Kingdom of Lilie

「ここが監獄……確かにこの壁を抜け出すのは簡単じゃないな」

 独りごちてから扉をくぐって建物の中に入る。開けたときにギギギという金属の重たい音がして、外観からはわからなかったがどうやら思った以上に古いらしい。錆びた鉄の臭いに混じって饐えたにおいもする。えずきそうになるのを堪えて、最低限の鼻呼吸をしながら目的の場所までまっすぐ進む。
 リーリエ王国の城内に国最大の監獄があることは広く知られていることだが、その実態は世間には一切公開されていない。監獄といえば罪を犯した人間を収容し監視している施設ということこそ理解しているものの、実際は中にいる人間でなければわからないことだらけだ。
 そうした得体の知れない場所に足を踏み入れ、細くて長い廊下を抜けると視界が開けた場所に出る。アーチ状の高い天井と白いコンクリート造り。中央に見張り台を置き、そこから放射状に伸びた舎房が三つ。国花だというユリの形を模した電灯が等間隔に灯っているが、監獄には不釣り合いである。
 周囲を確認しているふりをしながら出入口の場所を確認する。来た道のほかに、別の場所へ続きそうな道はここからでは見えなかった。舎房の奥は脱獄防止のためか行き止まりのようなので、やはり詳しく調べるためにはしばらくここに居座るしかないらしい。

「お前が新入りか?」

 見張り台の中から突然ひとりの男が出てきて声をかけられた。白シャツにネクタイをきっちりしめて、光沢感の強い黒のダブルボタンジャケット、だぼっとしたボトムをロングブーツに入れた格好は自分の知る看守の制服そのものだった。歳は三十代半ば頃だろうか、若くはないがそこまで年老いているようにも見えない。ほかの看守はおらず、今はこの男一人だけらしい。随分と見張りが手薄で逆に心配になるほどだ。

「本日付で第七庁舎の担当になったリトです。よろしくお願いします」

 首から下げた許可証を見せて男に敬礼する。面接時には少しばかり声が高くて痩せているが、護身術を心得ているとアピールしていた。

「随分と頼りねェ奴が来ちまったもんだなァ」

 顎髭を触りながら全身を上から下に沿ってなめるように見られて思わずたじろぐ。今日が初日ということ、まだ看守服を着ていないことも相まって余計に弱々しく映るのだろう。小さく苦笑して、「すみません」意味のない謝罪を述べてからもう一度よろしくお願いしますと頭を下げた。
 リーリエ城内の監獄へ潜入を命じられたのは三か月前のことだった。国際植物学会――通称"国植会(こくしょくかい)"に名を刻む植物学者のロゼは、危険植物取扱課という極少数で運営されている部署に所属している。栽培禁止リストに登録された植物の回収、違法な取引の取締、危険植物の研究など仕事は多岐にわたるが、潜入調査を命じられたのは今回が初めてだった。
 世界政府に属さない――リーリエ王国がユキネツソウという禁止リストに記載された植物を違法栽培しているとの情報を入手したのがちょうど半年前。それどころか他国へ輸出しているという話も出ており、事態は急を要すると判断した国植会は早急に手を打つことにした。そして情報収集の結果、城内にある監獄に地下研究室があり、そこで秘密裏に栽培していることが発覚する。
 こうして三か月前に命を受けたロゼは、通常業務をこなしながらリーリエ王国の監獄へ潜入するため試験と面接をクリアして今日付でここの看守として勤務することが決まった。ちなみにリトというのは、潜入するために考えた偽名だ。

「上官から聞いた話じゃ、女みてェな奴だが根気と体力には自信があるって話だったな。それと……植物に詳しいとか」
「はい。まあ体力というより護身術に長けているんです。見ての通りこの容姿なので女に間違われることが多く、身につけておいたほうがいいだろうということで幼少の頃からやってます。植物はまあ趣味みたいなものですかね」

 スラスラと流れるように出てくる言葉はもちろん嘘だった(護身術が得意というのは本当だが)。女に間違われるも何も、ロゼは生物学上でいう"女"であり、男と偽ってここにいる。国の監獄にもいくつか種類があるが、事前情報で城内の監獄は男だけが収容されているという。囚人が男のみなら、当然管理する側も男だけになるというわけだ。
 そういうわけでロゼは男のふりをしてここへ潜入していた。国植会も無慈悲なことを命ずると嘆いたものだが、年々植物学者が減ってきており人手不足なので仕方ない。中性的な顔立ちのせいもあって、上司からは「お前は賢いからその頭脳でやり過ごせ」なんて無茶苦茶なことを言われた。とはいえ、いくらなんでもこんな大型案件を一人に任せるのは危険と判断した国植会は、万が一のために城下町で救援を待機させている。ロゼの懐にある子電伝虫は、だから本当に緊急事態のときにだけ使用許可が下りたものである。

「そりゃあいい心がけだな。ここにいる奴らは罪を犯した中でも特別級、精神的にも危ねェから用心するに越したことはない」
「はい。事前にうかがっています」
「だがツイてねェな。こんなひょろっとした男がよりによって第七庁舎担当とはよ。まっ、せいぜい頑張りな」
「ひゃっ」

 突然、男が尻を叩いてきたので思わず甲高い声を上げてしまった。激励のつもりだろうが、他人の尻を勝手に叩くのは同性といえども非常識な気がする。
 ロゼの声を聞いた男はあからさまに眉をひそめた。当然の反応だ。

「おいおい、本当に女みてェだな。大丈夫か?」
「先輩が急に尻を叩くからです……」叩かれたところをさすりながら答える。
「男が細けェこと言うな。大体そんな弱弱しい態度じゃあここでやっていけねェぞ」
「……?」
「今からお前が面倒を見る奴らの舎房へ案内する。とりあえずその頼りねェ服を着替えてこい」

