Assignation 2
あの夜から彼女はサボとの接触を極力避けるようになった。当然と言えば当然だったが、彼女の行動がわからないのはこっちとしても困るのだ。今のところ特に問題は起きていないので安心していいだろうが、妙に危なっかしい面があるから目に余る。護身術に長けているとか何とか言っていたくせにサボにはあっさり捕まったし、少し脅されただけで身分を明かしている。ここにいる連中は一般人とはいえ犯罪者や反政府軍、屈強な看守たちだ。捕まったら彼女は一溜まりもないだろう。
とはいえ彼女はああ見えて賢い。サボの思惑が上手くいけばあるいは――
潜入してから二週間が過ぎようとしていた日の夜。そろそろ彼女に接触して、情報を聞き出せないかと考えていたときだった。鉄格子が二回、規則的な音を立ててサボはそっちに目を向ける。
廊下側が暗くてわかりづらかったが、扉の前に立っていたのは彼女――ロゼだった。そうか、もう見張りの時間か。
「開けるので何も言わずに黙って従ってください」
小さな声でそう言うと、きいっと錆びた音とともに彼女が舎房の中へ入ってくる。信頼できるような間柄ではないのに、易々と得体の知れない男の舎房へ入ってくるとはやはり危機管理が不十分だと説教でもしてやろうかと思ったが、あの日の夜とは違い、なんだか覇気のない様子で面食らう。何があった……?
「どうした。何かあったのか」
聞いてしまったのは、ほぼ反射的なことだった。なんとなく気になって、気づいたら口に出ていた。俯いている彼女の表情が見えないのがもどかしく、サボはベッドから立ち上がるとそっと肩に触れてからもう一度「どうした」と尋ねた。
「……あなたは、知ってたの……?」
少し間があってから顔を上げた彼女の表情は、なぜか今にも泣き出しそうに見えた。窓から差し込む月光でそれがよくわかる。眉が下がり、中性的で大人っぽい顔がひどく幼くなって、これでは男どころか看守としての威厳も感じられない。
しかし同時にサボは理解した。ユキネツソウの栽培のことしか知らなかった彼女が、この国の闇にたどり着いてしまったのだと。
「見たんだな?」
「囚人が兵器にされています。ユキネツソウの効能は確かに人智を越えた力を与えるって言われてますが、それは必ずしもプラスに働くわけじゃない。それに――」言葉を区切った彼女が唇を噛んで再び俯いた。それから何かを振り払うように頭を横に振って「体に負担をかけるから、苦痛を伴うのッ……」と強い口調で吐き出すと、ついには涙を流しはじめた。
「おい落ち着け。大声出したら周りに気づかれるだろ」
「ぁ、う……ッ……く、」
声は抑えめにしているが嗚咽が止まらないようだ。ったく、これでよく潜入調査が務まるな。
呆れつつ、一度気にかけてしまったために冷たくあしらうこともできなかった。
「泣くなって」
サボはたまらず彼女の背中をさすってやった。尚も嗚咽を漏らす彼女の拳が弱々しくサボの胸を叩く。「植物をあんなふうに使うなんて許せない」小さい声だったが、そう言って悔し涙を見せた。百七十に近い身長の彼女がそのときばかりはとても小さく感じて、気づけばその身体を抱きしめていた。やはり男とはかけ離れた柔で脆い女そのものだ。
サボは短く嘆息すると、彼女の涙がおさまるまでずっと背中を撫でていた。
「先ほどは失礼しました」
コンクリートの床に頭をぺったりくっつけた彼女が突然謝るのでサボは眉をひそめた。互いに潜入中とはいえ、看守が囚人に向かって頭を下げるなど居心地が悪く感じる。見られでもしたらどうするつもりだ。
「もういいよ。それよりお前が得た情報を教えてくれるか」
いつまでも彼女がこの姿勢だと困るので早々に話題を変えたサボは、ベッドに腰かけながら彼女の言葉を待つ。
あのあとしばらく声を押し殺しながら泣いていた彼女はふと我に返ってサボから急に離れると、乱暴に涙を手で拭った。取り乱した姿を見られたのが余程恥ずかしかったのか、下を向いてもじもじしていたのだが、ようやく落ち着いて話せるようになった。
彼女の言動から研究室を見たのは間違いないし、いよいよこちら側も動く手筈を整えなければならない。だからこそ時間が惜しい。彼女は看守であり、個人の舎房に長居することは立場を悪くする。
