YUKINETSUSO

 革命軍がリーリエ王国の違法植物による人体実験の情報を得たのは半年前のことだった。
 世界のあちこちで紛争や内戦といった暴動が起き、避難を余儀なくされる一般人は大多数。そして有無を言わさず戦争に駆り出される一般人は主に屈強な男ばかりが選ばれる。リーリエ王国が反政府組織の人間を次々に監獄へ収容し、犯罪者予備軍と称して実際は戦争兵器を作り出していることを総司令官・ドラゴンは突きとめた。すぐに本部内で緊急会議が開かれ、早々に手を打つことが決まり、潜入調査にはサボが抜擢された。
 詳しいところによると、その植物には人間の筋肉を増強させて驚異的な身体能力を得られる効果があるという。それは戦闘において兵器として利用できるほどの能力を発揮するが、実際は一時的(数か月とも言われているし数日とも言われている)なものであり、体に相当な負担がかかるため、耐えられず死に至ることもあるらしい。国際植物学会が栽培禁止リストに認定してからは、急速な伐採と回収により市場に出回ることは減ったものの、最近になってリーリエ王国が秘密裏に栽培して人間に投与し、兵器として他国の戦争の手助けをしているという。
 栽培場所は、国の目が行き届くようにと城内にある監獄――さらに特別な庁舎の中にに作られた地下研究室だという。自分たちに牙をむく人間をターゲットにして監視し逆に利用する。随分と惨いことをするものだ。
 革命軍の目的は研究室の場所を突きとめ破壊すること。そして、罪を犯していない者たちの解放だ。七庁舎には確かに要注意犯罪者もいるが、反政府組織の人間は行動を起こす前から予備軍として収容されているのだ(第二、三の舎房にいる人間がそれにあたる)。そもそも国民が自身の生活に満足していれば反政府組織というものは生まれないはずで、不満があるということは、内政に何かしら問題があるのだろう。
 そういうわけで、サボがこの監獄に一人で乗り込むことが決まったのは二か月前だ。それも、確実に研究室へ乗り込める第七庁舎の囚人として乗り込むことが決まり、下準備を整えて一週間前ようやく例の庁舎へ潜入することに成功した。仲間は近くで潜伏しながら周辺調査をしていて、最後の作戦大詰めのところで乗り込んでもらう予定である。
 リーリエ城内の監獄は見た目こそそれっぽくないが、第七庁舎の舎房は囚人たちを逃がさないための頑丈な作りであることがよくわかる。おまけにほかの囚人とはほぼ接触が禁じられているせいで、よくある結束した囚人たちが脱走するなんて話は夢のまた夢だ。もちろん、一般的な場合の話だが。
 例の研究室についての情報は、一週間潜入してもつかめないままだった。唯一会話を許されている日中の労働と入浴中にさりげなく一か月前から収容されている人間に探りを入れたが、そんな施設は知らないの一点張り。それが本当かどうかはともかく、もしかしたら囚人の中でも限られた人間しか入れないのかもしれない。
 場合によっては、仲間にも潜入してもらい調査することも念頭に置く。サボが新たに作戦を練り直すことを視野に入れて迎えた二週間目の夕方。事態の変化は突然訪れた。
 この第七庁舎に新しい看守が現れたのだ。年齢はサボと変わらないか少し上、身長は百六十後半だろうか、すらりとした細身の男――にしては細すぎるというのが、サボが抱いた第一印象だった。髪は肩甲骨くらいまでの長さを一つに束ねている。中性的な顔立ちなので、指導員である看守の言う通り女と見間違えてもおかしくない。第一舎を案内されてここまで来たときは半信半疑だったが、翌日食事を運んできた際に確信した。この新人看守が男ではないということを。
 そういうわけで、彼女が朝食を運び終えたところを無理やり簡易ベッドに押し倒して少し鎌をかけたら案の定動揺した。「女だろ」という問いかけに彼女は答えなかったが、あの表情から見てまず間違いないだろう。容易にサボの手中に落ちた彼女は、あきらかに不慣れな様子で狼狽えていた。素性を隠してどういうつもりなのか知らないが、こちらの邪魔をされては困るので釘を刺しておいた。
 "余計なことはするなよ"
 言葉通りだ。サボの――革命軍の任務の邪魔をしてくれるな、という意味で彼女に言った。問題を起こせば看守の見張りが厳しくなりこちらも動きづらい状況に陥る。そうなれば、研究室の情報も入手しづらくなるし、仲間と連絡を取ることも難しくなる。
 たった一人の女の行動次第でこちらの計画がつぶされる可能性は大いにあった。だが、あの様子だと少なくとも戦闘慣れしているようには見えない上に、自分の顔を知っている様子もなかったので海賊や海軍、政府といった組織ではないだろう。サボはすでにお尋ね者であり顔も割れているので、潜入するにあたってカモフラージュが必要だったが、世界政府に属さないリーリエ国内には自分をよく知る者はいなかった。
 そうは言ってもこちらの任務を成功させるために、あの女の素性を知っておく必要がある。不安要素は潰しておくに越したことはない。どうにかして探りを入れられないか。サボは逡巡する。次に彼女と接点が持てそうな時間帯は――夕食の配膳か、就寝前の見回りか。
 はたして彼女は打ち明けてくれるだろうか。サボは、何に使われるのか用途不明な機械の掃除と国の伝統工芸品らしい国花が施された木製の楽器にニスを塗るという日中の労働に追われながらぼんやりとそんなことを考えていた。


