Tactics(1)
男は隠し持っていた子電伝虫を取り出して、とある場所へ連絡を入れた。誰もが寝静まった頃、男の声が薄闇の中に溶けてこだまする。
「ああ、十二時きっかりだ。場所は第七庁舎、中央あたり――頼む」
簡潔に必要事項だけ伝えた男はそのまま静かに通信を切ると、戸外から入り込んでくる冷気に身を震わせて天井を見つめた。手筈は整えた。あとは流れに身を任せて、その場で対応していくしかない。
ふと脳裏に男だと偽ってここへ潜入している女の顔が浮かぶ。中性的な顔立ちのため、見た目こそ線の細い男だと言えば納得できるが、実際はもろくて危うい存在だ。騒ぎになっていないことのほうが、正真正銘「男」である自分からすると不思議なくらいである。だからといって情が湧いたというわけではない。こちらにはこちらの目的があるので、邪魔になるようなら見捨てる覚悟も――
そこまで考えてから男は無理やり思考を打ち切った。
いや、負担も何もこちらが勝手に彼女に賭けて、期待に応えて見事情報を掴んできたのだから手を差し伸べてやるのが義理ってものだ。男は冷たい鉄の床からそっと立ち上がると、ベッドに潜り込んで冷え切った体を温めるように毛布をかぶった。
*
作戦決行日の午後十一時。ロゼは第一舎の囚人たちを温室へ誘導していた。第七庁舎の裏側の小さな入口を例の五番鍵で開けると、囚人たちは「なんだァここ」「どこへ行くつもりだ」「おれ達に何をやらせようってんだ」だみ声で野次を飛ばす。当然ながら列に混じってサボさんもいるが、平然としていて表情が読み取れない。
彼らが舎房から出るとき、必ず手枷を付けることが義務付けられている。それはもちろん不用意な危険を招かないための対策であり、リスクを最小限にするためだ。特に第七庁舎の囚人は国から要注意人物だと思われているから厳重な警戒が必要なのだろう。ちなみにロゼが離れる直前、別の看守が庁舎に来て見張りを交代した。
狭い階段を下りて最初の温室を抜ける。数日前に通ったときと変わらず植物好きにはたまらない空間だったが、ロゼはそこに目もくれずさらに奥の温室へ進んでいく。途中で、温室を珍しく感じているのか立ち止まる者もいたが、「てめェら何もたもたしてんだ。さっさと歩け!」列の一番後ろから怒声が響いたので、慌てて緩めていた歩を急がせた。
作戦は早速難航を示していた。ユキネツソウの摘花直前に鍵を奪おうと先輩のところへ向かったのだが、お前だけじゃ頼りねェからおれもついていくことにしたと言って後ろからくっついてきたのだ。先輩が地下へ来るのはもう少しあとだと考えていたロゼを早速困らせる事態となり、どう対処すべきか考えあぐねていると、
「新入り。そろそろ説明したらどうだ、ここにいていい時間は決まってんだぞ」
嫌味ったらしい先輩の声が後ろから飛んできて、ロゼは嘆息してから中央のヤシの木をかき分けてユキネツソウの区画へ足を踏み入れた。誰が準備したのか、すでに箱詰め用の木箱がいくつも置かれている。
囚人たちもぞろぞろとヤシの木に隠された区画へ入っていき、視界に映る透明の不思議な花を見て次々に感嘆の声を上げた。
「お前らがやるこたァ一つ。ここにある花を摘み取って木箱へ入れろ。摘み取り方はそこの新入りが教えてくれる」
いきなり仕切り始めたかと思えば、急にこっちへ投げてきて忙しい人だなと呆れる。囚人の視線が一気にこちらへ向かい注目を浴びたロゼは、一瞬たじろいでから彼らの前に立った。
「これはユキネツソウという花です。摘み方は花茎(かけい)を二センチほど残して切りますが、絶対に素手で触れないでください。ゴム手袋を用意しているので必ず着用してから摘み取るようお願いします」
