Tactics(2)

 事前に彼女から聞いていた通り、兵器にされた囚人を管理する部屋は温室の奥まったところにある観察室のようなスペースの壁の向こう側に存在した。一番奥の書架を横にずらすと、鉄の扉が現れる。研究室を地下に隠しておきながら、兵器はさらに見つかりにくいようにしているところをみると国の慎重さがうかがえる。
 彼女がユキネツソウを摘み取る囚人たちを見張っている間、サボはひとり抜け出して手術室の中に入った。なるほど、確かに医薬品の棚やベッドが並び医務室のような場所でありながら、手術台があることで手術室と仮に呼んでいると言っていたが的確な呼称だ。
 広さは温室の半分くらいで、中央に五つの手術台を置き、周りは机や棚、書架、そしてベッドなどの家具で囲まれていた。各手術台の上には囚人服を着た男が仰向けになっている。点滴を施しているのか、腕からは管が伸びていて今は静かに眠っているようだ。
 兵器を送り出している頻度はわかっていないが、ある程度の数にならなければ国も動かないだろう。だとすれば、この数はあまりにも少ない。第三舎の囚人がそうだと言うなら、経過観察を終えると舎房に戻されると考えるのが妥当だ。つまり、ここにいる五人とすでに経過観察を終えて兵器として体を作り替えられた第三舎の囚人たちが明朝に港へ運ばれる。

「惨いことしやがって」

 ため息交じりに吐き捨てたサボが早速仕事に取りかかろうとした、そのときだった。
 扉の向こうが何やら騒がしく、ばたばたと足音が聞こえてきたかと思うと扉が勢いよく開かれた。彼女が血相を変えて飛び込んできたので、サボは目を丸くさせてどうかしたのかと尋ねる。

「サボさん大変ですっ……第七庁舎で火事が……!」
「火事?」
「非常用の電伝虫が鳴って……応答したら先輩で、なんかわからないけど地上で火事が起こったらしくてッ……」

 軽いパニックに陥っているのか彼女の説明は、内容は理解できるものの拙い言い方だった。息が上がっているし、見るからにどうしようと困惑した表情をしている。そんなだからつけ入る隙があると思われるんだが……。という苦言をのみ込んで、サボは彼女の肩を掴んで落ち着かせた。

「事情は理解したが、お前はどうするんだ」
「地上もパニックになっているみたいなので、私は上に行ってみようと思います。幸い地下は火の粉が飛んでこないと思うのでユキネツソウは後回しでも大丈夫です。第一舎の囚人たちも血相変えて地上に向かいました……サボさんは?」
「おれはここに残ってこいつらを解放してから行くよ。後でな」

 と、手術台の上にいる囚人たちを示して彼女に答えた。一瞬渋った顔を見せたが、すぐに納得して「……わかりました。無茶はしないでください」看守よろしく敬礼をすると、じゃあ先に地上へ行ってますと早々に部屋を出ていった。
 サボより小さいが、百七十に近い身長と服装のせいかすらりとした印象の彼女が軽快な靴音を鳴らして駆けていく。思ったより足が速いらしい。戸惑っていた割に行動力はあるんだよな、と感心する。

「大体、囚人に向かって敬礼はおかしいだろ」

 すでにいなくなった彼女に笑いがこみ上げてくる。だが、すぐ真顔になってサボは自分の作業を再開させた。地下は確かに火の粉が飛んでこないだろうが、時間があるわけでもない。
 実は、彼女に対して一つだけ伝えていないことがサボにはある。
 地上が火事になっていることはサボの中ですでに知り得ていることだった。なぜならその指示を出したのは自分だからである。作戦決行の前夜、サボは待機している仲間にこう伝えていた。『十二時きっかりだ。場所は第七庁舎、中央あたりに火を放て。おれは地下でやることがあるから上はお前らに任せる』
 火事を起こせば、看守たちは火消しに気を取られ、地下の警備に手を回す余裕がなくなる。加えて囚人たちもこの騒ぎに乗じて、舎房から脱出しようと行動を起こす可能性が出てくる。そうなればますます監獄内は大混乱だ。しかし、それこそサボが望んでいる展開だった。第七庁舎が火事になることで、第三舎や二舎の囚人たちの誘導も混乱に乗じてしやすくなる。見張りがいなければ、この場所はあまりにも逃げるのに好都合な作りだ。城外に出るまでひたすらまっすぐ進めばいい。
 そういうわけで、サボは予定していた作戦の決行を仲間に伝えておき、自分は地下で任務の遂行という手筈になった。

