出来の悪い子でごめんね

 サボのこんな冷たい瞳を見るのは例の「足手まとい」と言われた日以来だろうか。そもそもあの日以来彼と会話をしていなかったなと、まるで他人事のように思いながら、○○は彼の言葉を聞いていた。一度○○の部屋を訪れた彼は、けれど異性の部屋に居座ることに気が引けるのか執務室までついてこいと言って、謹慎を言い渡されたときと同様机を挟んで○○に説教している。
 時間の問題だと思った。昨日の夜、見回りの兵士に見つかって「転んだ」などと嘘をついてから部屋に戻って早々後悔したがすでに遅い。翌日の朝にはコアラが血相を変えて「何があったのか」と詰め寄ってきた。同じように転んだだけと伝えるつもりが、先にそれは通用しないからと釘を刺されてしまい、結局正直に打ち明ける羽目になった。どのみち付き合いの長いコアラに嘘をついても見破られていただろう。先輩たちにも心配されて居たたまれない。
 サボには言わないで、とは言わなかった。意味のないことだったし、元々当てつけのつもりがあったからバレてもよかった。大事にしたくなかっただけで、サボが少しでも自分を気にしてくれるのなら。
 しかし実際は気にするどころか、彼は怒りを孕んだオーラを隠せず○○を叱責し、軽蔑するような目を向けている。

「聞こえなかったのか? どういうことだって聞いてんだ」

 また執務室の温度が下がった気がする。低い音程で強弱のない台詞は、○○を震わせるには十分だった。抑揚もなく淡々とした機械的な物言いに胸の奥が詰まる。なんて答えるのが正解なんだろう。何を言ってもサボは怒る気がした。

「黙ってたらわからねェだろ」

 サボに厳しくされるのは初めてではないと言っても、好きな人に強く当たられるのはどうしたって苦しい。初めて会った頃の優しさと温かさを覚えているだけに、○○には酷なことだった。しかし黙ったままでは余計に彼を怒らせるだけなので、一応考えておいた回答をする。

「どうもこうもないです。プライベートまで制限された覚えはないので、気分転換がしたくて行きました」

 我ながらひどい言い草だと、胸中で自分を嘲笑した。
 プライベートは確かに自由かもしれないが謹慎している人間のやることとしては倫理観が欠如している。未遂とはいえ、サボたちから見れば謹慎中に男遊びして頬を殴られた哀れで愚かな女に映っているはずだ。でも、じゃあどうすれば彼に意識してもらえるんだろう。

「本当にそんな理由で行ったのか?」
「……は、い」

 サボの鋭い視線に怯み、けれどどうにか声を絞り出して答えた。じっと見つめてくる彼の真意は読めそうもない。本当のことを言えば、あるいは彼に伝わるのだろうか。いっそのこと「サボに意識してもらいたくて行った」と言うほうがまだ望みがあるような気もする。一度終わっている恋ではあるが、彼はそのあとも部下として普通に(とはいえほかの後輩たちに比べて当たりが強いし、任務においていろいろ制限してくる)接してくれているので、もしかしたらチャンスがまだあるのかもしれないと心のどこかで期待している自分がいる。
 長い沈黙だった気がする。彼の視線が○○から外れたと思うとお腹の底から深いため息を出して、そっと口を開いた。

「もういい。とにかくそういう場所には二度と行くな」
 たった一言。サボが放ったのはそれだけだった。これには○○も怒りを覚える。
「……ッ、じゃあ私と付き合ってくださいっ」
「……それはできない。前に断ったろ」
「だったら、私がどうしようと勝手じゃないですか。総長にプライベートをとやかく言われる筋合いはありません!」

 サボの言葉に○○は思わず強い口調で言い返して、「私のことなんか興味ないくせに」と暴言を吐き睨みつけたあと、踵を返して執務室から逃げるように駆けだした。
 廊下をかけていく○○の姿に何事かと仲間が声をかけてくれたが答える余裕はなかった。廊下の端まで来てから後ろを振り返ってみるも当然サボは追ってこない。そのとき、ようやく自分が引き留めてほしかったことに気づいてさらに惨めになった。興味がないと自分で卑下しておきながら、その実「そんなことない」と言ってもらえることに期待していた。馬鹿みたいだ、彼からすでに「応えられない」と言われているのに。
 謹慎期間はあと三日で終わりを迎える。そうしたら元通りまた上司と部下になるのだろうか。いや、なれるわけがない。仮にサボが普通に接してきたとしても、○○のほうがもうその状況に耐えられないだろう。彼にとってはただの部下でも、自分にとってはそれ以上の存在になってしまった彼に対して今まで通りにやり過ごすことは気持ちを押し殺すことと同義だ。
 この三年間、彼とは別の任務で本部を離れている期間が多かったために気にしないでいられたけれど、そろそろドレスローザの案件が動くという話を聞いているし、任務に私情を挟むのはよくないがサボが指揮を執るということは嫌でも顔を合わせることになる。けれど、逆にドフラミンゴが絡んだ大きな案件で手柄をたてれば少しは見直してくれるだろうか。
 廊下を歩きながら、思考はまたそうやって都合のいいように考えていた。
 こうしたらサボが褒めてくれるかもしれない。ああすればサボが笑ってくれるかもしれない。○○の頭の中はいつだって彼に認めてもらいたくて必死だった。任務で戦場に出て、貢献できるようになっていくと同時に怪我や傷を作ることも増えたけれど、それでもここで生きていくことは○○が自ら選んだことだ。だから精いっぱい自分のできることをしたい。サボを好きでいる前に、○○の中には確固たる意思がある。

