夢見がちなジュエルボックス


※このお話はつばたん2016の番外編です。先にこちらを閲覧することを推奨しています。

 隣の部屋に椎名翼という人が引っ越してきて早三か月が経とうとしていた。当初勘違いから始まった彼との接点は途切れることなく今も健在だ。まあ隣なので、顔を合わすことが多いのは必然なことかもしれない。
 容姿端麗な上に、どうやらサッカー選手らしく運動神経もいい。その界隈ではそれなりに名声を築いているのだとか。はサッカー――というかスポーツ全般に詳しくないのでよく知らないが、以前ネットで検索したらきちんとヒットしたので本物であることは間違いない。
 十一月を目前に控えた今日。十月三十一日といえば、世間はハロウィンで盛り上がる日だ。場所によっては若者がたくさん集まってお祭り騒ぎ状態になる。も数日前に友人から仮装して外へ行かないかと誘われたのだが、毎度のごとく金欠気味なので無駄な出費は避けたいということを理由に断りのメッセージを返した。
 無駄かどうかは置いておいて、そもそも人が多い場所にわざわざ仮装して出向くのが面倒くさい――という本音は本人には言ってないものの、実質断った理由がそれである。
 だから大人しく部屋でゆっくり過ごすつもりでいたのに。夕飯を買いにスーパーへ行こうとしたところで、例の隣人に遭遇してしまった。翼は友人四人を連れて、家に帰ってきたところのようである。

「もしかして今日このあと暇だったりする?」
「暇じゃないです! 今から夕飯を買いにスーパーへ行くので!」
「それを世間では暇っていうんだバカ」

 暇認定された挙句、余計な一言まで付け足されたはあれよあれよという間に翼の部屋で行われるという打ち上げなるものに参加する羽目になった。


 翼の部屋にあがるのは出会ったばかりの頃、本当の意味で金欠になり困っていたところに夕飯をご馳走してもらったとき以来だった。あのときは緊張と空腹で記憶も曖昧だったが、今回は正式に(強引ともいう)呼ばれたので堂々と敷居をまたぐ。
 間取りはの部屋と変わらないものの、性別の違いから置いている家具などはやはり異なる。一人暮らしだとしても物が少ないような印象を受けるのは、スペインで活動しているからだろうか。期間限定の滞在だとしたら物が少ないのも頷ける。
 玄関から真っすぐ行った先に広めのダイニングがある。そしてさらに奥にもう一つ部屋があるのが、このマンションの特徴だ。家賃が高いのもそのせいなのだが、は住む場所に金銭を惜しまない人間なので割り切っている。
 ダイニングには背の低い丸テーブル。六人で使うには少し小さいからとクローゼットから取り出した折りたたみ式の四角いテーブルが並べられた。どこに座ろうか悩んでいるうちに、自然と翼の右隣が空いていたのでさりげなく腰を下ろす。
 いきなり呼ばれたけど……。
 何の打ち上げかもわからない場に三か月程度の隣人を呼ぶ翼もどうかと思うが、友人たちも躊躇いなく了承するのはなぜなのだろう。打ち上げは普通身内でやるものではないのか。

「直樹、お前つまみばっか買ってきてどうすんの」

 机の上に置かれた袋の中身を見た翼は酒類に混じる、スルメやらナッツ類、スナック菓子、チーズ、柿の種、カルパスといった大量のおつまみを見てげんなりして言った。広がったつまみの一覧を見て、も確かにこれは買いすぎであると引く。を呼ぶ前提だったとしても、だ。
 翼の友人たち四人とはこれまでにも何回か会っているが、実にフランクで壁を感じない人間ばかりだった。溶け込みやすいという点では親しみを持てるし、大勢での騒がしいノリみたいなものが苦手なにとって彼らは比較的付き合いやすい人たちである。
 直樹と呼ばれる彼は唯一の関西出身で、何でも旧友を追って中学時代に東京へ来たらしいが本来は関西でサッカーをしている。

「別にええやんけ。六人もいたらこのくらい平らげてまうやろ」
「だからなんでつまみだけなんだっつーの」

 お調子者の彼に対して、鋭い突っ込みを入れるのは何も翼だけではない。一つ下だという黒川柾輝も、直樹に対して容赦ない言葉を投げかける一人だ。年下だというのに直樹と並ぶとどちらが年下なのかわからないことがある。
 二人が軽い言い合いをしている中、四角いテーブルにいる畑兄弟は早速缶ビールを開けていた。彼らは、趣味でサッカーをやるだけで、普段は家の理容室を継いで働いているという。
 こうして中学のチームメイトだという彼らと接点を持ったは、時折食事や飲み会の場に呼ばれては話に付き合わされている。しかし彼らの話といえば専らサッカーのことばかりでにはさっぱりなのである。「私がいる意味ありますか」と抗議しても、大勢のほうが楽しいという謎の理由で、ハロウィンの夜も一緒に過ごすことになってしまった。
 ひとまずも近くにあったアルコール度数が低そうな缶チューハイを開けて一口あおる。

「というか、何の打ち上げなんですか」
「フットサル大会優勝の打ち上げだよ。今日、決勝戦があって見事俺たちのチームが勝ったってわけ」
「翼さんたちってサッカーじゃありませんでしたっけ。フットサルってなんですか?」
「お前フットサル知らねえのか」

