同じ彩度で恋をしていたかった
朝起きて、顔を洗い、身支度をする。いつもの服装に着替えて姿見の前に立ってから、自分が謹慎中であることを思いだしてとぼとぼベッドに戻り倒れこんだ。
バカだな、私。何回繰り返してるんだ。
上司に足手まといと言われてから二週間目の朝。いつまでこんな日々が続くのだろうと漠然とした不安が○○を襲う。仲間が戦闘訓練や作戦会議に出ているのに、どうして自分だけ部屋で寝っ転がっているんだろう。もどかしくて、悔しくて、でも泣けなかった。泣いたら、足手まといであることを認めてしまうような気がしたから。
サボが○○に対して厳しく接するのは今回が初めてではない。あのときを境に、彼は○○を避けるようになったし、辛辣な言葉で○○を逆撫でするようなことばかり言うようになった。自分が壊した関係だと知りながら、計算ではどうにもできない想いを口にしたことに関して後悔は一切していない。いずれ伝えるつもりだったし、彼の中で"答え"がはっきりしている時点でどのタイミングで言おうと同じだろう。
ぼうっと部屋の天井を見ていると、思考はマイナスな方向へ勝手に沈んでいく。二週間前、足手まといなんて初めて言われて言葉を失った。あんなことを口にした○○のことが本当に嫌いなのではないか。だから大した怪我でもないのに謹慎と言ったり、任務から外したりするのではないのか。それともついに見放されてしまったのか。
いっそのこと男を引っかけてサボがどんな反応するのか見てみようか。
ふとそんな考えが浮かんだ。革命軍として○○は謹慎という扱いだが、プライベートまで制限されたわけではない。繁華街のほうへ出ればそういう店はすぐ見つかるし、幸い○○の容姿は母親譲りでそれなりに整っている。それに、詳しい仲間に以前聞いたことがある。相手を一晩買うだけではなく、条件に合致すれば恋人としてそのままお持ち帰りができるのだと。あの頃まだ十代前半だった○○にはどういうことかあまりわかっていなかったが今ならわかる。
一度こうした不当な考えが浮かぶと、頭からなかなか離れてくれなかった。サボが自分を見てくれないのなら、そう仕向けるしかないじゃないかと正当化し、むしゃくしゃしていることも相まって気づけば○○は再び身支度を始めていた。
▽
まだ仕事をしている仲間だっているだろうに、○○は隣の島の繁華街を歩いていた。人工的な明かりで夜空の星はほとんど見えない。お隣と言えど、本部がある場所とは大違いだ。ここへ来るまでに連絡船を使うなどして結構な距離があるのだが、物資調達でよく利用する場所なので行って帰ってくることはできなくない。
町の中心部から数本はずれた裏通りまで来た○○は、柄の悪い店が立ち並ぶ中にある一軒の店の前で立ち止まる。やっていることがやっていることだけに、入り口に看板はないし、外観だけでそうとはわからない。寂れた感じすら覚える古い建物の、薄暗い階段をくだり、地下へ降りると受付の若い男性が恭しくこちらに向かって会釈するので、なんとなく流れで○○もぺこりと返す。
受付はさほど広くなく、カウンターと待合スペースがあるだけだった。それなのに女性客が十数人もいて、控えめの照明でも派手めの化粧と煌びやかな服が目立つほど。別の意味で戦闘モードな女性たちに圧倒された○○は、条件だけ軽く受付に伝えて待合スペースのソファに目立たないよう空いている隅へ腰かけた。
本当に来てしまった。罪悪感がまったくないと言ったら嘘になるが、サボは自分のことなどどうでもいいのだと思えば気持ちも少しは楽になる。もうすぐドレスローザでの任務で忙しくなるし、そうしたら本当にしばらく会えない日々が続く。だったらなおのこと、会えなくなる前に少しでも自分の存在を刻んでおかなきゃいけない。どうでもいい存在から抜け出すためには、こうでもしないと。たとえ、"初めて"を失うことになったとしても――
そのとき、肩をとんと叩かれて○○は大げさに体を震わせた。気づけば若い男が○○の目の前にいて、営業用の笑顔を向けていた。どうやらもう順番が回ってきたようで、手配が済んだらしい。「すみません。ぼうっとしてました」と苦笑いで誤魔化し、ソファから立ち上がると男は早速○○の腰を抱いて奥の部屋へ進んでいく。甘いマスクと甘い言葉で、これまで何人の女性を泣かせてきたのだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら、彼に引かれるまま個室へ入った。
どこの町にも一つはあるものだが、ここは相手を一晩買うだけではなく気に入ったらそのまま恋人としての関係を築くことができるだいぶ変わった店だった。もちろん一夜限りの相手を探しに来る客もいるし、○○みたいに恋人を作るつもりで来た客もいる。相手に選ぶ権利がないのかと思わなくもないが、不思議なことに集まってくる女性は美人がばかりなのだ。互いに条件が合えば、だから付き合うことも可能というわけだ。その代わり相当な金額を支払うことが必須なのだが。
これは、そんな店に行った自身への罰なのか。
サボへの当てつけであり、もしこれで彼のほうから何かしらアクションがあるならという邪な欲望が招いた不運だったのかもしれない。
「フザけんなっ……!」
小気味よい音とともに華麗な一撃を受けた○○は、殴られた頬をさすりながらなんだ暴力男じゃないかと落胆した。バンと派手な音を立てて扉が閉まる。嵐が去っていき、ひとり部屋に取り残された○○は深いため息をこぼしてベッドに倒れ込んだ。自分のせいではあるものの、だからといって殴るなんて最低だと思う。
