる。そういえば店番をする彼女しか知らなかったが、今日はやけにめかしこんでいるように見えた。化粧も直してきたようで、先ほど見たときより目元がぱっちりしているし、唇もピンクに近い赤が塗られていた。少なくとも、自分と出かけることに対してデート≠ニいう意識はあるらしい。

「女ってのはすごいな」
「……どういう意味ですか」
「褒めてるんだよ。似合ってる」
「っ……そ、そういう不意打ちはやめてください!」

 褒められることに慣れてないのか、恥ずかしさを隠すように店を出ていこうとする。鍵を閉めるのはそっちの作業だというのに――と、翼が思うのと同時に彼女も気づいたらしく、出てしばらくしたら戻ってきた。それが面白おかしくて吹き出したのは言うまでもない。


*


 電車に乗ってターミナル駅まで揺られること十数分。多くの路線が乗り合わせる駅なだけあって行き交う人々の数は先ほどの比ではない。何度も言うが、加えてクリスマスなのだから当たり前だった。
 翼たちは駅から直結する最近できたばかりの複合商業施設に入っていく。専用の改札口があるらしく、そのまま施設の中へ続いていることも多くの利用客がいる理由の一つだろう。利便性が良い複合施設は地元の人間以外の集客数を稼げる。
 レストラン街よりさらに上に映画館が併設されているため、エレベーターで最上階より一つ下の十一階で降りた翼たちは、上映一覧の画面が並んだ場所まで移動した。時間帯としては中途半端だが、これからナイトショーなどのチケットを購入する人も多いのか混みあっている。

「映画ってなにを観るんですか?」
「特に考えてなかったけど……なに、何か観たいものでもあるの?」

 画面をじっと見つめていた彼女が、もの言いたげな視線を投げかけてきた。心なしかそわそわしているようにも見える。

「いや、観たいというかちょっと気になるなあ程度なんです」
「聞いてやるから言ってみなよ」瞬間、彼女の顔が綻ぶ。
「えーっと確か、先週公開したミッドナイト――」
「却下」
「え、なんで!? まだ最後まで言ってないです!」
「クリスマスになんでこてこてのスプラッター映画を観なきゃならないんだよ。どうせあれだろ? 出演してる俳優に好きなのがいるとか」

「え、どうして知ってるんですか! かっこいいですよね、主演のロバート・デル・モンド。渋くてイケおじ代表格ですよ」
「……」

 別に共感して言ったわけではないのだが、どうやら彼女には嫌味が通用しなかったようだ。
 彼女が言いかけたタイトルはこの時期にふさわしくないほど血みどろ系のそれだった。何が悲しくて気になる女とそんな映画を観なければならないのか。正直ジャンルだけで言えば嫌いではないが、今日この日に観るべきものではないだろう。

「尚更却下。せめてアクションにしてくれる?」
「えーこれってあれですよね。高層ビルでドンパチするやつ……肝を冷やすじゃないですか」
「スプラッター映画のほうが肝を冷やすに決まってるだろ。考えたらわかる」
「わかりません!」

 最近翼の言うことに物怖じしなくなったせいか、平気で言い返してくるようになった。それは彼女が前ほどこちらに対して距離を感じていない証拠であり、喋りやすくていいのだが、喧嘩っぽくなってしまうのはいただけない。
 お互い譲らない攻防戦が続き、仕方なくこちらが折れようと深い吐息をついたとき「なんやうるさいカップルがおると思えば、姫さんたちか」聞き覚えのある関西弁が鼓膜を撫でた。振り返りたくないが、無視するわけにもいかず仕方なく声のするほうに顔を向ける。

「翼さん、お久しぶりです」
「……将と、水野まで。お前らなんでこんなとこにいるんだよ」
「このあとみんなで集まる予定があるんだよ。そっちは……デートか?」
「見ればわかるでしょ」
「まさか付きおうとるん?」
「ちがっ、ちがいます!」

 藤村の問いに彼女が勢いよく否定した。そんな顔真っ赤にして言うと余計にあやしまれるというのにバカ。まあそのうち付き合うつもりでいる翼にとっては勘違いされても構わないのだが。
 翼は不敵に笑うと、「そう見える?」と楽しそうに返した。

「ちょっと、どういうつもりですかっ! 私たちそんな関係じゃ――」
「いいんだよ、こういうのは適当に流しておけば。お前みたいにまともに取り合ったらからかわれるだけだ」
「……そういうもんですかね」

 納得したようなしてないような微妙な顔で口元に手をあてた彼女が「うーん」と唸る。変なところで真面目だと思うが、面白いのでそのままにしておく。
 彼女がそうしている間に、翼は向き直って水野たちのほうに近寄った。

「そんなことより、早く別の場所に移動してくれない? こっちはやっと二人きりになる理由をこじつけたんだから」
「別に邪魔したりせんって」
「そういう問題じゃないんだけど。待ち合わせまで時間あるなら別に映画じゃなくたっていいだろ」
「……椎名。男三人でクリスマスの街中を歩いてみろ、かなり浮くぞ」

 水野の言い分はもっともかもしれないが、そもそもクリスマスの過ごし方など人それぞれなのだから気にしたほうが負けなのではないか。と、言い返したくなってやめた。翼が逆の立場であれば同じことを思っただろう。どのみち映画は劇場の中に入ってしまえば関係ない。だったらぐちぐち言わずにこの場だけやり過ごせばいい。
 とりあえずこちらは彼女が観たがっていた例の映画のチケットを取るつもりで「そろそろ行くぞ」と声をかけた。振り返った彼女は、しかし何か名案が思いついたみたいな顔をして翼を見ていた。嫌な予感がする。

「翼さん。せっかくなので皆さんで観るってのはどうでしょう!? それでこのファミリー映画なんかいいと思うんです。全米が泣いたって書いてあるし」
「……」

 翼だけでなく、水野も藤村も将も全員が口をあんぐりさせて彼女を見つめていた。そして四人で盛大なため息を吐いた。

「なんや先は長そうやなあ」
「椎名。お前、苦労してるんだな」
「応援してます、翼さん!」
「……」

 別に応援される筋合いはないが、それでも彼らには空気を読むくらいの気遣いはできる。だというのに当の彼女がこれでは本当に先が思いやられる。というか、ここに来るまでデートという自覚があったはずなのにいつどこで落としてきたのだろう。
 興が削がれてクリスマス気分から親戚の集まりのような感覚に陥った翼は、もう一つ彼女の発言で気になった部分を指摘する。

「ちなみに全米が泣いたっていうのは八割がた信用できないから!」

 もうこうなったら何でもいい。彼女が落ちるまでとことん向き合うつもりだ。