 聞いたことある単語を転がして考えてみたものの、サッカーとの違いがよくわからず結局尋ねる。柾輝が信じられないといった表情でを見つめてくるので、こちらも構えてしまった。変なことを言ったつもりはないのに、悪いことをした気分になってくる。

「興味ないんだろ。課題は徹夜するくせに、興味のないことには一切見向きもしないタイプ」

 まるでのことを何でも知っているような口ぶりで話す翼。まあ否定はしない。

「サッカーとは違うってことは知ってますよ。ただそれ以上は確かに興味がないので調べようと思ったことはありません」
「似てるようで違う競技さ。まず人数が異なるし、ピッチも狭い。狭い分オフサイドもないしね。ボールが外に出るとスローインじゃなくてキックで再開するのもサッカーと違う」

 得意げにずらずらと専門用語が翼の口から飛び出してくるのでは呆気にとられながらその様子を見つめた。
 翼の女のように可愛らしい顔を恨めしい気持ちで睨む。相変わらずの美顔で羨ましく思ってしまうのは仕方ないことだった。第一印象はお互いよくなかったが、知れば映画の趣味が合ったり、博識で話が面白かったり、サッカーのことになると少年のように目が輝いたり、かと思えば口が達者で相手を言い負かしたりと大人なのか子どもなのか時々わからない人だと思う。
 机の上に並べられたハロウィンとは無関係の菓子を一つつまんで口に放り込む。せめてそれっぽい包装のお菓子だって売っていただろうに、見事にどれもがいつでも買える菓子ばかりだ。

「なんかよくわかりませんが、サッカーと違うってことはわかりました」
「それ最初の認識と変わってねぇよ!」
「まあいいじゃないですか。それよりハロウィンなのにどうしてカボチャ味とかお化けの形したお菓子とかないんですか」
「心底どうでもいいわ」

 隣のテーブルでひっそり楽しんでいたと思っていた畑兄弟の弟・六助が横から漫才師さながらの突っ込みを入れてきた。なかなかの切れ味である。
 の打ち上げに対する文句はこのあとも酒が進むにつれてたびたび口に出されたが、結局同じものをひたすら消化し続けることとなった。


*


「ほら、これやるよ」

 と、手渡されたのは何やら可愛い長方形の箱に包まれた何かだった。打ち上げが終わって、四人が帰ったあとのことである。
 動物だろうか、不思議な色合いで描かれた独特のイラストの箱を開けると出てきたのはオレンジとブラックを基調にしたマカロンだった。備え付けの小さな紙に”ディアボリックマン デリシュー”と書かれており、意味は「やみつきになる悪魔的な美味しさ」らしい。ここにきてようやくハロウィンらしさが出てくる。随分お洒落なお菓子が突然現れたものだと、の酩酊する脳内が激しく驚いている。

「これは、どうして……」
「もらったんだよ」
「なんだ、貰い物か」

 のために買ってきてくれたとは思わないが、それでも少し期待してしまうのが乙女心というものである。翼がそういうのを気にする人間ではないとわかっているのにどこかでもしかしたら、なんて淡い期待を寄せてしまった自分が虚しい。

「ビンボー大学生が寂しく一人でハロウィンしてると思って取っておいたのにそういうこと言うんだ、ふうん」
「あー! 嘘です嬉しいですいただきます」
「素直に受け取れよな」
「いや、でもハロウィンは別に誰かと過ごす決まりなんてないですけど」

 小さなベランダに二人並んで都会の何気ない夜景を見ながら、はふと明かりがつく家々の一つひとつにどれだけの人たちがハロウィンを意識しているのか気になった。
 もともと日本とは無縁の行事だ、そこに意味を見出してハロウィンをする日本人はきっとほとんどいない。それなのに仮装したり、こうしてさまざまなお菓子が毎年出たりと、不思議なことのように思えた――というのを、どうやらは口に出していたらしい。

「クリスマスと一緒だろ? とにかくイベントを楽しみたいんだよ、意味なんて考えたってムダ」

 まったく正論すぎて何も言い返せない。そう、日本人はとにかくイベント事が好きなのである。メーカーもイベントにあやかってさまざまな商品を出すことで経済効果を生む。もがやがやしている人混みは苦手だが、雰囲気は好きなので典型的な日本人だ。

「まあ、そうですよね」
「お前いちいちそんなこと考えてるの? やめなやめな、大学生は大学生らしく課題のことだけ考えなって」
「大学生らしくって、翼さん大学経験ないでしょう。私だっていつも勉学のことだけ考えてるわけじゃないんですよ」

 いつも徹夜だの図書館だのと言っているせいか、彼の中では常に課題に追われている人間という認識になっているようだった。つい求められてもいない言い訳をしてしまったが、翼は大して気にした様子もなく視線はの手に握られている箱に注がれている。

「早く食おう」
「え、翼さんも食べるんですか?」
「まさか一人で食うつもり?」
「えーっと……」
「調子に乗るな」

 言って、翼はから箱を取り上げると乱暴にマカロンを取り出して軽々と口に放り込んでしまった。
 ああ、しかも私が狙ってたパンプキンクリームのやつ……!
 してやったりな顔でこちらを見下ろし(といってもあまり身長差がないが)、満足そうに笑う翼を憎らしく思う一方で、なんだか楽しいハロウィンの夜だと認めざるを得なかった。