Reunion

 電伝虫の受話器を元の位置に戻したとき、ちょうど曙光(しょこう)が顔に当たってロゼは目を細めた。バルコニーに置かれたちょっと洒落た模様の椅子から立ち上がって大きく伸びをしながら息を目いっぱい吸い込むと、港から運ばれてくる潮の匂いが鼻腔をくすぐる。昨日の大火事がまるで嘘のようにここはとても静かだ。
 リーリエ王国、王都から東に逸れた港町のホテルから見下ろす海はブルーと淡いオレンジが混ざり合った優しい色合いをしている。こんなに美しい光景が見られる町も、非道な国王が統治する地域の一つだと思うと気分が悪いが。  人々が営みをはじめようとする夜明けの頃、ロゼは上司へ報告の連絡を行った。待機していた救援隊はすでに出航して国植会本部へ向かっている。ここに残っているのは、だからロゼ一人だけだ。
 報告すべきことは二つ。ユキネツソウの種子回収の失敗。それからユキネツソウによる戦争兵器としての利用の断絶。まあ二つ目は後から勝手に追加した任務だが。ともかくロゼがすべきことは終わった。種子回収の失敗について、上司は電伝虫越しに難色を示したが最終的に「燃えてしまったのならいい」と渋々納得してくれた。本来は研究対象として持ち帰るのが必須だし、植物に携わる者として燃やす行為は許されるべきではないのだが、今回は不可抗力だったと判断が下ったのでロゼはお咎めなしという扱いになったのだ。
 昨夜の火事発生から数時間後、後処理で慌ただしい第七庁舎(ほかの庁舎に影響はなかった)の喧騒に紛れるようにして監獄を後にしたロゼは、城下町で待機していた救援隊と合流して港町へ移動してきた。火事のことは当然周囲にも伝わっていたので帰ってきたロゼの姿を見て仲間たちはほっとした様子を見せたが、ロゼは自分が無事だったことを喜ぶよりも今回の任務にしこりが残ったままであることを気に病んだ。
 サボさん――
 作戦の前夜、革命軍の人間だと教えてくれた彼の安否をロゼは気にしていた。任務上、偶然出会った人だが、あのような後味の悪い別れは二十数年の人生で初めてだった。今思えば、あの時点でもう会う気がないとわかっていて「後で」などと言ったのだろう。つくづく嫌な人である。
 そもそもあの火事はやはり彼が――革命軍が仕掛けたものだったのだと思う。でなければ、都合よくユキネツソウの摘花のタイミングを狙えるわけがない。タイミングを知っていた外部の人間はロゼをのぞけば彼しかいないからだ。囚人を解放するために火事を起こしたというなら、彼らの目的はやはり戦争兵器の製造を止めることだったのだろう。
 ロゼが知ってる革命軍という組織は、世界政府と対立して世の中の悪しきルールを正そうとしたり、悪政をする国などでクーデターを起こしたり、そういった活動している。一般市民が本当の意味で自由に生きることができる世界を作ろうとしているのだ。民間組織の国植会に所属するロゼにとって、彼らの存在は確かに希望の星だが、現状は政府に楯突こうものなら資金援助を断たれる弱い立場であるため、不用意に隙を見せてはいけない相手だ。そのはずだったのに――
(どうして忘れられないのかなあ……)
 バルコニーに両肘を預けて夜明けの海をじっと見つめる。空の色がだんだんと明るみはじめて、太陽が水平線から顔をのぞかせていた。客船や商船がそろそろ港を出航する頃合いだ、立ち去る準備をしなければならない。ここに一人で残ったのは少しばかり感傷に浸りたかったからだが、余計に心にしこりを残したようで苦笑いする。どうせなら会わなければよかったな、と海に向かってぼやいたとき、背後でたんっと何かが地面を叩く音がした。