 誤解のないように言うが、革命軍において恋愛は別に御法度ではない。既婚者もいるし、恋人がいる者もいる。そして中には遊び人もいる。年齢的にいい大人であるので周りもプライベートなことにはとやかく言わないが、それはもちろん自身の仕事を全うすることが大前提である。
 ○○も恋愛に現を抜かしているわけではなく、来たるドレスローザの任務には気合いを入れて臨むつもりだ。確かに上司と気まずいとはいえ、それで仕事に支障が出るかと言われれば違う。仕事は仕事として自分のできることを精いっぱいやるというのは革命軍の兵士として当たり前である。
 そうだ。サボのことを考える余地がないほど仕事に集中していれば気にせずに済む。ドレスローザのことは新聞などで少し調べてみたが、傍から見ると特に混乱している様子はなく、むしろ王であるドフラミンゴを讃えている雰囲気すらある。国民には知らされていない裏があるのは間違いない。そのからくりを調査しに出た仲間を追って、○○たちも近々出航予定である。だから、彼と必要以上に会話をする機会を作らなければ問題ない。このときはそういう安直な考えでいた。
 罰があたったのかもしれない。謹慎中に男と遊んで周囲に迷惑をかけ、上司に歯向かって反抗的な態度をとり、挙句の果てに任務へ私情を持ち込もうとした自分への――


*


 そのとき、○○の頭の中は比較的冷静だった。いや、冷静というより理解が追いついていないと言ったほうが正しい。いつもなら激昂して突っかかるはずなのに、どういうわけかぽかんとしたままその場から動けずにいる。頭がついていかない。だって、そんなのあり得ないことだ。
 謹慎が明けた翌日。ドレスローザへ発つ前の最後の作戦会議が行われる予定だったが、始まってすぐ、サボは○○に対して戦力外通告をした。そこにいた全員に動揺が走ったのは言うまでもなく、あちこちで「どうして」「なんで今更」といった言葉が飛び交う中、サボだけがいつもと変わらない参謀総長らしく毅然とした表情で続ける。

「いま言ったことに変わりはない。何か意見がある奴はいるか?」

 サボの視線が左から右へ移動する。意見がある奴はいるかなんて、あっても聞く気がないくせによく言ったものだ。みんなの視線が痛い。自分に向けられる哀れな視線が。コアラも驚いているところを見ると、彼から何も聞かされていなかったのだろう。

「ないならこれから作戦会議を始める。○○は部屋で待機。追って連絡する」
「っ……、わかりました」

 声が震えている気がした。サボのほうを見ることができなかったし、皆の顔も見られなかった。悔しくて、ひとり出ていくことが恥ずかしくて。自分はそれほど頼りない人間だったのかと突きつけられて、自信を失くしそうだった。
 静かに立ち上がり、歩幅を大きくして早歩きで扉のほうへ向かう。会議室のドアノブに手をかけたとき、しかしぽたりと何かが右手に垂れてきたことに驚愕して○○は立ち尽くした。涙だ。自分が泣いていることに気づいてドアノブを回すことに躊躇いが生じる。「○○……?」こちらのおかしな様子に気づいて、背中越しにコアラが呼びかけたが、「失礼しましたっ!」とあえて声を張って部屋を出た。そのまま自分の部屋まで一目散に走っていく。
 挙動不審ではなかっただろうか。きちんと振る舞えていただろうか。もしかしたらドア付近にいた仲間には気づかれていたかもしれない。しかし、会議が始まれば全員の意識はそこに集中して○○のことなどすぐに忘れるはずだし、皆は優しいから気づいたとしてもそっとしといてくれるはずだ。
 途中、すれ違った同僚に「作戦会議じゃないのか」と聞かれたが、笑って誤魔化した。本当のことを言う気力が残っていなかったし、口にしたら今度こそ号泣してしまいそうだったから……。胸中でごめんと謝って、足早に部屋へ向かった。


 今思えば、四日前どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。付き合ってくださいなんて今さらサボが首を縦に振るわけがないのに。これでいよいよ自分は仕事においても見放されてしまったのかと思うと、もうここにいる意味がわからなくなってくる。
 父の意思を継いで、自由のために戦おうと決意した十三歳のあの日。それまで仲良くしていた彼の態度が急によそよそしくなって戸惑い、それでも共に訓練したり任務についていったりと気にかけてくれていたのだが、やはりあのことがきっかけで彼はあからさまに○○を避けるようになったのだと思う。
 自室のベッドに寝っ転がりながら、ぼんやり三年前のことを思いだす。あれは、○○が一人前になったばかりで大きな任務に一戦力として参加することになったときのことだ。