「いいか? これは日中の労働とは訳が違ェ。この国の経済に関わる重要な仕事だ、真面目に働かねェ奴は大幅に減点する」
ロゼが説明したあとに続く先輩の言葉に、囚人たちが見るからにざわざわした。夜中にいきなり連れてこられて労働しろ、ただし真面目に働かなかったら減点だなんて言われたら驚くのも無理ない。しかも真面目かどうかの基準は看守の主観的要素が大きい。一から六庁舎のことは知らないが、第七庁舎の独自ルールはかなり逸脱している。
ロゼは一人ひとりにゴム手袋とハサミを配り、「では各自摘み取って木箱へ入れてください」きりりとした表情で彼らに指示を出した。
ぶつぶつ文句を言っていた囚人たちが一斉に作業に取りかかる。サボさんも例にもれず、言われた通りにゴム手袋をつけてユキネツソウを摘み取っていた。
「じゃあおれは一度仮眠をとるために宿舎へ戻る。二時間後に向こうの作業があるからな」
作業をはじめた囚人たちを眺めていた先輩が例の奥の部屋を顎でしゃくって指し示すと、そのまま踵を返して温室を出ていくのでロゼは慌てて追いかけた。
鍵を奪うなら今しかないと直感的に脳が体へ動けと命令する。
「待ってください」
走って先輩を追いかけたロゼは急いだせいで、足がもつれて前のめりになりとっさに目の前のジャケットに縋った。「ひゃっ」しかし、上手くバランスが取れずにそのまま先輩を巻き込んで地面へ倒れ込んでしまい、結果的に彼を押し倒す形になった。
先輩が頭を押さえながら「痛ェな……」と機嫌悪くぼやいているうちに、ロゼは素早く行動に移す。すいませんと謝りながら床に手をつこうとしてわざと、「うわっ」手をひねったように見せかけて先輩の懐に手を忍ばせる。あった……! 目的のものが見つかり、今度はそれを自分の胸ポケットへ素早くしまう。
「すいませんッ、すぐに――」
「おい」
先輩から体を離そうとしたとき、けれど逆に腰を引かれて受け身が取れず、先輩に体を再び預けることになってしまった。「おれァ言ったはずだぜ。女みてェな声を出すなって。そういう趣味があんのか」と下から威圧感のある声で言われて、「ひっ」腰のあたりをするする撫でられた。
「どういうつもりか知らねェが、余程襲われたいらしいな」
直後、体が地面に叩きつけられかと思うと視界が反転し、先輩の顔が温室の天井と重なって見えた。
何が起きたのかとっさにわからず、ロゼは混乱する頭でこの状況をどう切り抜けるかを必死で考える。強い力で両手を掴まれていて逃げ出すのは難しい。得意の護身術もここまで追い詰められては発揮することができなかった。
「ちょっと先輩、冗談はやめてください。おれは男ですよ」
「んなこたァわかってる。けど、お前なら別にいいって言ってんだ」
「別にいいって……すぐそこに囚人たちがいるのに何考えてるんですかッ!」
「あ? ちょっとくれェ問題ねーだろ。真面目にやらなきゃ減点するって脅してあるんだしよ」
開き直って問題ないと発言した先輩に、ロゼは怒りで震えそうになるのを堪えた。
問題ない? あるに決まってんだろ。こっちは女だ、いくら見た目を隠していたとしても体に触れられたらすぐにバレる。
「ちょ……」
先輩の手がジャケットの中に侵入してきて脇腹を撫でていく。どうやら彼は本気らしい、目が据わっていて、力もさっきより強い。
このまま本当に襲われてしまうのだろうか。他人事のように思いながら、けれど必死で「先輩っ本当にどいてください……やめてッ……」うわ言のように何度も抵抗を繰り返していたときだった。
「マズいんじゃねェのか。看守がこんなところでそういうのは」
頭上で別の誰かの声がして、ロゼも先輩も同時に体が硬直した。