「会わなきゃよかったとは心外だな。あれだけ濃密な夜を過ごした仲だってのに」

 聞き覚えのある低い声が背中越しに聞こえ、はっとして振り返るとあのときと同じ悪いと思ってない不敵な笑顔のサボさんが立っていた。昨晩と違うのは、囚人服ではなく品の良さそうな青いシャツに黒いコート、そして皮手袋に洒落た帽子。これが本来の彼の姿なのだろう、とても似合っている。

「……幽霊、じゃないですよね」驚いたり喜んだりする余裕なんてなくて、とっさに出た言葉はまったく可愛くないものだった。
「酷ェ言いようだな、生きてるよ」
「死んだかと思ったじゃないですか。火事のこと教えてくれなかったし」
「悪い、こっちにも事情があってさ」
「その悪いって言葉、サボさんが言うと信憑性に欠けるので使わないでください」
「あのな……」

 サボさんが呆れたような声で言いつつ頭をぐしゃぐしゃかき回したかと思うと、急に真顔になって「無理ないか」と付け足した。そしてゆっくりこちらへ歩み寄って来て、同じようにバルコニーの縁に肘を預けたあと、頬杖をついて顔だけロゼに向ける。

「少し話せるか?」

 静かな低い声が風に乗って飛んでくる。
 ロゼはゆっくり頷くと、彼の手を引いて部屋の中に招いた。


*


 予想していた通り、火事を起こしたのは革命軍だそうだ。作戦決行の前夜に、仲間へ連絡を入れていたらしいサボさんは第七庁舎に火を放つよう仲間に伝え、自分は兵器にされている囚人を解放する任務にあたった。手術室にいた五人だけではなく、三舎だけでなく二舎の人間も犠牲者である可能性があったため、そっちには彼が呼んだ仲間が対応したそうだ。どうりで、ロゼが地上に戻ったとき誰もいなかったわけだ。鉄格子が壊されていたから、当然誰かが手引きしたのは間違いないと思っていたが、彼らがやったのなら手際の良さも納得できる。
 元々兵器製造の根源を破壊するのが目的なので、火事は計画していたことみたいだ。ロゼに知らせなかったのは、サボさん曰く計画に支障をきたさないためだとか。アロンをはじめとするほかの看守がいつどのタイミングで現れるかわからないのに教えるのはリスクが高い。要は臨機応変に対応できるか心配だったというわけだ。潜入調査が初めてのロゼには確かに知らないままのほうが、結果よかったのかもしれない。その分、苦汁をなめる思いをしたが。
 そういうわけで温室も手術室も失ったリーリエ王国は、革命軍が手配した国際警察によって摘発されることになった。今日のブルータイムズ(このあたりの地域で有名な新聞)の一面には今回の件が掲載される予定で、より一層反政府運動が高まるだろうとのことだった。
 ちなみにあの地下から脱出した方法はたまたま見つけた別の出入口から逃げたのだそうだ。第二温室の奥側にはさらに通路があって、進んでいくとなぜか城外に出られるようになっていて難を逃れたのだという(手術室同様に一目見ただけではわからない、大きな植物で隠されていた)。運のいい人だ。

「……そうでしたか。それであの扉から誰も出てこなかったんですね……あ、でも解放した囚人たちは?」
「あいつらは上手く逃げただろ。囚人だってバカじゃない、自分の身くらい自分で守れるさ。ま、誘導したのはおれの仲間だが」

 昨夜のカラクリを説明し終えたサボさんは、ソファに預けていた背中を起こしてテーブルの上のコーヒーに手をつけた。開け放ったバルコニーの窓からは朝の光が差し込み、階下からは町の喧騒も聞こえる。
 数回でコーヒーを飲み終えた彼はそろそろ行くよと立ち上がった。仲間を待たせているらしく、遠回りしてわざわざここに寄ったという。

