たしかに恋をしていた


※こちらは推敲前のものですので、大いに変更が入る可能性があります。

第四弾:一章より、パーティーを抜け出すサボくんと夢主

「すげェよな、二人乗りの手すりがついたブランコなんておれ初めて見た」
 目を輝かせたサボがブランコの右側に飛び乗る。その反動でブランコが少し揺れたが構わず彼ははしゃいでフレイヤにも乗るよう促した。
 少しドキドキしながら彼の隣に並んで腰かけてみる。ふわっとブランコが前後に揺れた瞬間、「へへっ、やっぱり二人で乗るほうがいいな」サボが地面を蹴って少し大きめにブランコを動かした。公園の遊具のようにはいかないものの、子どもが楽しむ分には十分な前後運動だった。
 フレイヤは足を浮かせてゆらゆら揺れ動くブランコの動きを楽しむ。実を言うと、フレイヤはブランコという遊具は知っているが、乗るのは初めてだった。なぜなら高町の公園には景観の関係で遊具が一切置かれていないからだ。本の中でその存在を知っているだけで実物を見たのも乗ったのも、今が初めてだった。
「風が気持ちいいね」
「だろ。フレイヤが来る前に一人で乗ってみたら結構面白くて、絶対お前にも見せてやろうって思ったんだ」
 これ二人乗りだから一人よりフレイヤと一緒のほうが楽しい。
 元気に笑ってみせたサボにフレイヤの心臓がぎゅうっと音を立てた。この間からサボといるとたまに胸が苦しくなるのはどうしてなんだろう。苦しいのに、でも甘さも伴った不思議な感覚。言葉で表現するのは難しくてカロリーナに尋ねてみたけど、そのうちわかるなんて笑って誤魔化されてしまった。彼女がそう言うならそのうちわかるんだろう。今はサボといるのが楽しくて、ただそれだけで満たされるからそれでもいい。
 フレイヤは彼と一緒にブランコをこいでみる。揺れる。風が体に吹きつける。上半身を倒す。もっと揺れる。
 繰り返しながら風に身を任せてブランコの揺れを感じていた。気持ちのいい日差しを浴びて、段々と眠くなってくる。少しくらいならいいかな。
「フレイヤ。おれ、本を持ってきたんだ。お前はよく物語を読んでるって言っただろ、一緒に読もうと思って図書館の入口近くに並べられてた中から選んだ」
 目を閉じかけたフレイヤを呼び戻したのはサボの声だった。ブランコが急に減速したかと思うと、目の前に一冊の絵本が差し出される。見たことない絵本だった。
 どうやらこっそり服の中に忍ばせて持ってきたらしい。図書館の入口近くに設けられているのは毎週のように入ってくる新着本なので知らなくて当然だった。小さな男の子が黒い三角帽子をかぶって剣を上に掲げているイラストが印象的な表紙。帽子の中央に小さなドクロマークを見つけて、これが俗に言う"海賊"だと気づいたフレイヤは問いかける。
「サボは海賊に興味があるの?」
「おう。船に海賊旗を掲げたら海賊だろ? マークも考えてあるんだ」
「ってことはサボと一緒に海へ出たら私も海賊……?」
 フレイヤの問いかけにサボは一瞬きょとんとして、それまで考えたことなかったというような顔をした。別に海賊になるのが嫌なわけではなく、それこそ考えたことなかったので驚いただけなのだが彼はそう思わなかったようだった。
「フレイヤは海賊になるの嫌か……?」
「そういうわけじゃないよ。サボと一緒なら楽しそうだもん。ただ――私、戦えるほど強くないから海賊としては役に立たないと思う」
 これは本心だった。サボがいればどこへ行ったって楽しい。しかし、貴族として生きている自分が戦う術を持っているかと言われればまったくそうではないので、仮に海へ出たとしても迷惑をかけるだけになる。そんなフレイヤを、もしもサボが「やっぱりいらない」と捨てたら立ち直れない。そもそも海へ出る理由は今のところ、サボと一緒にいたいから、この家にいたくないからという漠然としたものであり、自身に何か夢があるわけではない。切り捨てられたら行く宛もなく彷徨うことになってしまう。
 しかし、こちらの不安を払拭するようにサボが迷いなく答える。
「別にフレイヤに戦ってほしいわけじゃない。一緒にいてくれたらそれでいいんだ。それに――」
 戦わなくていいと言ってくれたサボは、けれどほかにも何か言いたいことがあるらしく俯いてしまった。初めて出会ったときも、こうやって一度言葉を切って言うかどうか躊躇っていたことを思い出す。何を伝えようとしているのか気になって、彼の言葉の続きをじっくり待つ。こうやって待っていれば、彼は必ず答えてくれると知っていた。
 もじもじしていたサボは、やがて決意をしたように凛々しい顔を作った。
「おれがフレイヤを守るからッ……今は頼りないかもしれねェけど、強くなってフレイヤを守れるくらいになるから……だから、」
 一緒に来てほしい。
 サボが距離を縮めて手を握ってきた。自分と同じで幼い彼の瞳は、けれど情熱と興奮とを混ぜた胸を熱くさせるものを感じてフレイヤの心を疼かせる。嬉しくて、ドキドキして、新しい物語の幕開けのような高揚感がフレイヤを包んだ。