*

 ユキネツソウが国植会で栽培禁止という結論に至った理由はいくつかある。
 ひとつは他の植物へ与える影響が挙げられる。ごくまれに自生して周辺の植物に悪い影響を与える植物があるが、ユキネツソウはその名の通り、冷と熱という相反する性質を持ち合わせた不思議な植物であるため、周囲の温度を極度に冷やしたり、また温めたりといった現象を起こす。それは当然ほかの植物に影響を及ぼし、時には腐食させる場合があった。実際、とある国では自生するユキネツソウのせいで農作物が腐るという事態が起きていた。
 学者たちは頭を悩ませた。ユキネツソウは一定量が疲労回復薬として医学界では重宝されているし、透明な花びらを持つ独特な見た目から観賞用としても世界に流通している。そのすべてを回収し、断絶するには莫大な時間と金が必要だった。しかし、近年の研究でユキネツソウには恐ろしい性質があることが発見され、そうも言っていられない事態になる。
 それは花粉に触れると死に至るということ。
 国植会が調査に乗り出したのは、とある島で女性が不自然な死を遂げたことに始まる。彼女は自宅の庭で水やりをしている最中、突然倒れてそのまま亡くなった。持病もなく高齢者でもない彼女の死に周りは不気味がって近づかなかったが、ユキネツソウを育てていたという事実を聞きつけた国植会が不審に思い調査を開始した。
 以前からユキネツソウは生態がよくわかっていない未知の植物だったため、毒を持つ可能性があると考えている学者も少なくなく、世界政府から研究費がおりたことでようやく本腰を入れて研究がスタートした。そこに、当時その道では最年少の十八歳で国植会に合格した新人の植物学者としてロゼも参加することになった。
 こうして一年に及ぶ調査の結果、ユキネツソウの花粉には触れるだけで死に至らしめる猛毒の成分が含まれていることが判明した。さらに世界各地の不審死事件を調べたところ、そのほとんどにユキネツソウが関係していることもわかり、国植会はすぐさま禁止リストに追加したのだ。
 今回、国植会がリーリエ王国に目を付けたのは、だからそうした知識がない者たちが無闇に育てて命を落とす可能性も危惧したからだ。今は偶然死亡者がいないだけで、今後はわからない。禁止リストに追加された植物をロゼたち専門家以外が手にすることは国際的に違法であり、ましてや諸外国へ輸出することは言語道断。本来であれば、国が国植会へ報告する義務があるのだが国ぐるみで違法行為をしているのだからこちらが直接摘発するしかない。
 二日目の夜。就寝時の見回りは、囚人たちが寝床についているかどうかを確認するとともに、ロゼにとってはチャンスだった。先輩看守が宿舎に戻って会議をしており、第七庁舎には見張り役で雇われている警備員、一本線の平看守の男とロゼの三人。研究室へ繋がる入口を探すには最適な時間帯だった。
 第三舎から順番に見回り、第一舎の手前に来たところでロゼの心臓が跳ね上がった。今朝、二十房の男――エルの前で醜態を晒したせいだ。不覚にも足元をすくわれ、押し倒されたロゼは彼から「女」であることを勘繰られた――というより、あの言い方は確信めいていた。気づいているのかもしれない。男装してここで何かを調べようとしているということを。
