The truth of Lilie
ロゼがようやく業務に慣れてきた(と言っても相変わらず野次や卑しい目は飛んでくる)六日目、先輩からミーティングに出席するよう言われた。その間、警備員が増員されるので心配するなということらしい。それまで一度も夜のミーティングには呼ばれなかったのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
警備員と入れ替わりに第七庁舎を出て宿舎へ向かう。各庁舎から宿舎は薄暗い廊下を通じて繋がっていて、監獄の中に一歩入れば外に出ることはほぼない。内部の作りをすべて把握したわけではないが、完全に外へ出る方法はロゼの知る限り、最初に入ったあの重たい鉄扉以外にない。看守だけが知る秘密の通路があってもおかしくはないものの、新入りのロゼにはもちろん知らされていなかった。
宿舎に戻ると当然看守長と副看守長もいて、物々しい空気が漂っていることを肌で感じた。ミーティングは朝と夜の二回だが、ロゼはいつも朝のみ出席して夜は見張りに徹していた。だからこんなピリピリとした雰囲気だということを今はじめて知る。すでに座って堂々と欠伸をしている先輩の隣に腰かけると、ロゼは周りに聞こえないように「なんでこんなに物々しいんですか」と小声で話しかけた。
「そうか新入り。おめェは今日が初めてだったな」
と、濁声で言われてぎょっとした。酒臭いし、よく見たら赤ら顔。勤務中に飲酒していたのか、テーブルの上には空になった酒瓶が複数転がっており、ロゼが来る前に彼らはお楽しみだったというわけだ。悠長な人たちである。ロゼは先輩を呆れた視線で見やってから、「夜のミーティングは何を話し合ってるんですか」と鼻をつまんで聞いた。
「まーそれは看守長から話がある。よく聞いておけ。お前もすぐ関わることになる」
「はあ……」
意味深な言い方をされて反応に困ったロゼは、微妙な返事をしてひとまず納得したふりをした。
きょろきょろと辺りを見回すと、一から六までの看守はおらず第七庁舎の人間ばかりだった。各庁舎には看守のほかにも警備員や建物の管理者などがいる。六日目になった今もロゼはまだ全員と面識がないが、第七庁舎に新入りが来たのは数年ぶりだというので会った人間には程よく歓迎されたことは記憶に新しい。あとやはりこの容姿が珍しいのか、好奇な目で見られて居心地が悪かったことも覚えている。男と偽っているのだから当たり前だが、案外簡単に潜入できてしまい拍子抜けした。余程、自分の中性的な容姿に効果があったのだろうか。
ロゼは民間組織に所属する一般人でありながら、時折危ない橋を渡ることもある。もちろん潜入調査は初めてだが、禁止リストに掲載されている植物を禁止だと知りながら取り扱う人々は少なくない。そうした人間を取り締まるのも国植会の役目であるため、情報を得ては世界各地にロゼたちが派遣される。ほとんどの案件はこちらの要求を呑む形で和解が成立するが(そもそも違法行為なので和解という言い方がロゼは好きではない)、たまに危険な集団(海賊や山賊など)と交渉することもあるのでその場合は相応の手段――たとえば自警団や海軍といった組織に頼ることもあった。
だからこそ、今回のような大型な案件にもかかわらず潜入が容易に成功したことには少しばかり面食らったことは否めない。頑丈な構造をしているものの、七庁舎に至っては見張りの数を極力手薄にしているという印象だった。
最後に七庁舎の強面看守が入って来たところで全員がそろい、看守長が咳払いをしてミーティングがはじまった。
「さて、君たちに集まってもらったのは言うまでもない。ユキネツソウの栽培の件だ」
「――!」
ロゼは自分が大げさに反応しなかったかどうか内心ビクビクしていた。看守長がそのまま話を続けているのでどうやら誰も自分に注目していないようだ。ほうっと息を吐いて胸を撫でおろす。だが、手の汗はおさまりそうにない。興奮と緊張が入り混じって今にも叫びたいほどだ。
「先ほど外交会議にて、三日後にユキネツソウを諸外国へ輸出することが決まった。いつも通りルートは5だ」
「尚、兵器のほうは変わらず第三舎の人間を順番に連れていけ。アロン、頼むぞ」
看守長、副看守長がそれぞれ口を開く。先輩が溌剌とした声で短く返事をしてから敬礼した。
ロゼは動揺を隠しながら、やはりここにユキネツソウの栽培場所があるのは本当のことだったのだと改めて実感する。