***

第三弾:二章より、カートレット家に戻ったあとのこと

 軽い挨拶だけ済ませたフレイヤは、懐かしい自身の部屋に案内された。あの頃のまま変わっていない机、ベッド、タンス、テーブルと椅子。カロリーナが掃除してくれていたのか、ずっと使われていなかったはずが部屋の中は綺麗だった。
 ようやく一人になることができ、お気に入りだった出窓へ腰かけたフレイヤはほうっと息を吐く。
 父の話では、二日後にはアルト王子との顔合わせがあり式の段取りを決めるという。いよいよ本格的に王族との結婚を覚悟しなければならないが、希望は捨てていなかった。サボに連絡する手段さえあれば助けを求めることができるし、彼のことだから当然フレイヤがここにいることはわかっているだろう。母の様子からしてしばらく自由になることは難しそうとはいえ、隙を見て彼に式の詳細を伝える方法を考えなければ。
 しかし、フレイヤがこの国を離れている間に世情はいろいろ変わってしまったらしい。
 例の火事を指示した黒幕である国王は謎の死を遂げて、現在ステリーという若い男が国王だという。もっと驚くのは、彼がアウトルック家の息子だということだ。サボに兄弟がいたという話は初めて聞いたが、もしかしたら養子なのかもしれない。現に彼はあの家を出て革命軍として生きているし、貴族としてのサボを見限っていたのなら自分達の後継者にふさわしい子どもを迎え入れていたとしてもおかしくない。
 先代国王の息子、すなわち王子は二人いるらしいが、第一王子は国王と同じで不審な死を遂げている。本来、残った第二王子がそのまま国王の座に就くのが一般的だが、何がどうなってそう決定したのか、王女ナントカネットと結婚したステリーが現国王になっていた。ここにどんなやり取りがあったのかは不明だ。
 王族が二人も不審死なんて国の闇を感じる。フレイヤには知る由もないが、ともかくカートレット家は本当に王族との縁談を持ちかけられたのだと、話を聞いてようやく実感が湧いてきた。
「サボ……」
 と、思わず呟いてしまった名前にフレイヤははっとした。誰かに聞かれていないかとなんとなく扉に目を向けたが、人の気配はなさそうでほっとする。気を抜くと彼の名前を口に出してしまうのは、やっぱり信頼しているからだろう。この先のことを考えるだけで気が滅入るし、カロリーナも今のところ冷たいままで彼女にどんな事情があるかも聞ける状態ではなかった。
「私、本当に独りぼっちなんだ」
 ぼやくと急に寂しさがこみ上げてきたので、気持ちを切り替えるために読書をしようとあの頃と変わらない児童書ばかりが置いてある本棚に手をかけたそのとき、
 コンコン――
 扉をノックする音が聞こえてフレイヤの手は一度止まり、相手に入室を促す声をかけた。直後、遠慮のない勢いで扉が開き、中に入って来たのは妹のエヴァだった。百七十近くありそうなほど大きくなった彼女は迷わずフレイヤの前までやってくると、射すくめるような鋭い眼光でフレイヤを見下ろしてくる。
 家を出る数年前から、彼女のフレイヤに対する妬み、嫉み、僻みは目に見えてわかるようになった。シンディー先生の授業で同じ課題を出されたとき、フレイヤの出来がいいと決まって機嫌が悪くなり、授業が終わったあとで嫌味を言われる。ヒステリックな口調で捲し立てられたときはもう何を言っても無駄で、ただ彼女の興奮が収まるのを待つしかなかった。
 十二年ぶりに再会しても、そこにあるのは感動ではなくどうして戻って来たのかという苛立ちだけだ。
「お姉様、十二年ぶりね。けれどどうして今さら戻ってきたの? この家にお姉様の居場所がないことはお姉様が一番よくわかっているはずなのに」
「私の意思じゃないってことくらいわかるでしょう? できることなら私だって帰りたくなかった」
 エヴァの視線から逃れるように目を伏せて、フレイヤは反論した。
 出迎えたときに何も言わなかったのは、二人きりなるタイミングを見計らっていたからなのだ。本来自分がアルト王子と結婚するはずだったのが、十二年も行方をくらませていた姉に奪われたのだから怒るのも無理ないとは思う。彼女は以前から地位の高い男性と結婚することを願っていたから。
 フレイヤの答えにエヴァは納得するはずもなく、「だったら最後まで逃げるくらいしたらどうなの! あんたのせいで私がどれほどみじめな思いをしたかわかる!?」激昂して掴みかかってきたので、フレイヤはバランスを崩して後ろの本棚に背中をぶつけた。
 理不尽だと思う。フレイヤは、フレイヤの意思でここへ帰って来たわけではない。無理やり連れてこられたのだ。怒りをぶつけたくなる気持ちはわかるが、その相手をフレイヤにしたところで結果は変わらない。恨むなら気まぐれにこちらの名前を出したアルト王子にしてほしかった。
 フレイヤはちらりとエヴァを一瞥してから、けれど何も言い返す気にはなれなかった。反論したところで、今の彼女は聞く耳を持たない。今まで通り、待つしかなかった。
「何よ、黙ってないで何か言ったらどうなの?」
 身勝手な文句を言うエヴァの表情は貴婦人らしからぬ眉間に深いしわを刻んでいた。言い返す気にはやっぱりなれず、フレイヤはエヴァの手をやんわり解いてから扉の前で振り返り、
「ごめんなさい……」
 それだけ言って部屋を出た。