「栽培場所は第七庁舎の真下です。入口はここを出て裏手に回った先にあります」
「鍵は? まさかそのまま入れるわけじゃねェだろ」
「見張り台のキーボックスの五番と書かれたものがそれです」
「なるほどな」
二週間何も掴めずやきもきしていた気持ちがようやく晴れるようで思わず笑みを浮かべていると、目の前から視線を感じて「ん?」と相手の顔をうかがう。
「あなたは一体何者なんですか。囚人、じゃないですよね。サボさんでしたっけ……どうしてここに?」
さっきまで泣いていたとは思えないほどまっすぐで正義感の強そうな瞳がサボを見据えていた。弱いのか強いのかよくわからないなと苦笑する。
聞かれるだろうことは予想していた。サボという本当の名を明かしたのも一種の賭けで、彼女が自分を不審な――ただの囚人ではないと認識するのを見越した上でのことだ。危なっかしい女だが聡明で、賢い判断ができることはわかっていたから、サボが本当は囚人ではなく何か理由があって潜りこんでいる彼女自身と同じ側の人間だと気づくはずだと。そして情報を掴んだ彼女が取るべき行動は二択。一つはこれまで通り、単独で任務を遂行すること。もう一つは自分の正体を見破った怪しい男に打ち明けて協力を仰ぐこと。
後者になることに賭けて、本来の名を明かしたのだ。そしてその賭けに勝ったサボは、今彼女から何者かと問われている。
「そうだな。ここからは互いのことを知っているほうが何かと動きやすいだろうし、おれの話をしよう。だが今日はもう帰れ、これ以上いたらお前が怪しまれちまう」
幸い、明日は二週間に一度の自由時間が設けられる日だ。接触する方法は今日より安易になる。看守――それも新人である彼女とあまり一緒にいると、何か裏があると思われるから極力ひと気のない場所がいいだろうが。
「ほら早く」
ぼうっとしている彼女を促して立たせると、ちらりとこっちをうかがう仕草を見せてから、「わかりました」と素直に扉のほうへ向かい、舎房を後にした。
*
第七庁舎の規則には、二週間に一度の自由時間というのが存在する。
日中の労働が午前中だけになり、午後の夕食までの時間を庁舎内に限るが自由に過ごしていいのだ。彼らは外部との接触が禁じられているため、家族や恋人、友人に会うことはできないが、監獄内には図書館や吹き抜けの庭など囚人たちが自由に行き来していい場所がある(もちろんあちこちに監視の目はある)。
サボという男から指定されたのはその時間帯に第二十房へ来ることだった。普段なら全員が舎房にいて細心の注意を払って会話をしなければならないが、自由時間の場合ほとんどの人間が舎房を出て外の空気を吸いに行くのだという。彼もまた初めての自由時間のようだからほかの囚人から聞いた話だそうだ。
昼食後、ロゼは宿舎から第七庁舎へ向かっていた。囚人が自由に過ごす間、看守は交代で見回りや書類仕事をする時間になっているので問題がない。宿舎と各庁舎を繋ぐ廊下は城から入って来たときと同じ、暗くて薄気味悪いところだ。庁舎が意外に清潔な雰囲気を感じるのに対して、廊下や労働場所は古臭く見えてしまうのは仕方ない。
第七庁舎まで来ると、ようやくガラス張りの天井の舎房が見えて明るい雰囲気を感じる。ロゼは迷うことなく第一舎の奥へ進み、二十房を目指す。あの男が言っていた通り、本当に外へ出ている人間が多いらしい。ほとんどの舎房がもぬけの殻で、しんとしている庁舎がいつも以上に静かだった。奇異な視線を浴びることもない。
今日はよく晴れているからか、太陽光が天井からよく降り注いでいる。監獄という陰鬱とした施設な分、自然の光が当たる場所は心の安寧を保つのに適していた。二十房の前に立ったとき、彼は入口の近くでこちらを招き入れる準備ができているかのように「よお」とまるで親しい間柄にするような挨拶をしてきた。
「……随分と余裕ですね」
「まァ、こういう危険は何度も経験してるからな」
嫌味のつもりで言ったのに、彼は意に介したふうもなく愉快そうに鼻を鳴らした。昨日の夜、この男に泣き顔を晒してしまったことを思い出し、また羞恥がこみ上げてきそうなところを慌てて振り払う。