彼らの話はこうだ。
研究室で栽培している大量のユキネツソウを諸外国へ高値で売りさばく予定で、独自ルートのうち?5?と呼んでいる(どうやらこの国では貿易の際に使う複数のルートがあり、基本的には1〜4が通常ルートで、裏で使われる闇ルートが彼らの間で5と呼ばれているようだ)ルートで運び出される寸法らしい。
だが兵器というのは初めて耳にした単語だ。一体何の話だろう。不穏な言葉にロゼが訝しげに思っていると、突然「新入り」と副看守長から呼ばれた。名前があるのに彼らはロゼのことを新入りと呼ぶ。
「はい」
「お前は植物に詳しいと聞いている。当然ユキネツソウのことも知っているだろうが、研究室で見たこと聞いたことはすべて他言無用だ。外部に漏らしたら命はないと思え、いいな」
「……はい」
静かに、けれど凄味を利かせた目がロゼを捉えて、思わず蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。かろうじて絞り出した返事は聞こえたかどうかわからなかった。だが、副看守長はこちらの様子を気にしたふうもなく話を続けたので、新入りがただ緊張しているだけとでも捉えたのかもしれない。
「それじゃあ手筈通りに頼む」
看守長が口の両端をひん曲げて第七庁舎のメンバー全員を見据えた。狂気を孕んだ薄気味悪い笑みを浮かべた彼の顔を、ロゼはぞっとする思いで見つめながらその場をどうにかやり過ごした。
ようやく掴んだ情報だ。ヘマをしないよう細心の注意を払って臨まねばならない。ロゼは自身を奮い立たせるためにぎゅっと両の拳を強く握った。
*
禁止リストについて少々追加の説明をしておかなければならない。
国植会が指定する禁止リストは文字通り栽培を禁止にしている植物のリストのことで、ロゼたち専門家以外の人間が取り扱うことを禁じ、たとえ私用でも見つかれば御法度。基本的には国が定めた罰則に従って刑に処され、その事実は当然国植会にも報告が届くのでロゼたちには違法に栽培された植物やその種子をすべて回収するという任務が課される(なお、自生しているものに関してはこの限りではない)。国植会に人を裁く権限はないが、誰に許可を取ることなく植物の回収を行うことが可能だ。
そして禁止リストに追加される理由としては、第一に人間に害があるということが挙げられる。ユキネツソウのように、不可抗力で人を死に至らしめるという恐ろしい効力を持つ植物は過去にもいくつかあり、発見されるたびに追加される。
第二に、希少価値が高いということ。現在植物として登録されている品種の中には希少価値が高いものも存在する。ここで希少価値が高いというのは、単純に数が少ないという意味だけでなく、効能的にも珍しく人々に大きな影響力を与えるという意味も持つ。たとえば、人智の及ばないようなこと――数百年に一度しか咲かない花の蜜を吸うと永遠の命が与えられるといわれる――実際、そうした事実は確認されていないが、情報を聞きつけた者たちが過去にその花を巡って争いに発展したことがある。にわかには信じがたい話だが、ロゼが生まれるよりもはるか昔にたかが植物で戦争が起こり、大勢の人が亡くなった。
第三に、他種へ悪影響を及ぼすこと。生態系に大きく害をなす場合だ。国植会に所属する人間は、本部で働く者のほかに世界各地を巡って植物を研究している者もいる。彼らはこうした生態系に影響を与える植物を伐採して根絶する任務も与えられていた。
主にこの三つのうちどれかに当てはまる場合は、禁止リストへの登録が決まり即刻回収が命じられる。ロゼが国植会に所属してから登録されたのはユキネツソウのみで、今回が初めての回収任務である。
深夜一時。第七庁舎の入口からぐるりと百八十度回ったところに、その場所はあった。大人がひとり入るのがやっとの小さな入口は暗くて狭い階段が続いていて、どうやらここから例の研究室に繋がっているらしい。第七庁舎の真下にあたるというから、やはり潜入する場所は間違っていなかったようだ。
手提げ灯を片手に、ロゼは先輩の後ろについていく。「頭気ィつけろ。天井が低いからな」言われた通り頭を少し下げながら何段にも続く階段を下りていくと、抑えめの照明に照らされた大きな温室が視界に広がった。