***

第二弾:一章より、コルボ山での生活

 フレイヤと過ごすようになってから一か月ほどが経った頃、エースが寝苦しくて夜中に目を覚ますと、彼女の姿がないことに気づいて首を傾げた。男所帯のため、彼女の寝床は少し離れた場所にダダンが申し訳程度の仕切りを作って区画されているのだが、その仕切りが寝る前と今とで微妙にずれているのが気になり、悪いと思いつつ覗いたところ彼女はそこにいなかったのだ。
 フレイヤが泣くところはあの日以来見ていない。サボが死んだと聞かされ、その現実に打ちのめされ号泣する痛ましい姿にエースは不覚にも胸が締めつけられるというこれまでにない感覚を味わった。
 貴族のくせに、なんてひねくれた考えはすぐに吹き飛んだ。サボが手紙に書いていた通り、良い奴なのは数日過ごせば理解できたし、清楚かと思えば時々大胆なこともするのでなかなか根性があって面白い。戦闘能力は皆無でも料理や洗濯、掃除を真面目にやってくれるのでありがたかった。
 そんな彼女を強い女だと感心しつつ、心の中では違和感を覚えていた。起きて朝飯を作り、洗濯と掃除をし、スケッチに出かけ、時々自分とルフィにくっついて狩りの手伝いをし、またメシを作って、風呂に入って寝る。彼女は始終笑顔なのだ。別に普通のことかもしれないが、エースにはあの日涙を流していた彼女がたったの一か月でここまで立ち直ることに疑問を持ってしまう。
 しかし、無理やり聞くことでもなかったし、弱音を吐かずに必死に生きようとしているならあえて水を差すことはせず見守ろうと思っていた。思っていたのだが……。
 ――嫌な予感がする。
 なんとなく胸騒ぎがしたエースは、こっそり山小屋を出てフレイヤを探すことにした。眠れなくて散歩しているだけかもしれないし、それならそれでいい。「あまり遠くへ行くな」と注意するだけで済む。
 今日は雲一つない快晴の夜なので月のおかげで森の中も明るい。静寂の森というのも不気味だが、この近辺は襲ってくる生物もいないのが幸いだ。月明りを頼りに、エースは彼女がよく行く川のほとりへ向かった。
 歩くたびに足を刺激する鬱陶しい茂みをかき分けてようやく開けた川岸にたどり着いたとき、はたしてそこに彼女の姿はあった。
 胸騒ぎのあてが外れてほっとしたのもつかの間、背中を向けるフレイヤに話しかけようとしたエースは、けれど彼女まであと数歩のところで足を止めた。くぐもった嗚咽が聞こえたからだ。
「サボのいない世界なんてつまらない。くるしいし、かなしい。どうして置いていっちゃったの……?」
 誰に向けてでもない声が空気を揺らす。エースの位置から顔は見えないが、泣いているのは明らかだった。震える背中がものすごく小さく見えて、あの日と同じくエースの胸が軋む。なんだ、この痛みは。自分の胸はあの日からおかしくなってしまったのだろうか。エースは胸のあたりのシャツをぎゅっと握りしめる。
 こうして痛みと戦っている間もフレイヤの嗚咽は止まらず「なんでここにいないの」「私も一緒がよかった」等々、苦しみを吐き出していた。
 こいつはバカだ。本当はつらいくせに、平気な顔しておれ達と笑ったり、メシを食ったりしている。弱ェところは見せたくないんだろうが、こいつはおれ達とは違う。弱くて当たり前の存在だ。
 声をかけるべきなのか迷っていたエースは、しかしふとした拍子に足元の小石を踏んで音を鳴らしてしまった。静かな川岸では些細な音でも大きく響いて、フレイヤが振り返って驚愕した顔でこっちを見ていた。
「……ッ、エース……なんで、」
「あ? お前が寝床にいねェから心配したんだろうが。一人で泣きやがって」
 ぶっきらぼうな言い方であるのは重々わかっている。こんなふうに言いたいわけではないのに、気づけば怒り口調になっていた。
「……だって、心配かけたくないから」
「夜中に抜け出すほうが心配するだろ」
「それは……ごめんなさい」
 俯いてしまったフレイヤに、エースは盛大なため息をついてからどかどかとそばまで歩いていき、隣に腰を下ろした。小さな石ころがゴロゴロと尻にあたって少々座り心地が悪い。彼女はどうしてという顔でこちらを見つめているが、戻る気はないのであえて彼女の視線を無視して川面に目を向ける。穏やかな水の流れがざわざわと騒がしい心を落ち着かせてくれる気がする。
 エースも自分らしくない行動だと思った。悲しみは時間とともに薄らいでいくかもしれないとはいえ、理不尽な世界のせいで理不尽な死に方をしたサボを思えば時間が解決してくれるとは限らない。だったら、同じ痛みを知る人間がそばにいてやるべきだと思ったのだ。慰めの言葉など持っていないが、泣く場所を提供することならできる。
「泣きてェんだろ? 気が済むまで泣けばいいじゃねェか。あいつらには黙っといてやるよ」
 ほら、と両手を広げた。
 エースなりの精一杯のやさしさだった。「胸を貸してやる」という意味だ。フレイヤもすぐに理解したようで、泣きながら「ありがとう」と言うとエースの胸に飛び込んできた。シャツをぎゅっと握りしめて震えだした彼女を、エースは支えようとしてやめた。ふいに兄弟――サボの顔が浮かんだからだ。