「最後に聞いてもいいですか。どうして私がここにいることを知ってるんですか。あのあと私と一度も会ってないのに」
「それは、おれの仲間のおかげだ」
「……仲間?」
「お前の動向を追うように言っといたんだ。身長百七十くらいの女みたいな看守が第七庁舎近辺をうろうろしてたら尾行してくれって」

 平然と尾行とか言うのでロゼは戦慄した。じゃあ私って監獄を出たあとからずっと尾けられてたってこと? そうとは気づかず仲間と合流し、このホテルまでやってきたというわけか。あまりにも自分の行動が杜撰で落ち込む。
「気に病むな。おれ達はそういうのが得意なチームなんだ」と、慰めの言葉をもらったがあまり嬉しくない。だからユキネツソウの種子回収もできなかったのだと、自分と彼らの違いに傲慢にも悔しい思いを抱く。
 別れ際だというのに自分の居たたまれなさを突きつけられ、どういう言葉をかけたらいいか戸惑っているとサボさんのほうから近づいてきて、
「ほら、これ」
「わっ」

 ひょいと投げられたのは小さな麻袋だった。重さを感じないほど軽い。一体何が入っているのだろうか。サボさんをちらっと盗み見ると、ニコニコしながら早く開けろと言わんばかりに麻袋を指さすのでおっかなびっくり開いてみた。

「え……これって」
「燃え尽きる前に少しだけ見つけたんだ。少ねェだろうがないよりいいだろ?」

 サボさんがくれたのはユキネツソウの種子だった。あの火事ですべて焼けてしまったと嘆いたはずのそれが、まさか彼が気を利かせて持ってきてくれるとは最後の最後で大きな収穫である。

「じゃあ今度こそもう行くよ」
「あ、ありがとうございます! どうかお元気で」
「……」バルコニーのほうから帰るつもりなのか一度外へ出た彼は、しかしなぜか振り返ってロゼに目を向けた。
「サボさん……?」

 もう行くと言ったのに、彼の足はバルコニーから動かずにこちらをまっすぐ見据えている。言い足りないことでもあるのだろうか。難しい表情を作ってしばらく黙ったまま考え込むように俯いていたが、やがて思いの丈を打ち明けるときのような真剣な瞳がロゼを捉えた。

「なァ、その知識うちで活かしてみねェか?」
「……はい?」
「植物学者は薬草知識もあるって聞いてる。お前、最年少で国植会に合格したすげェ奴なんだろ? うちで学者兼薬師(くすし)として働くってのはどうだ」

 突然なにを言い出すのかと思えば、彼は革命軍に来ないかととんでもないことを言った。どうして急にそんな話になるんだ。別れ際に言うことではないし、そもそもそういうのは順を追ってから誘うべきで――こんなついでみたいに言わないでほしい。

「突然すぎて返す言葉が……え、私って今革命軍にスカウトされてるんですか?」
「口説いてるんだよ。おれが、お前の能力がほしいって言ってるんだ」
「く、くどッ……ていうか、さっきここへ来たときも濃密な夜とか誤解を招くような言い方はやめてください」
「なんだよ細けェな。すぐに返事がもらえるとは思ってねェし、ここで会ったのも何かの縁だ。次会うときまでに考えといてくれ」と身を翻した彼のロングコートが風に揺れて、まるでキザなどこかの王子様のように見えた。実際の彼は王子様には程遠いけれど。

「あ、ちょっと……サボさん!?」

 こちらがまだ良いとも悪いとも言っていないのに、自分の主張だけして颯爽とバルコニーから姿を消した(しかもなぜか下ではなく屋根のほうに行った)。勝手すぎる彼の行動にロゼは嘆息する。次に会える確証などどこにもないのに、あの自信は一体どこから来るのだろう。やっぱりよくわからない人だ。
 ロゼはテーブルの上の空っぽになったカップをシンクへ片づけると、自身も発つ準備をはじめた。 遠くから低くて長い汽笛の音が聞こえ、視線を窓に向けると港から離れた海の上に客船が見えた。