今日ここで彼と会う理由はほかでもない、ユキネツソウの輸出と人間兵器の製造を食い止めるためである。あの晩に見たこの国の闇と、先輩から言い渡された仕事内容。それを彼に共有し、協力を仰ぐことがロゼの目的だった。国植会の人間として、種子回収は任務達成の絶対条件だが、植物を殺戮兵器に使うことは植物学者として看過できない。何としてでもやめさせなければという思いだった。
「あなたには私が見たこと聞いたことすべてお話しします。だから……私に協力してくれますか」
これは賭けだ。目の前の男が何者かわからない。昨日は自分のことを話すと言っていたが、それも本当かどうかロゼには確かめる術がない。だから、この人を信じてこちらの想いを託すしかなかった。
しばらく沈黙が続いた。男は舎房の壁に寄りかかって何かを考えるように窓の外を見ていた。舎房の窓は脱走防止用ではめ殺しになっているため開閉することはできないが、外の景色は見えるようになっている。ここからだと監獄内の庭が見えるはずだ。
そうしてどのくらい待っただろうか。視界の端で男が動いたのがわかり、視線をそっちに流して様子を眺める。入口に立つロゼのそばまで歩み寄ると、ふっと口元を緩めた男と目が合った。
「つまり明日の夜、国が動くってことか」
背の低い机に頬杖をついた男がペンを走らせる。紙の上にはこの監獄の見取り図と行動可能な範囲を線で示した簡易的な絵が描かれていた。ロゼは隣で相づちを打ちつつ、現状と昨日先輩から聞いた話をまとめて説明した。
「彼らはユキネツソウの摘(てき)花(か)と兵器の輸出を同時に行うと言っていました。そしてユキネツソウを投与された人間は経過観察に二日を要するとも。となると、明晩に事が起きるのは間違いないです。ただし、兵器は具体的な時間が知らされていません」
先輩から受けた命令は、ユキネツソウを摘み取り箱詰めする作業を第一舎の人間にやらせるからお前が指揮をしろということだ。保存がきくユキネツソウは、摘花後一か月以上放置していても枯れない不思議な性質を持つ。冷凍保存していればさらにそれ以上花を枯らせないことも可能だ。
しかし、ユキネツソウは育てるのが難しい植物としても有名で、常に十五度〜二十度を保つ必要があったり、地面が乾いたときのみ水を与えたりといった条件があるため一般人が育てるには根気がいる。少しでもその条件から外れると花が咲かないデリケートな植物なのだ。
「そうか……兵器にされてる人間はここじゃなくて向こうの奴らだったんだな」
ぽつりと呟いた男は複雑な表情で鉄格子の先を見つめた。ここからでは見えないが、七庁舎には第二、第三と舎房が続く。きっとユキネツソウの犠牲になった人々へ思いを馳せているのだろう。
看守長たちの話から考えて第三舎の人間があの手術室で犠牲になっていると思っていい。一年前からということは、すでに何人もの犠牲者が出ていることになる。国に逆らう側の人間だからそれ相応の罰を与えているという感覚に違いない。正気の沙汰とは思えず胸が痛んだ。なんとしてでも阻止してユキネツソウの栽培をやめさせたい。
「私は植物学者としてユキネツソウを兵器に使うことに断固反対します」
「……それで? お前はどうする」
男の目が挑戦的に光って見えた。ロゼと年齢がそう変わらないはずの彼は、すでに何度も死線をくぐり抜けてきたような面構えをしていて、こちらを試しているみたいだった。お前に何ができるのかと――
「私はユキネツソウの摘花を任せられています。なので、そこから動くことは無理でしょう。手術室のほうはあなたに一任するしかない」
「けど、その部屋にもまた別で鍵があるんだろ?」
「はい。それは先輩――アロンという看守が肌身離さず持っているのですが、そこは私に考えがあります」
地下の温室に入るための鍵は先輩からキーボックスの五番だと教えてもらったが、いわゆる秘密の部屋への入口は先輩が所持している。そしてそれは、あの晩見間違えていなければジャケットの左内ポケットの中だ。つまり、先輩から奪い取るしかない。
「私の作業は日付が変わる前、午後十一時と言われています。なのでその作業に入る直前、先輩から奪ってあなたに渡します。あとこれは私の予測ですが、港へ運ばれるのは明朝だと言っていたので、兵器はきっとユキネツソウの摘花よりもっと後だと思うんです」
「そこが狙い時ってわけか。だが……いくらなんでもその時間まで誰も来ないわけじゃねェだろ。ほかの看守の動きはわからねェのか?」