***

第一弾:二章より、保護された一幕

「いーい、フレイヤ。サボ君に不満があったらすぐ連絡してね」
「おいコアラ。お前は誰の味方なんだ」
「だってベティさん。普段のサボ君を見てる側からすると、苦労するのはフレイヤだもの」
「大体フレイヤは元いた島に帰るんだろ? だったらサボともしばらく会えないってことだ」
 むうっと頬を膨らませたコアラとサングラスのまま妖しく笑って彼女を宥めるベティの間に挟まれたフレイヤは苦笑しながら曖昧に頷いた。酔っているのか、コアラの頬はほんのり赤い。
 食堂内の一角。専用の長テーブルにはどこに目を向けても女性しかいなくて、いつものちょっとガラの悪い雰囲気(という表現はどうかと思うがほかに思いつかない)はなく、品のある宴が繰り広げられていた。午前中、雑務をしているフレイヤの元にコアラが女子だけでお別れ会を実施するという話を持ちかけてきたことから始まり、午後から料理の下準備を手伝っていたら気づけばたくさんの女性に囲まれてこの場が出来上がった次第である。
 二か月も共に過ごせば、ある程度の人々と顔見知りになるし、特にサボと近しい人とは話す機会も自然と多くなる。ベティはそのうちの一人であり、当初サングラス越しにじろじろ見られてたじろいだが、会って最初の一言が「こんな可愛い女がサボの恋人? 信じられないな」だったので第一印象はとても強烈だったことを覚えている。良い意味で捉えていいのかよくわからない発言で困惑しているフレイヤに「褒めてんだよ」と言われて安心したのは、良い思い出だ。
 今日の女子会もこうして二人に囲われて楽しく談笑していたのだが、段々と酔いが回ってきたコアラにサボのことで絡まれているのが現状である。彼女に言わせれば、恋人の前ではかっこつけてるだけで実際はだらしなかったり、部下の自分達を困らせたりすることも多いのだそう。確かに出会った頃のサボはたまにフレイヤの意見を無視して強引に事を進めたり、大丈夫と根拠のない一言で実行してカロリーナに叱られていた。自由奔放なところはあるかもしれない。
「ありがとう。でも大丈夫だよ。そういうサボも……その、すきだから」
 実際言葉にすると気恥ずかしさが勝り、最後のほうは声が小さくなってしまった。持っているグラスに視線をずらして誤魔化してみるも、すぐに女性の甲高い声によって意味のないものになった。フレイヤの発言を聞いていた周りの女性陣から「詳しく聞きたい」となぜか盛り上がってしまい、困惑する。
 ここへ来てからサボとの馴れ初めやどこを好きになったのかなどの恋愛話を同性同士で何度かした。セント・ヴィーナス島ではサボの話をあまり大っぴらにしてこなかったので、恥ずかしながらも彼女達とこういう話ができるようになったことに少なからず喜びがあったのだ。慣れないことで未だに戸惑いはあるけれど。