さっきまでの狭い階段が嘘のように研究室の天井はだだっ広く、中央に大きなヤシの木が植えられている。研究室というからもっと細々(こまごま)している場所かと思ったが、この施設の設計者は植物に精通しているらしい。多肉、観葉、水生……きちんと性質ごとに区画されていて、単純に研究室として運営しているというわけではなさそうだった。
「おい、早くしろ」
感心するように温室を見回していたロゼは、先輩がいつの間にかヤシの木を越えて奥の部屋にいることに気づき慌てて追いかける。その先にはまた別の空間があり、どこにでもある一般的な植物が多く植えられていたが、目を凝らすとさっきの部屋にあったのと同じくらいの大きなヤシの木に囲まれるようにして、その中に別の花壇が設けられていた。
透明な花びらに白いめしべ。そしてめしべを囲うように黄色いおしべが複数。チューリップに似た花の形。間違いない。ユキネツソウだった。決して広くない区画だが、元々小さな花なのでたくさん植えても幅を取らないからか、栽培場所はここだけのようだ。なるほど、ユキネツソウを隠すためにあたかも普通の温室を装っているというわけか。
しかしユキネツソウは開花時期を過ぎると種子を落とす。これだけの量を一年前から栽培してきたとなればどこかに種を保管しているはずだ。一体どこに――
「お前に新しい仕事を言い渡す。が、その前に見せるモンがある」
じろじろユキネツソウを観察するロゼの背中に声がかかり、振り返るとジャケットの内ポケットから鍵を取り出す先輩の姿があった。
「これは?」
「秘密の部屋の鍵だ」
「……? 秘密の部屋とは何でしょうか。ユキネツソウの栽培場所はここだけでは?」
純粋な疑問からロゼは尋ねた。二つの温室のほかに別の部屋もあるのだろうか。しかし、周囲を見渡してもそのような場所は見当たらない。しいて言うなら、奥に観察室のような小さなスペースはあるが、長机と観察に必要な器具がいくつかと本棚ぐらいしかない。秘密と名付けているくらいだから見える場所にはないだろうが。
ロゼの問いに先輩はよくぞ聞いてくれたというように、意味ありげな含み笑いをして「ついてこい」と顎で先を指し示した。
向かった先は観察室の中だった。先ほど見た通り、栽培している植物の観察を行う場所で、机に顕微鏡やノートといった必要な道具のほか、後ろには大きな書架が三つほど。これといって怪しいところはない。
「ここにその秘密の部屋があるって言うんですか」
「まあ見とけ」
得意げに笑った先輩は一番奥の書架を角との不自然な隙間に押しやった。すると、開けた壁から鉄扉が現れ、その先にもう一つの部屋があることが明らかになった。頑丈な錠前に先が凹凸になっている古びた鍵。先輩はそこに差し込んで扉を解錠すると、ロゼに中に入るよう促した。扉の先は薄暗くてよく見えず近づかなければ中の様子はわからなかったが、うめき声のようなものが聞こえて思わず眉をひそめる。
ロゼはためらいながら近づいて、扉の中を覗き込んだ。
「――!」
飛び込んできた光景に言葉をのみ、反射的に身体が先へ進むことを拒否した。
そこはいわゆる手術室のような場所で、五人の男が仰向けで手術台に縛られているほか、彼らに何か尖った針を向けている白衣姿の看守の姿があった。
呆然と立ち尽くしてその様子を眺めていたたロゼは、けれど我に返って先輩に「何を……しているんですか」絞り出したような情けない声でそう聞いた。
「兵器だ」
「へいき……」
「なんだお前、看守長たちの話を聞いてなかったのか? おれ達七庁舎の看守は囚人管理だけじゃねェ。ユキネツソウを人間に投与して戦争兵器を作ってるのさ」
ロゼは返す言葉を失って、先輩の平然としたほの暗い瞳を見つめる。
「……せんそうへいき……」
少ししてからようやくそれだけ繰り返す。そしてロゼの脳裏に思い出されるのは数時間前の副看守長の言葉。
『兵器のほうは変わらず第三舎の人間を順番に連れていけ』
あれは、ユキネツソウを投与するのは第三舎の囚人という意味だったのだ。今になって理解したロゼは身体が震えていることに気づいて自身の両腕を抱いた。この国が裏で行っているのはユキネツソウの栽培だけではなく、それが持つ恐ろしい効能を人間に投与して兵器にしている。そして、きっとその兵器を必要としている国へ送り出しているのだ。たとえば、いま現在戦争をしている国に。
