秘密のエフェメラ

 凛とした強さと同時に、どこかへ消えていきそうな人だった。普段は無愛想に振る舞っているくせに、時折見せる笑った顔はまるで子どものようで。加えてすぐに散ってしまう儚さを持ち合わせている。繋ぎとめたいと強く願っても柳のようにかわされて、けれど突然向こうから現れる気まぐれで掴みどころがない人。彼女という人間は、そんな空に浮く雲のように遠く、それでいて心を掴んで離さないとても狡い人だった。
 びゅうっと、激しい風がサボの横を通り過ぎていく。その衝撃で前髪が目にかかる。閉じた目を開けて便箋を空へかざし、ここにいない彼女に思いを馳せる。
 今、どこで何をしているのだろう。
 泣いていないだろうか。きちんと笑っているだろうか。
 どうか彼女が自分を責めることなく、自由に生きていてくれたらとサボは願わずにはいられなかった。
 ふたたび視線を便箋に戻して、うつくしい文面を眺める。職業柄、自分もよく筆を執ると言っていた彼女の字は、その生真面目な性格に反してとてもしなやかだった。何度も何度も声をかけてようやく縮まった距離は、しかしこちらへ引き寄せるにはまだ遠くて掴めそうだと思った瞬間、離れていく。
 あの日だって、彼女は泣きながらサボから距離を取った。
 なのに――
「どうしてこんなもの残していったんだ……」
 こぼした言葉の虚しさに、サボはやるせなくなる。直接的な言葉は苦手なのか、あえてこんな書き方をしてくるとは逆に焼きついてしまって離れないし、質が悪い。革命軍の真似をしたかったのかもしれないが、離れていくならこんなことをするべきではなかった。
 ――それとも、おれに見つけてほしいのか?
 サボは白煙の先に広がる紺碧の空を見上げながら、手紙の差出人に向けて語りかけた。


***


「なァ、おれ達と一緒に来いよ。おれのために働いてくれ」
 革命軍の本部バルティゴ。談話室のソファに腰かけた参謀総長のサボが目の前の少女に懇願した。
 その言葉に目を丸くさせた少女は袈裟懸けにした茶色の鞄に手を入れた状態でいっとき固まると、すぐに眉間にしわを作った。白シャツに赤のネクタイをつけて、深い緑色のマントを羽織った姿はいかにもそれらしい格好であり、少女の職をそのまま表している。
「ちょっと! その言い方は誤解をまねくからやめて」
 少女は乱暴に鞄から一通の紙を取り出してサボに手渡す。彼は悪びれることなく「冗談だ」と言ってなかったことにしようとしたが、来るたびに似たような発言をされる少女の心臓はどきりと跳ね上がる。どこまで本気なのかわからないからこそ、簡単に信じてはいけないと自分に戒めるように言い聞かせて、少女は深い溜息で誤魔化した。
 少女が仕事で革命軍と関わるようになったのは、今から二年前のことだ。とある国で配達を終え、寄り道していたときのこと。運悪く海賊に絡まれて襲われたところを、偶然任務で居合わせたサボ達に助けてもらったことから縁ができた。
 少女はこの世界でも珍しいフリーの郵便屋である。珍しいという言葉は、竜使い――ドラゴンテイマーであることを意味し、この世界におけるドラゴンテイマーは数少ないゆえに希少価値が高い。
 政府が利用する伝書バットやニュース・クーなどの民間企業が主流である郵便において、少女は竜を移動手段に使って郵便物を届ける。長距離移動が可能なことに加えて、安全性が高いことと届くまでの速さがどの郵便業よりも優れている点が一目置かれる理由だ。
 フリーであるゆえに、客層は政府から海軍、海賊までと相手を選ばない。一般人の依頼もごくたまにあるが、利用料が高いので滅多にこないのが現状である。
 少女の存在を知ってからというもの、革命軍はたびたびこうして仲間からの連絡を形に残る手紙として利用していた。電伝虫による通信は盗聴の可能性もあるし、データを盗まれる場合もある。それに引き換え、原始的なやり方は運ぶ側が不慮の事故や裏切らない限り確実に届けることができる。信頼関係の上に成り立つ職業だ。
 今日届けに来た郵便物はサボが抱える案件の一つ。半年前から仲間を送り込み調査させている中の定期報告だが、漏洩を恐れて竜での配達を依頼されていた。
「けど、お前のことを信頼してるのは本当だ。いつもありがとう」
「べつに、そんなこと……私の仕事だから」
「それでも、だ。感謝してる」
 サボの大きい手が伸びてきたので、少女は躊躇いつつも渋々屈んで彼の手が届くところに頭を差し出した。するりと撫でていく感覚にやっぱり心臓がトクンと音を立てる。
 このやり取りももう何度目になるだろう。サボは少女の頭を撫でるのが好きだった。最初こそ逃げていたのだが、あまりにも彼が強引でしつこいので少女のほうが諦めたのだ。撫でたあとはいつも満足そうに笑って、次もよろしく頼むと決まって言う。
 彼は知らない。撫でられるたび、少女の心がじんわり温かく灯っていくのを。そこにどんな意味が込められているかなんて考えたくなくてただ身を任せる。そうすれば束の間の幸せを噛みしめられるから。




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