「騒ぐなお前ら。けどまァ……サボとどこまで進んだかは気になるな。あいつの顔を見ればわかるが、お前の口から聞いてみたいフレイヤ」
 ベティの妖艶な顔が近づいてきて思わず逸らそうとしたが、顎を掴まれて至近距離で見つめ合う形になってしまった。「あ、あのっ、ベティさん近いです」「恥ずかしがることないだろ、女同士だ。サボの体力についていけてるのか?」にやりと笑いながら顎をすりすり撫でられる。彼女の瞳はどこか楽しそうで、同性なのになぜかどきっとさせられる。フレイヤの顔に熱が集まっていくのがわかる。
「そ、それは――」
「ベティさん、フレイヤをからかうのはダメですよ。ほら」
 助け舟を出すようにコアラが遮ってくれたあと、何やら食堂の出入り口にものすごく負のオーラを放っている人がいるとわかり、ぎょっとしてみんながそっちに目を向けた。廊下が薄暗くてもよく見知った顔なのでフレイヤにはそこにいるのが誰かすぐにわかる。今日は女子会だから男性陣は食事の時間がずれていると事前に聞いていたが、誰かに用事だろうか。
「……見つかっちゃあ仕方ないな。許せサボ、お前の言う通りフレイヤは可愛い」
 相手を窘めるような口調で言ってから、ベティの手が顎から離れた。バクバクと未だに心臓がうるさくて、フレイヤは少し彼女と距離をとってからほうっと息をついた。そして視線を出入り口にいる彼に向ける。
 サボが体の側面を壁にくっつけて腕を組み、不服そうにこっちを見ていた。誰かに用事があると思っていたが、もしかしてフレイヤを呼びに来たのかもしれない。時間的にも日付が変わる頃だった。
「そろそろいい時間帯だし、お開きにしようと思ってたからフレイヤは先に休んでいいよ」コアラが気を遣ってそう言った。
「でも片づけがあるでしょう?」
「フレイヤは料理の準備をしてくれたじゃない。片づけくらい私達でできるから」
 それよりもサボ君の機嫌を直したほうが良さそう。
 耳打ちされてちらりとサボにもう一度視線を投げる。温厚で人の好さそうな雰囲気を持つ彼だが、案外好き嫌いははっきりしているし、年相応に不機嫌になることもある。そういう面をかわいいと思ってしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えてお願いするね」
 ぺこりと頭を下げて、まだ盛り上がっている皆さんにも一言声をかけてからフレイヤは食堂を後にした。直後、サボに無言で手首を掴まれてそのまま部屋まで連れていかれた。