刹那――その誰かが先輩の胸倉を引っ張って突き飛ばした。「ってェな! 危ねェだろ――」と先輩が凄んで相手を威嚇しようとしたが、すぐに声がしぼんで口を噤んだ。そして我に返ったように「ハッ、こんなの冗談だろうが。おい新入り、勘違いすんなよ。これは事故だ」
「あ、ちょっとせんぱ……あーあ、行っちゃった」
先輩が捨て台詞のように言うので呼び止めようとしたのに、見つかって極まりが悪いと思ったのか逃げるようにして温室を出ていった。階段を駆け上がっていくブーツの音が段々と遠ざかっていき、やがて一切の音が聞こえなくなると、放心状態で動けなくなっているロゼの頭上で呆れたようなため息がこぼれた。
視線だけそっちに向けてから、ようやくその人物の正体に気づいてロゼは乾いていた喉の奥から声を絞り出した。
「ありがとう、ございます……」
「……」
「サボさんが来なかったらどうなっていたか」上半身を起こしてひと息ついてから、「でもちゃんと鍵は盗めましたよ、ほら――」と胸ポケットから奪った鍵を取り出したとき、
「お前は危機感ってものが薄いな」
冷たい声がした直後、両手首を頭上でひとまとめにされ再び背中を地面につけていた。目を見開いているうちに馬乗りにされて身動きが取れない。彼の顔がぐっとロゼに迫る。
「おれは、男に興味はねェがお前は女だ」
見下ろされている瞳からは感情がまったく読み取れない。昨日の彼とは別人のようだった。
「な、何の冗談ですか。今から手術室で囚人の解放をするはずじゃ――」
「ああそうだ。けど、その前にここでお前を襲っても問題ねェだろ?」
「なに言ってる……あ、ちょっとどこ触って……ッ」
彼はロゼの両手を拘束していないほうの手で、制服の上から腿を撫でた。服の上からなのでただ布が擦れるだけなのだが、逆にそれがくすぐったくて変な感覚を生み出している。拘束から逃げようと身をねじってみるものの、彼の強い力の前では無駄な抵抗に終わる。それどころか、ジャケットのボタンをはずしネクタイも緩めていくのでいよいよ恐怖がこみ上げてきた。片手のくせになんて器用な男だ。
露わになった白シャツの上から彼の人差し指が喉元から滑り落ちていき、胸のあたりで停止する。サラシを巻いているから膨らみはわからないはずだが、それでも?女?であることを意識させられたようで、ロゼはかーっと頬に熱が集まるのがわかった。
「ほんと、いい加減にッ……」
「なーんてな」
ロゼが怒りを露わにして男を睨んだのと同時に、おどけた調子で声をかぶせてきた彼がにっこりと笑った。その瞬間、拘束していた手が解放され、馬乗りになっていた彼が離れていく。訳が分からず混乱する頭でぼうっとしていると、「……悪い、驚かせちまったか」ばつが悪そうな顔で彼がこちらを気遣うような目を向けてきた。
「はあ?」
ついうっかり大きな声で叫んでしまい、慌てた彼がロゼの口を塞ぎにかかった。
「悪かったって。ちょっと脅してやろうと思っただけだ」
何がちょっと脅してやろうと思っただけだ。結構本気でのしかかってきたくせに。ロゼは第一温室(囚人たちが作業している部屋を第二温室として仮にそう呼ぶ)の綺麗に区画された光景を睨みながらむすっとした顔で彼の話――言い訳を聞いていた。
聞けば、心配になってこちらの様子を見に来てくれたらしいが、こちらが余りにも無防備でいるから少し懲らしめてやろうとか何とか……。まったく意味がわからないので、ロゼは思うままに意味がわかりませんと不機嫌さを隠さずに言った。
けど助かったからよかっただろ、とまるで反省の色がない彼の発言にますますロゼの表情は曇る。こっちは女だとバレるかどうかの瀬戸際で、おまけに貞操の危機に陥っていたところだというのに、この男ときたらまったく悪いと思っていないじゃないか。