実はユキネツソウには、人間の筋肉を増強させて驚異的な身体能力を得られるという効能があるとわかっているが、実際には塗り薬として少量を使用することがあるだけでそれ以外の使われ方は禁止リストに登録される前からなかった。元々、観賞用や治療薬として使われてきた植物だ。直接的に投与した場合の効能は一時的なものだし、体に大きな負担をかける上に場合によっては死亡の可能性があることもわかっている。
国植会は当初この情報を世間に公表していなかったが、一年前の定例会で危険性は知らせておくべきという判断に至った。この国のように悪用されるのは計算外だったのかもしれないが。
「ユキネツソウを取り扱うことは違法のはずですが、見つかったらどうするんですか」
知らずの内に怒気を孕んだ声になっていた。
その間も、手術台の上でユキネツソウを投与されている男たちが苦しそうな声をあげてもがいている。すぐにでもやめさせたかったが、ここでロゼが止めに入れば怪しい行動を取ったと報告され潜入していることが露見してしまう。今はまだ見過ごすほかなかった。
「それに兵器なんてどういうつもりで――」
「おいおいなんでお前がキレてんだ。これは一年前からこの国がやってきたことだろ。武器を欲している国はいくらでもあるし、需要があんだよ」
「つまり金になると?」
「ああそうだ、すべては金だよ。資金力があれば諸外国の中でも優位に立つことができる。国王はそう考えてるのさ。それに、こいつらは反政府軍。国に逆らう人間は早めに摘み取っちまうのが安全ってもんだ」
先輩の口ぶりに悪びれた様子はなく、上の命令だからやっている、むしろ自分も同意しているといったふうに捉えられた。点数方式だなんだと言っていたくせに、裏でこんな非道徳的行為をしているとは、彼らをほかの庁舎へ移す気など最初からないのだ。あれは囚人たちの気を引くために便宜上設けられたルールなのだろう。たとえば、戦争で成果を出せば大幅に加点するだとか――それを信じて戦争に駆り出された者たちがどんな末路をたどるのか、ロゼは想像するのも憚られた。
そのとき向かいから白衣姿の男が近づいてきて「アロン」と先輩の名前を呼んだ。
ロゼとの会話を中断して、先輩は白衣の男といくつかやり取りを交わす。今のところ問題ない。二日間の経過観察が必要。それを過ぎれば準備万端。計画通りに。どうやら、経過観察が無事終わればそのまま兵器として他国へ送り出す算段らしい。ユキネツソウの輸出と同時に送り出すつもりなのだろう。
隣で二人の話を聞きながら、ロゼは手術台でユキネツソウを投与された男たちの様子を見ていた。見覚えのあるくたびれた縞模様の服。やはり囚人だ。副看守長が言っていた通り、ロゼが担当している第一舎の人間ではなく、先輩が管理している第三舎に収容されている囚人のようだった。
固まったままその惨い光景を見ていたロゼの二の腕を、突然先輩の腕が掴んだ。
「やっ……」
悲鳴を上げて振り払ったロゼは、思わず後ろへ飛びのいてしまい壁に背中を打ちつけた。
「おい、だからそういう女みてェな声出すなって言ってんだろ。襲うぞ」
「……ッ、すいません」
謝罪すると、先輩はロゼから視線をはずして嘆息した。とっさに出る言葉や仕草には、まだ本来の性別である女の要素がどうしても残ってしまう。気をつけているつもりでも、本能的な部分ではまだ抜けていなかった。先輩は小さく舌打ちをしてから「もういい」と投げやりに頭を掻いてから、
「お前にはユキネツソウの管理をしてもらう。植物に詳しいっつーことは猛毒のことも知ってんだろ。鍵は第七庁舎の中央見張り台のキーボックスにある五番だ。詳細は明日説明するから宿舎に戻れ」
と、扉のほうを指さして早く出ていくよう促した。先輩は残って打ち合わせするのか、もうロゼのことなど気にした様子もなく白衣の男と何か資料を見ながら話しはじめたので、おとなしく踵を返すことにした。どのみち現時点でロゼにできることは何もない。
「わかりました」
聞こえていないだろうが、小さく呟いてロゼは部屋を後にした。
来た道を戻る途中、手術台に乗せられた男たちの苦しむ様がよみがえり、その場でえずきそうになってロゼは口を押さえた。ぎりっと唇を噛んで、「くそっ……」男さながらの言葉が漏れる。息が乱れていた。今になってまた恐怖がぶり返して壁にもたれかかる。
あのような非道は見過ごすわけにはいかない。しかし、それを成し遂げるためには自分一人では厳しいのも事実。ロゼには協力者が必要だった。