 互いの部屋に行き来するようになったのは、何もそういう関係になったからというわけではない。確かにフレイヤはベティの言う通り、サボと恋人になってから一か月ほど経った頃に初めて異性と肌を重ねる経験をした。しかし、彼のほうが当然忙しいので毎回いつも一緒にいられるというわけではなく、夜の数十分だけなんて日もある。そういうときは決まって部屋で彼を待ち、少し話をしてから帰る――自分の部屋に戻る。忙しい彼の邪魔になることだけはしたくないフレイヤは、そうすることで気を遣っているつもりだった。
「ベティには随分と気を許してるみたいだな」
 ベッドに腰かけたサボが隣で縮こまるフレイヤに一歩近づいてきた。機嫌が悪いことは、食堂に顔を出していたときから感じていたことだが、改めて声を聞くとより一層わかりやすく不貞腐れている。ベティには、という部分がやけに強調されており、彼が何に対して不満なのかすぐに理解できた。
 参謀総長ともいえど、その肩書きから解き放たれると途端に二十二歳の青年になるのがたまらなく可愛かった。実際はここにいる限り肩書きから解放されることはないが、せめてフレイヤといるときは忘れていてもいい。
「拗ねないでサボ。明日と明後日は一緒にいられるよ」
「……」サボは沈黙したまま何も答えない。
「……どうしたら機嫌直してくれる?」
 むすっとしたサボの頬に触れてもう一度呼びかける。
「……ス」
「え?」
「フレイヤからキスしてくれ」
 今度はフレイヤが固まる番だった。思考が一瞬ぱたりと止み、サボの言葉を噛み砕くのに数秒要する。理解してからあわあわと動揺し、「えっ、あ、」言葉にならない声を上げたフレイヤは本当にキスするのかという意味でサボの顔を見つめた。もう準備万端の彼は目をつむって早くとでも言いたげに顔を近づけてくる。
 機嫌を直すために何かしら要求されるとは思っていたが、まさかキスしてほしいなどと言われるとは思ってもみなくて戸惑う。いつも自分からしているサボからすれば、フレイヤにしてもらうというのは望んでいることなのかもしれない。抵抗はあるものの、彼が望むなら――
「〜〜ッ」
 勢いで唇をサボのそこに寄せた。一瞬触れたかどうかぐらいの、軽い口づけ。柔らかい感触を感じ取って間もなく羞恥がこみ上げてきて、フレイヤはすぐに彼とも距離をとった。
「そんな軽いやつでおれが満足するか」
 目を閉じていたはずのサボがフレイヤの手首を掴んだ直後、「きゃっ……」ベッドに押し倒してきて身動きを取れなくした。困惑するフレイヤを前に、彼の口が弧を描いて見下ろしてくる。あ、これはそういう時のサボだ。獲物を逃がすまいとする獰猛な狼。
「いいかフレイヤ。キスってェのはこうするんだ」


***
上の内容は第二章の一部分です

2024.06.22公開