 最初に目が合ったときに覚えた不気味さはどうやら勘違いではなかったようだ。ただの植物学者でしかないロゼにもわかる、あの男は危険だということが。しかし、不思議なことに女だと勘繰られたあと、彼はそれを告げ口することなく淡々と作業をしていた。日中の労働は複数看守の監視の下に行われるが、彼がこちらの正体についてほかの看守に漏らすということはなく、黙々と手を動かしていた。もちろん、囚人が看守に対して接触できる機会は限られているし、勝手に行動することは減点対象になるので無闇に話しかけることはできないのだが。
 第一舎の廊下にブーツ音が響く。ロゼが着ている制服はどうやら女用のそれらしい。聞けば、サイズが伝えられたときに体格が男の標準値をだいぶ下回っていると話題になったようだが、当然ほかの監獄には女看守もいるのでそっちの制服を手配してくれたようだ。どうりでサイズに違和感がないわけである。
 相変わらず第一舎の囚人はガラの悪い連中ばかりだった。就寝前なので声こそ出さないものの、ロゼに向ける視線は新人看守を馬鹿にしているだけでなく、この貧弱な見た目に別の意味で興奮している者もいて、絶対に近づいてはいけないと脳が危険信号を発していた。今朝は油断していたが、本来なら護身術である程度対処できるはずだし、必要以上に恐れることはない――とは言ってもここに収容されている人間とは極力接触を控えたほうがいいだろう。先輩の言うように、ロゼのような人間は本当にカモにされる可能性がある。彼らの獰猛な目はただの脅しじゃない。
 物静かな廊下の奥まで来たとき、第二十房へ視線を向けるとなぜか男は鉄格子の前に立っていた。気づいたときにはすでに遅く、格子の隙間から伸びてきた彼の手に腕を引っ張られて勢いよく体を扉に打ちつけた。

「……ッ」
「そのままの体勢で聞け。いいか、不審な動きを見せたらお前の正体を言いふらす」
「なっ……」

 ぶつけた体の痛みもそこそこに、ものすごい力で手首を掴まれているせいで抜け出すこともできなかった。やはりこの男、ただの囚人ではない。おまけに今度は正体をバラすと脅してきた。ロゼは脳内で従うべきか、言い逃れをするか瞬時にシミュレートした。どちらのほうが、自分にとって有益なのか。そしてすぐにひとまず従うのが賢明だろうという結論に至る。彼がロゼに鎌をかけている可能性も捨てきれないが、迷っている暇はなさそうだ。ここで女だと叫ばれたら困る。

「何が目的なの」

 ほかの囚人たちに聞こえないよう小声で男に問いかける。

「認めるんだな、女だってこと」
「……あなたの言い方だともう確信してるんでしょう? だったら嘘つく意味はない」
「賢明な判断だな。なら単刀直入に聞く。お前が正体を隠してここへ来た理由はなんだ」

 耳元に響く男の低音がロゼの鼓膜を揺らした。そして、核心に迫る質問にごくりと唾をのみ込んでから観念するようにゆっくり息を吐き出した。