魔法を操る貴方

 時計を修理してもらって以来、松田くんと言葉を交わす機会が増えてきたのは言うまでもない。不思議なもので、一度接点ができるとなぜかちょくちょく話すようになったのだ。
 もちろん教場が違うから、一日の中で会う機会は限られているけれど、すれ違えば挨拶をするし、授業が重なったときは会話も弾む。「あれから時計は大丈夫か?」「うん大丈夫そう、ありがとう」といった具合に他愛ない話ばかりだが、小さな変化が嬉しかった。同部屋の子に「いつの間に仲良くなったの」と詮索されるくらいには、周囲から親密そうに見えるらしい。仲良くなったと言っていいのかはわからないけど、少なくとも合コンで仏頂面のままお酒を飲んでいた頃よりは距離が縮んだと思う。
 松田くんが"喧嘩っ早くて怖い人"というのは、だからちょっと語弊がある。いや、入校早々に降谷くんと殴り合ったという話を聞いたので、喧嘩っ早いのは本当だし、意見が衝突しやすい性格だとは思うけど、でも理由もなしに怒ったり殴ったりする暴力的な人ではないのだ。そういう面を知ってしまった以上、以前と同じようには見れない。
 ある日、偶然松田くんたちがいる鬼塚教場と授業が重なった。機器を扱った専門的な授業で、ちょっと苦手な分野ではあるけど、警察官を目指す者なら弱音を吐いてはいられない。
 席についてまもなく、教官二人が入ってきて授業が始まった。内容は二人一組で無線機の通信練習を行い、ちょっとした課題も言い渡された。終わったグループから自習になるらしいが、果たして時間内に終わらせられるかどうか、今から不安だ。
 教官から支給された無線機を同部屋の子と確認していたところで、「あれ?」と首をかしげる。
 ――この無線機、もしかして調子悪い……?
 今しがた渡されたばかりの無線機は電源を入れても特に反応がない。一人一台なので、もう一つは大丈夫そうだが、私が持っているほうはどうやら機嫌が悪いらしい。

「動かないねこれ……」
「一人一台だと代えもなさそうだし、困ったなぁ」

 彼女と途方に暮れていた時だった。

「動かねぇのか?」と、突然視界いっぱいに癖っ毛が映る。驚いて固まっているのをよそに、現れた男は「あーこりゃ分解しねぇとダメだな」と一人ぶつぶつ言いながら、私の手から無線機を取り上げて隣に座った。

 あまりにも自然な流れすぎて、突っ込むこともできないまま、「松田くん……」名前を呼ぶのが精一杯だった。

「心配すんなって。こんなもんすぐ直せるからよ」

 不安そうな表情をしていたらしい私に気づいた松田くんが慰めるように言ってくれる。そんな顔をしていたつもりはないけど、人の顔色をうかがうなんてことをしなさそうな彼が、細かいところを気にしてくれているというちょっとした特別感に胸がくすぐったくなる。

「うん、ありがとう……」



 それから松田くんは、あの夜と同じ真剣な表情で無線機をいじりはじめた。時計だけでなく、機械全般を扱うことに慣れているのか、彼の手によって無線機は見るみるうちに分解されていく。
 女の私とは手の大きさも指の太さも違うのに、機械をいじる彼の手はとても繊細でやっぱり美しく、見惚れてしまう。例えるならそう――

「魔法みたい……」
「は?」
「……ッ、ごめ」

 慌てて口を押さえるが、もう遅かった。松田くんが何言ってんだコイツという目で見ている。けど、嫌な感じはしないから、純粋に不思議に思っているだけかもしれない。
 松田くんの作業している手がいつの間にか止まり、私の顔を見て「はぁ……」と盛大にため息をついた。

「変な意味じゃないよ! 松田くんの指先って本当に魔法みたいだなって思ってるから。この前の時計もそうだったけど、機械が松田くんに直されて喜んでるように見えるし」

 弁解のために早口で捲し立てたものの、松田くんは一瞬呆れたような表情を見せてから、また深く息を吐き出した。

「……お前、ほかの奴にもそんなこと言ってんのか」

 低くて小さかったが、私の耳にはっきりと聞こえた松田くんの声はなぜか少しだけ怒気を孕んでいるように感じた。目は合わず、手元の無線機を睨みつけるように見ている。さっきまでの機械をいじって目を輝かせていた雰囲気とは違って、真面目なトーンだ。

「そんなわけないよ。ほかの人には思わないし、松田くんだからそう思ったの」
「……っ、そうかよ。……ならいい」

 そう言って頭を乱暴に掻いた松田くんは、ふたたび無線機をいじりはじめた。
 それから無言で彼の作業を見つめ、数分ほどで無線機は本当に直ってしまった。初めて彼の手際の良さを目の当たりにした同室の子は黙ったままずっと目を丸くさせていたので、思わず苦笑する。私も最初は驚いたから無理もない。

「これで問題ねぇだろ」

 松田くんが無線機の電源を入れて、チャンネルまで合わせてくれた。これで十五分は損をしたし、彼と組んでいるパートナーにも迷惑をかけてしまった。申し訳ないと思いつつ、実際に困っていたからとてもありがたかった。

「ごめん。また助けてもらっちゃったね」
「……別に。こういうの得意だっつったろ」
「うんそうだけど……でも、ありがとう」
「じゃあな」

 ぶっきらぼうな言い方で自分の席へ戻っていく松田くんを見つめながら、相変わらず無愛想だけど優しいんだよなぁと、思わず笑みをこぼした。
 直後、横目でそれを見ていたらしい同室の彼女に肘で小突かれる。

「なになに〜結構松田くんとイイ感じじゃない」

 からかい口調で言われた。ニヤニヤしている彼女は明らかに楽しんでいる。

「そ、そんなんじゃない、けど……」
「でも意識してるよね」
「……」

 断定されて、返す言葉がない。だって、実際私は松田くんのことを意識し始めている。彼の優しさに触れて、傍若無人という言葉だけで片づけられないことをもう知ってしまった。
 きっとたぶん、このまま彼との交流が続けば、好きになるのは時間の問題だろう。むしろ、もう片足を突っ込んでいる。

「あんたは思ってることを素直に口に出すからね。それは長所だと思うけど、勘違いも引き起こすから気をつけなよ」

 同室になってまだ二か月程度だけど、私のことを理解している口ぶりで彼女が言った。どういう意味だろうと、このときはあまり深く考えずに頷いて、ようやく私たちも課題に取り組みはじめた。