「問題はそこです」
ロゼは見取り図のある箇所を指さした。第七庁舎の真下、研究室――あの温室があった場所だ。
当日、第七庁舎の人間で温室に行き来することが考えられているのはロゼのほかにアロン、そしてあの日白衣を着ていた看守――極力人目を避けたいだろうから、余計な人間はたとえ看守であっても入れないようにするはずだ。かといって警備が手薄だと万が一の事態に陥ったとき困るので念を入れてほかの看守や警備員が数名出入りする可能性もある。
「この場所に出入りできる人間は限られているのでそこまで警戒する必要はないと思いますが、ここはアロンが取り締まっているようなので正直当日になってみないとなんとも……」
自信なさげに答えてからロゼは男に顔を向けると、難しそうな表情を作って考え込んでいた。それもそうか、実行するには少々リスクが高い任務だ。見つかったときに非常電伝虫でも鳴らされれば、ほかの看守たちまで呼び寄せることになり事態は悪い方向に転がる。そうなったら種子回収どころではない。自分の命も危険にさらされる。
「わかった。なら、隙を見て侵入する」
と、男が軽々しく言うのでロゼは目を丸くさせた。そんな簡単にできるものなのだろうか。確かに自分から彼に協力してくれるよう願い出たが、「わかった」と一言で片づけられるほど容易なことではないはずだ。本当に彼は一体何者なんだろう……。
そういえば作戦の話ばかりしていて、彼の身分について何も聞いていないことに気づいた。
「あの……」
「ん?」
紙に何かを書き足してぶつぶつ独り言を呟いている男に、ロゼは昨日の続きを聞かせてもらうつもりで声をかけた。
「約束でしたよね、あなたの話を聞かせてくれるって。そろそろ教えてくれませんか?」
*
彼女と取り決めたのは二つほど。
手術室の鍵をアロンという看守から奪い取った彼女にその鍵をもらい受けること。もう一つは、彼女がユキネツソウの摘花をしている間にこちらが手術室の囚人たちを解放すること(ちなみに手術室は研究室内部の書架の奥に存在しているらしい)。
サボを含めた第一舎の囚人が摘花を執り行うので都合がよかった。問題はアロンやほかの看守がどのタイミングで地下に現れるかだが、彼女の話ではそういった話題は出ていないからわからないというのが正直なところだという。とはいえ、これは秘密裏に行われていることだ。知っている人間も第七庁舎の人間に限られるし、そう考えれば相手にする数はそう多くない。サボのこれまでの経験を踏まえたら、むしろ簡単な任務である。だが――
問題はあの子だよな……。
舎房の硬いベッドで仰向けになりながら、サボは彼女のことを考える。鍵を奪う方法には考えがあると言っていたが、一体どうするつもりだろうか。どう見ても戦闘に不向きの人間だし、アロンやほかの屈強な看守と渡り合えるとは思えない。瞬発力は良さそうだが、それも一般人レベルでのことだ。サボから言わせれば赤子の手をひねるのと同じ、簡単にねじ伏せられる。協力するとは言ったものの、こちらの足を引っ張っらなければいいが……。
「なんで言っちまったんだろうな」
独りごちてから、数時間前のことを振り返る。明日のためにもそろそろ体を休めておく必要があるのに、頭は冴えきっていて彼女のことを考えてしまう。
確かに協力し合えるかもしれないと微かな希望に賭けてのことだったが、まさか本当に情報掴んでサボを頼ってくるとは正直驚いた。こちらの身分を明かす前だというのにべらべらと監獄のことを話して、やはり危機管理が薄いと言わざるを得ない。
一般人のくせに妙に強気で正義感に溢れた女だった。植物学者としての矜持があるのだろう、この国がやっていることに憤りを覚えている様子で、ただ自分の力だけではどうにもできないこともわかっていて、だからサボに助けを求めてきた。敵ではないが味方でもないと言った自分に。
しいて言うなら、強い瞳に心が動かされたからだろうか。自分の信念を貫こうとする、あの強い双眸に。見ていて危なっかしい女だが、気概があって好ましい感じはする。協力してもいいと思った。それにこちらの目的も同時に遂行できるなら都合がいい。偶然同じ場所に居合わせたのも何かの縁だ、利用できるものは利用する。サボはそう結論付けて今度こそ目を閉じた。