「とりあえずこの拘束具をどうにかしねェと」

 手術台に縛りつけている男たちを拘束しているのは特殊なゴムでできたもので、普通なら解くのが難しいだろうがあいにく自分は普通ではないのでこういうのは――人差し指に炎をまとわせる。そのまま拘束具へあてると、ジュウウという焼ける音とともにゴムが溶けていった。同じようにしてすべての手術台の拘束を解き、眠っている囚人たちを起こすために周囲に炎を放つ。少々手荒な起こし方だが仕方ない。どのみちこうなることは昨日の夜に決まっていた。

「……あ、れ……おれ達は――熱ちッ! な、なんだこれッ」目を開けたら突然、炎の海なんて光景を見れば当然の反応だ。ほかの男たちも次々に「どういうことだ」「逃げないと」と慌てはじめる。

「起きて早々悪ィが、ここはすでに火事だ。今すぐ脱出してくれ」

 サボは混乱する男たちに向けて言った。顔色や話し方からユキネツソウの副作用はないようなので、このまま彼らだけで向かわせても問題ないだろう。同じ囚人服を着た男が何を言ってるんだという顔をしているが彼らに迷っている暇はない。ここにいれば直に巻き込まれる。
 混乱状態の中、今いる場所が危険であることは間違いないと判断した彼らは、訝しむ様子を見せながらも我先にと駆けていく。

「……あんたは大丈夫なのか」

 ほかの四人が部屋を出ていく中、最後に残った男が直前に振り返ってサボに心配とも不審とも捉えられる表情を向けた。仮にも反政府軍として過激な思想を持っている人間が他人の心配など珍しいこともあるものだ。

「おれのことは気にするな。やることやったら逃げる」
「……そうか」

 男は納得したのかしていないのかどちらとも言えない返しをして、一瞬だけサボを顧みるような目を向けたあとそのまま走って手術室を出ていった。
 一人残されたサボは、やれやれと頭髪をくしゃくしゃ掻き回して最後の仕上げをするために温室へ向かった。


*


 階段を駆け上がって第七庁舎の裏側に出たとき、ロゼは息をのんで言葉を失った。  建物はもちろん、周辺にも火が広がっていて想像以上に大事になっていた。看守たちの間では「消防隊は何をしてる」「くそっ舎房にも火がまわってる」「看守長はどこだ」すでにパニック状態に陥っていて、あちこち駆け回る姿が見受けられた。  舎房まで火が回っているということは囚人たちも危険なのではないだろうか。ロゼは近くで火の始末をしている恰幅のいい看守に問いかける。
「あのっ……庁舎の囚人たちは避難してるんでしょうか」
 それなりに声を張り上げたのだが、轟音に掻き消されて聞こえなかったのか反応がない。もう一度「囚人たちはどこにいったんですか!」さっきよりも声を大にして言った。
「あ? 今はそれどころじゃねェよ。この火を消すのが最優先だ」
「けどっ」
「うるせェな。新入りは引っ込んでろッ!」
「――!」
 男に突き飛ばされたロゼは受け身を取れずに地面へ背中を強く打ちつけた。衝撃にうめき声をあげたあと、「いっ、たあ……」背中をさすって体を起こしたロゼは、突き飛ばして何も言わずに平然と火消しを続ける男を睨んだ。この外道!
 こみ上げる怒りをどうにか抑えて、ロゼは自分の目で確認するために庁舎の中へ急いだ。


 庁舎に向かったロゼは、けれど火の回りが早くて中に入れずにいた。途中で先輩に遭遇し声をかけられたので、事情を聞いてみれば火元が庁舎の中らしい(正直さっきの件で気まずい思いだったが、向こうが何事もなかったかのように接してきたのでロゼもなかったことにした)。
 消防隊の到着が遅れているのか、消火栓からつながったホースで消火作業をする看守の姿が見受けられる。先輩は指示を出しながら一刻も早く火を消そうと必死だ。ロゼはその様子を見守ることしかできない。

「だ、誰がこんな火事を起こしたんでしょうか」

 ロゼが一番気になっていることだ。これほど大規模な火事を起こすとなると相当な労力が必要なことはもちろん、計画性もないと実行できない。少なくとも囚人が起こせる事件ではなかった。