 男は呆れたように言うと、見張り台の隣に併設された小さなスペースを示した。どうやらそこで看守服に着替えろという意味らしい。ロゼは荷物を胸に抱えて男から逃げるようにしてそこに向かった。


*

 併設されたスペースは臨時の場合に使用する、人が一人入れる程度の小さな場所だった。着がえてから近くにあった姿見で確認すると、やはり頼りないなと落胆する。普段はおろしている髪を一つに束ねて、胸にはサラシをつける。そうしたカモフラージュをすることでかろうじて誤魔化せている仮の姿は、制服こそ着るとどうにか様になるものの、貧弱な体だと言わざるを得ない。事前に体型を伝えてあるせいか、男性用の割にサイズはピッタリだ。
 スペースから出てきたロゼを先輩看守――アロンは最初と同じように上から下までじっくり品定めするように見つめた。視線が痛い。何を言いたいのか手に取るようにわかる。

「やっぱり頼りねェな」
「もういいですって。それより、舎房というのはこの三つに分かれた細長い場所のことでしょうか」

 これ以上言及されても困るので無理やり話題を変える。

「まあな。そもそも国民に公開している庁舎は六つなんだが、世間には知られてない七つ目の庁舎が一年前にできた。それがここだ」

 先輩は自身のいる建物を指さして、不敵な笑みを浮かべた。秘密を暴露するときのような、いけないことをしているときのそれに似ていた。
 慣れない制服で歩きづらいのを察してくれたらしく、先輩は歩を緩めてこの監獄について語りはじめた。
 リーリエ王国に存在する監獄は、基本的に各地方が管轄している。地域ごとに犯罪者を取り締まって刑を執行するのが原則だが、国が特例と判断した者のみリーリエ城の敷地内にある監獄の、秘密の第七庁舎へ収容されるようになったのが一年前。法を司る大臣から国へ報告がいき、定例会で決まるという。収容される人間は、テロ行為から国への反逆、スパイ活動など国家安全を脅かす存在はもちろん、精神鑑定の結果異常者と判断された者も国の監視下におかれるらしい。
 つまり、ここにいる人間は特別要注意とみなされる者たちだということだ。
 どうしてそんなふうに分けているのか、もちろん理由がある。そしてそれこそロゼの真の目的であり、国植会から命じられた任務だ。
 放射状に伸びた三つの舎房のうち、出入口から見て左側に位置する第一舎へ進んでいく先輩の後ろについて歩く。舎房に入ると、天井はガラス張りになっていて太陽の光が差し込めば明るいことがわかった。ただ、今日はあいにく曇り空なので薄暗い。左右に手前から第一房、第二房……と囚人たちの生活場所が視界に入ってくると、ピリピリとした妙な空気を肌で感じた。壊されないためか、頑丈そうな鉄格子の扉で廊下と舎房は隔たれている。
 第一房と書かれた舎房に何気なく視線を向けたとき、簡易ベッドで寝ていたはずの男がむくりと起き上がり鋭い眼光を向けられ、「ひっ」と思わず肩をすくめて視線をそらした。

「奴らとは目を合わせるな。特におめェみたいな弱そうな奴はすぐ狙われるぞ、堂々としてろ」

 物騒なことを言われて身がすくむ思いだったが、先輩の言うことは一理ある。ここでビクビクしていたら余計に弱い新入り看守だと思われてなめられるだろう。丸まった背筋を伸ばして胸を張る。囚人たちの視線を痛いほどに感じながら、けれど臆さず廊下を進んでいく。

「へェ、新しい看守様か。これまた随分軟弱な奴が来たもんだ」
「つーか女みたいじゃねェか?」
「名前教えてくれよッ!」

 舎房を通り過ぎるたび、野次が飛んでくる。閉塞感のある場所では刺激がなく、淡々とした毎日が続くためこうして鬱憤が溜まっていくようだ。特にここにいる人間は気性が荒い。

「うるせェぞ、メシの時間まで大人しくしてろ!」

 先輩が大声で叫ぶと、囚人たちは一気に口をつぐんだ。監獄では看守がルールであり、絶対的存在であることはロゼも理解している。上司からの情報によれば、ここで何か問題を起こした人間は処罰がより厳しくなるという。それが例の件と繋がってくるはずだが、その場所は一体どこなのだろう。この建物にはないように見えるので別の場所かもしれない。
 こうして考えているうちに気づけば一番奥まで来ていた。先輩が朝の点呼、朝食・昼食・夕食の用意、日中の労働、就寝時の見回りといった一日の流れを説明している中、ふと視線を感じてロゼは顔をその方向に向ける。
 第二十房の部屋だった。簡易ベッドに腰かけて、顔だけこちらに向けている。金色の髪に横幅はない体型だが、囚人服からのぞく腕や足はしっかり筋肉がついていて頑丈そうな男だった。暗くてわかりづらいものの、ほかの囚人たちと明らかに雰囲気が異質であることだけはわかる。似合わないのだ。この監獄という空間に。
 左目に傷が見られるが、精悍な顔立ちでそれまでの囚人たちにはない穏やかさを感じる。こんな服を着ていなければ犯罪者だと気づかないかもしれない。ロゼと変わらないほど若いのも気になる。どんな罪を犯したっていうの……?
 縫いつけられたように男から視線を外せないでいると、彼がふっと口元を緩めて三日月型に口角を上げた。

「……ッ」

 なに。どうして笑ったの。心臓が激しく鼓動を打つ。うるさい。鎮まれ。胸を押さえながら、ロゼは必死に平静を装うと目を閉じて深呼吸する。落ち着け、こんなところで動揺するな。私にはやらなきゃいけないことがある。