ロゼが憤慨して「鍵、渡しませんよ」と軽く脅す。よく考えたら今の自分は彼より立場が上なのだ、ここで非常用電伝虫を使って囚人の一人をつまみ出して舎房に拘置することもできる。それに彼は自分を革命軍の人間だと言っていた。確か彼らは世界政府と対立している組織だし、どちらかというと政府側の指示に従うことが多い国植会のロゼからすれば近寄らないほうがいい相手ではある。
ロゼの脅しに、彼は苦笑してから「本当に悪かった。ごめん。任務はちゃんとしなきゃいけねェよな」と後半部分は、ロゼに対してというよりは自分自身に言っているようだった。冗談っぽくなったり、真面目になったりよくわからない人だなと一気に体力を削がれた思いで彼を見やってから、わかりましたもういいですと投げやりに返した。
場を仕切り直して、ロゼは彼と向き合いながら先輩の動向を彼に説明する。
「兵器はどうやら二時間後に動きがあるようです。仮眠をとってからくると言っていました」
「ってことは今が中にいる奴らを解放してやる絶好の機会ってわけか」
「はい。第七庁舎には見張りの看守や警備員がいますが、ここは今のところ私ひとりみたいですし」
「とはいえあまり悠長に構えるわけにはいかねェな」
と、サボさんが当たり前みたいに言うので「そうですねふざけてる場合じゃないですよね」ロゼは軽蔑の視線を彼に投げた。
「……根に持ってんなァ」
苦々しく笑ってこめかみあたりを掻いた彼を見て、あれと首を傾げた。舎房を出たときにはしてあったはずの手枷が彼の手元から消えている。
「サボさん、手枷はどうしたんですか?」
「ん?」
「いや、ほら……手枷してあったでしょう? どこいったのかなーって」
「あーあれか。壊した」
笑顔でとんでもないことをのたまった彼にロゼは驚愕の声を上げつつ、けれどいちいち指摘して怒るのも馬鹿らしく思えて、そうですかと短い返事だけしてから例の鍵を渡した。
先輩のあの様子からして鍵を盗まれたことには気づいていないだろうし、ジャケットの中を気にすることも手術室を開けるときまでなさそうだ。意外とうまくいくものだなと自分のことを胸中で褒める。任務が終わって国植会に戻ったら報告書に、兵器についても記載しなければ。
「ありがとう。ところでお前はユキネツソウの種子は回収できそうなのか? あの花壇にあるのがすべてじゃねェだろ」
「いえ、それがまだ……あの温室のどこかだということは間違いないと思いますが」
実は種子の隠し場所に関してはまだわかっていない。輸出する花は木箱を処分すればいいが、種子はあればあるほど花を生みだしてしまう。いくら育てるのが難しいといっても、植物に詳しい人間がいれば花を咲かせることはできるし、根本的な解決にはならない。ロゼは、だから何としてもここにあるすべての種子を回収する必要があった。先輩が戻ってくるまでの時間がロゼに用意された時間だ。
こちらの答えにサボさんは何か思いを巡らせているようだったが、しばらくぼうっと一人で考えていたかと思うと急に納得したような顔をして口を開いた。
「まァ探せばそのうち見つかるだろ。あまり気負うのもよくねェよ」
根拠のない台詞にロゼはたじろいで言葉に詰まる。確かに初めての潜入調査任務で気負っている自覚はあるが、そこまで軽く捉えるには、ロゼはまだ任務に慣れていない。革命軍の彼と同じ土俵で扱われては困る。
「……とにかくあなたは早く手術室に行ってください。私が彼らを引きつけますから」
「頼む」
鍵を握りしめたサボさんが第一温室を抜けて隣の温室に向かったので、ロゼも急いで後を追った。