九月の外出

 エースは駅前の大きな広場でソワソワしながらあちこちに視線を巡らせた。スマホをいじっている若い男、楽しそうに話している自分と変わらなそうな年代の女子たち、顔を付け合わせて一つの画面をのぞき込むカップル。あらゆる人間がそれぞれの目的を持ってここにいる。自分もそのうちの一人だった。
 クラスの女子となぜか出かける羽目になったのは昨日のこと。しばらく回ってこないだろう思っていた当番が二学期になってまた回ってきたので、エースは図書委員として昼休みと放課後に渋々当番をしていたのだが、間の悪いことに担当教員の司書教諭から使いを頼まれたのである。
 画用紙セット、折り紙、木工用ボンド三本、スティックのり五本。
 ンなもん自分で買えよ――エースは反論しかけたが、部活の指導で行けないから代わりに買って学校まで届けに来てほしいというのだ。あいにくエースも、そして同じ図書委員の彼女も部活がないせいで雑用を任されてしまった。
 こうして珍しく部活のない土曜日だというのに早起きしてこんな場所に突っ立っている。
 エースと同じように待ち合わせと思われる大学生っぽい男が誰かに向かって右手を振っている。視線の先をたどると、彼女らしき人物が見えてエースの横を通り過ぎて大学生の男と手を繋いでどこかへ繰り出していく。付き合っている男女はああやって手を繋ぐこともあるらしい。自分のことに置き換えて想像したらなんだか背中がムズムズしてきたのですぐにやめた。
 好きな女子を待つ時間とは、こんなものなのか。
 生まれてこの方女と二人きりで出かけたことなどないエースは、待ち合わせ相手のことを考えて頭を抱えたくなった。二年になって初めて同じクラスになった女子――しかもただのクラスメイトではなく、同じ委員会に所属し、エースが最近気になって仕方ない女子。鈍くさくておどおどしていて、こいつに頼めば断れないと思われている損な性格。
 最初こそ、エースはもじもじしていてはっきりしない女だと疎ましく思っていたが、当番を一緒にするうちに真面目で意外と肝っ玉が据わっていることがわかって興味がわいた。親友のことが好きなのだと誤解して無理やり告白させてしまうに至り、誤解は解けても自分の気持ちがよくわからずに結局クラスメイトとして以前よりは親密な関係という、なんとも言えない状態が続いていた。
 しかし、彼女がほかの男に罰ゲームで告白されあっさり流されそうになっているのを見てようやく自身の気持ちに気づいてからは、少しだけ彼女に対する態度も丸くなったと思う――

「遅くなってごめんね」

 考え事をしているうちに、前方から駆けてきたらしい彼女が息を切らせて現れた。遅くなってごめんと言うには待ち合わせ時間の五分前なので違う。家にいてもソワソワして落ち着かないからこっちが早く出てきただけだ。動揺を悟られたくなくて、エースは彼女から視線をそらす。

「べ、別にそんな待ってねェよ」
「そっか。えっと、文房具屋さんは本屋さんに併設されてたよね。私、よく行くから知ってるんだ」
「へェ」

 つまらない返事しかできない自分がクソダサい。もっとほかに言うことがあるだろうに、結局その一言だけ返したら会話が途切れた。
 彼女が、駅に直結している商業施設の中にその本屋と併設した文房具屋があると言うので少し後ろをついていく。一つに結んだ髪が、馬の尻尾のように揺れて妙にドキドキする。さっきはすぐに視線をそらしたから気づかなかったが、いつもの見慣れた制服ではなくしっかり私服だ。学校に届けに行くのなら制服かと思えば、授業日じゃないから気にしなくていいなんて随分と緩い教員だ。そのせいでエースは不意打ちをくらう羽目になった。
(クッソ……なんでワンピースなんか着てんだよ。可愛いだろうが。もっとテキトーな服で来いよ)
 別に彼女は何も悪くないのに、エースは身勝手に胸中で毒づいた。

 それにしても土曜日なだけあって、駅構内はかなり混雑している。遊びに来ている奴ら以外にもスーツを着た男たちが行き交い、人の動きは忙しない。これだとそのうち見失いそうなので、並んで歩いたほうがよさそうだ。
 ドン――!
 エースが歩を速めた直後、目の前の彼女が大男とぶつかって尻もちをついた。体格差がありすぎるせいで、彼女の体は踏みとどまれなかったようだ。しかし、急いでいるのか大男はぶつかった彼女を無視してエースの横をあっという間に通り過ぎて行ったので声をかける余裕もなかった。なんて野郎だ、女を吹っ飛ばして無視するとは。
 人ごみに紛れて見えなくなった男の方向をひと睨みしてから、エースは地べたに尻もちをついたままの彼女に手を差し伸べる。

「ったく、危なっかしい奴だな」おずおずと掴んできた細い手を引っ張り上げて、一応怪我がないことを確認する。鈍くさいのは外でも変わらないらしい。
 彼女はすっかり委縮して俯いてしまった。
「ごめん、なさい。つい浮かれて、前を見てなかったから……」

 発言の意味するところを考えて、ぶわっと全身に血が駆け巡る。顔に熱が集中する。うわ、なんだよこれ。エースは言いようのない恥ずかしさを覚えた。とっさに目の前の彼女から顔をそらして地面を睨みつける。
 つい浮かれて。
 きっとそういう意味なのだろう。恋愛に無頓着な自分でも理解できたし、こいつの好きな奴が誰なのか、自分が一番わかっている。彼女に対する気持ちを自覚する前は何とも思わなかった台詞が今じゃ心をかき乱すには十分で、会話もろくに続かない。たかだかこんなことで情けない話だが、エースはだいぶ彼女に心を奪われていた。
 しかし、こっちの動揺を気づかれるのは悔しい。「お前が好きなのはおれだろ」とか啖呵を切っておきながら、実際自分も好きになったらこんなふうに取り乱しているなんて知られるのは嫌だ。

「まァ、とりあえず前は見ろ。危ねェから」
「……うん、ありがとう」

 互いに目を合わせないで会話をする。掴んだままの手を離すタイミングを失ったエースは悩んだ末に「またぶつかると危ないから」と心の中で無理やり理由づけて自分を納得させ、そのまま目的の場所へ歩き出した。初めて触れた彼女の手は小さくて柔らかくて、少しでも加減を間違えたら折れそうで。妙な緊張感を抱えながら早く目的地に着いてほしいような着いてほしくないような、相反する気持ちがずっと渦巻いていた。