「さあな。おれの知ったこっちゃねェが、庁舎の囚人達が脱獄したことを考えると手引きした奴がいるのかもな」
「……え?」
「なんだおめェ知らなかったのか。あいつらまんまとこの混乱に乗じて姿を消しちまったよ。庁舎はもぬけの殻だ」

 つまらなそうに吐き捨てた先輩が忌々しそうに庁舎を見つめた。ごうごうと激しい炎があがる第七庁舎はすでに原型がわからないところまできている。
 先輩の話によれば、火事に気づいたときにはすでに庁舎の三分の一が火にのまれていたという。すぐに囚人の安否確認を行ったところ、各舎房の鉄格子が壊されており、彼らは皆どこかに姿を消していたそうだ。つまり、最初から囚人を逃がすための火事だった……?
 しかしそんな用意周到なことを一体誰が――と考えたとき、ロゼの脳内で一つの可能性が浮かび、けれどまさかいつの間にそんなことが……。驚愕する思いでその考えに至ったロゼは、居ても立ってもいられず駆けだした。

「おい新入り、どこ行くんだ!」

 背中に先輩の声がかかるが無視した。確かめなければならない。彼が計画したことなのかどうかを。
 行く先は第七庁舎の裏手、地下へ続く扉があるところだ。途中で看守や警備員たちの怒号を耳にしつつ、ロゼはまっすぐその場所へ急ぐ。庁舎の東側を通りすぎて裏手に回ったとき、地下へ続く扉からやけに煙が出ていることに違和感を覚えて扉の中を覗こうとしたら、近くにいた看守に腕を引かれてバカ野郎と罵声を浴びせられた。

「地下も火の海だ。行ったら死ぬぞ」

 看守の言葉を、ロゼは最初どういうことなのか理解できなかった。いや、理解はしているがその事実を受け入れる準備が整っていないせいで心がとっさに拒否を示した。だってここにはまだ人がいるはずで、地下に火は回らないはずで。
 そのとき肩を強く掴まれて、はっと我に返ると怒鳴った看守が心配そうにこっちを見ていた。

「すいません、さっきまで地下で作業をしていたので……中に人がいたと思うんですけど、どこに行ったかわかりますか」

 取り乱した自分を落ち着かせるために努めて冷静沈着に質問する。あれから随分経っているし、賢い彼のことだから手術室の囚人を解放してすぐに脱出したはずだ。自分ごときに心配されるほど、彼はやわな人ではない――そう思っていたのに。

「さあ知らねェな。そもそもずっとこの辺りにいたがおれはここから出てきた人間を見てねェよ、死体になって出てこなきゃいいがな」

 ンなことより看守長が、温室が丸焦げになるって大騒ぎしてたぜ。ユキネツソウも全部燃えちまっただろうな。とか何とか聞いてもいないことをべらべらと喋り続けていたが、ロゼの耳には一切入ってこなかった。
 誰も出てこなかった。その事実にロゼは呼吸が止まる思いがした。入口は一つしかないはずで、ここから人が出てこなかったということは、言い換えればまだ中に人がいるということになる。死体になって出てこなきゃいいがな、という看守の言葉が何度も脳内で再生される。体の温度が急激に冷えていく気がした。

「嫌だ、そんなの……」

 掠れた情けない声だった。自分の喉から出たとは思えないほど頼りなく、次第に体も震えだす。
 地下の温室へ続く扉が激しい音を立てて燃えていく様子をロゼは虚しく見ていた。夜の闇に、鮮烈なほど真っ赤な炎がゆらゆら揺れる。消火作業をしている一方で、火の勢いはどんどん増していき、相変わらず早く消せという声があちこちで聞こえた。
 そのとき、ロゼの脳裏に悪びれた様子がまったくない男の顔が浮かんだ。ふざけていたり、真面目になったり、初めて喋ったときから掴めない人で、それなのに不思議と頼ってしまいたくなる、なぜだか信頼してもいいと思えたそんな人。

「後でって言ったくせに……嘘つき」

 知らずのうちに、ロゼの口からは彼に対する悪態がついて出ていた。もう会えないのだと理解した途端、心が悲鳴を上げたみたいに涙が溢れて止まらなかった。