『全然気持ち良くない』
思わず、つい。口から飛び出した言葉は当然のことながら相手を憤慨させた。本番行為にも至ってない、前戯の段階から不快な気分でひたすら天井を見て耐えていたが、とうとう耐えかねて○○は言葉にしてしまった。好きになれるかもしれないと思ったのに、思い浮かぶのはサボの顔ばかりで行為に身が入らない。好きになれるかもしれないなんて、どうしてそんなふうに思えたんだろう。ただ虚しくなるだけだった。
殴られた頬をさすりつつ、乱れた服を整えた○○はそそくさと部屋を出て建物を後にした。受付の若い男には怪訝な目をされたが、もうこの店には二度と来ない(というより来られないだろう)から問題ない。料金は前払いなのでこっちも問題ない。心と体に傷を負っただけだ。ふたたびサボの顔がちらついて、指先の感覚が冷たくなっていくのを感じた。
すでに消灯時間を過ぎていたので若干気まずさを抱えながら本部に足を踏み入れる。真っ暗な廊下をゆっくり進む。漆黒の闇のような空間に、自分の静かな足音が繰り返し耳に届いてきて、ここには元から人がいないんじゃないかと思わされる。
そういえばこんな夜遅くに部屋の外にいるのは、サボとこっそり星を見に行った十三歳のとき以来だろう。座学担当の先生があらゆることに精通しているのは当然のことだった(とはいえ○○は当時物知りな大人として尊敬していた)が、特に詳しかったのが天文学だった。星は季節によって見え方が変わり、星それぞれを結んで名前もついているのだそうだ。特にバルティゴは空を遮るものがないことから星がよく見えるのだという。その話を聞いた○○とサボは、夜の十時以降は部屋から出てはいけないという子ども限定の掟を破って建物の外に出たことがある。
開けた夜空を見上げて二人して感嘆の声を漏らした。ちょうど冬にさしかかろうとしていた頃だったから肌寒いのに、寝間着に毛布一枚と震えながら「あれが先生の言っていた星だ」と指さして笑い合った。仲間に見つかって、翌日父から怒られたところまでが思い出だ。
そのあと大きな任務につくことになった父たちに同行したのが、年が明けてからのこと。思えば、サボがどことなくよそよそしくなったのはあの事件以来な気がした。
「あのとき、本当は何かあったのかな……」
「誰だッ!」
突然視界が眩しい光をとらえて、○○は目を覆って後ずさった。たたらを踏んでどうにかとどまる。
失念していた。消灯時間だとはいえ全員が就寝しているわけがない。仕事している仲間がいれば見回りしている仲間もいる。どうやら彼はちょうどこのあたりを見回っていたようだ。
「誰かと思ったら○○か。なんでこんな時間に……って、お前その顔どうした」
懐中電灯が○○の頬を照らして、殴られた箇所が露わになる。部屋に戻って応急処置をしてから明日こっそり医務室に行こうという計画がここで台無しになった。
彼は怪訝な顔で、まじまじと赤くなっているその場所を見る。「誰かにやられたのか」と聞かれたのですぐさま否定した。こんな時間に出歩いているだけでも怪しいのに、繁華街で男を引っかけてきた上に暴力を振るわれたとなれば大事になってしまう。それだけは避けたかった。
「なんでもないよ、気にしないで。ちょっと眠れなくて星を見に行ってただけ、その途中で正面から転んだの」
少々こじつけっぽいだろうか。言ってから相手の顔を見つめると、案の定彼は眉をひそめて「……そうか」と無理やり納得したような声を絞り出した。追及されても困るので、○○は出歩いてごめんんさいと謝罪してから走って居住区の棟へ向かった。
▽
サボがその話を聞いたのは夕方の談話室で休憩していたときだ。ドレスローザの件でいよいよ潜入調査のスケジュールも大詰めになってきた頃合いであり、作戦会議の合間のわずかな休憩時のこと。コアラを含めた女兵士数人が深刻な顔を突き合わせて何やら話し込んでいた。
「ようやく怪我が治りかけてきたのに無茶なことするよね……」
盗み聞きするのも悪いかと思い執務室に戻ろうとしたが、コアラが口にした台詞に引っかかりを覚えて立ち止まった。ようやく怪我が治りかけてきたのに?
「コアラ。あいつに何かあったのか?」
「えっ……あ、サボ君」
コアラがあからさまにしまったという表情を作った。「えっと……」誤魔化そうと必死になればなるほどそれは無意味な行動で、こちらに不審感を抱かせるだけだった。「おいコアラ、正直に教えてくれ。○○に何があったんだ」念を押して問いかけると、怒らないで聞いてねと先に釘を刺された。
「それは内容による」
「たぶんサボ君に非があるんだからね」なぜか責められ、続けざまに「総長が○○の気持ちに応えないからです」「だからあんなことしたんですよ」
コアラの後ろからぞろぞろと数人の女兵士が身を乗り出して、棘のある言葉を投げられる。部下に何があったか聞いただけなのだが、どうして自分が責められていて、あいつの気持ちに応えないことが関係あるのだろうと少し苛々した。その話をむやみに持ち出さないでほしい。
しかし、彼女たちの顔色はすっきりしないままこちらを不満そうに見つめている。なんだか嫌な予感がして、喉の奥がヒリヒリしてくる。ごくりを唾をのみ込んでコアラの言葉を待つ。
「昨日の夜、見回りしてた兵士から消灯時間を過ぎた廊下で○○を見たって聞いてね――」
内容によると自身で言ったものの、サボは聞き終わる前に談話室を出て彼女の部屋へ向かっていた。