Assignation 1

「私はユキネツソウの種を回収するために来たんです」

 ロゼと名乗った女が舎房の冷たい床に正座して、こちらに真剣な眼差しを向けていた。廊下から中の様子は見えないが、なるべく奥のほうで向き合う。ほかの看守が見張り台にしかいないと言っても、周りには囚人たちがいる。彼らは敵ではないが味方でもない。いつどんな形で不利に働くかわからない状況では、リスクは限りなく小さくしておく必要がある。
 彼女は?国植会?という民間組織に所属する植物学者だという。彼女たちについてサボが知っていることと言えば、植物の研究や違法栽培の取り締まり、そして禁止リストの管理だ。どうやら革命軍と同じく違法栽培に関与している情報を入手し、上から潜入することを命じられたらしい。男しかいない監獄に彼女が選ばれた理由は不明だが、顔だけで言えば確かに中性的なので男と捉えることもできる。ただし、体型が男のそれとかけ離れているため適任とは言い難かった。実際、彼女は容易に押し倒されて身動きが取れなくなった。自分相手だからよかったものの、ほかの連中であればそうはいかない。線の細い綺麗な男は(実際は女だが)こういう場所で餌食になる。彼らは犯罪者の中でも危険とみなされたほか、反政府の過激派もいるので国側の人間には容赦ない。それに看守の目が厳しいと言っても穴はいくらでもある。何せここは世界政府が所有しているインペルダウンとは違う。一般人が管理する監獄だ。サボのように相応の力や経験値があれば自由に動き回ることはまったくの不可能ではない。

「一つ確認したい。あんたはその研究室の場所を知ってるのか?」
「いえ。この第七庁舎のどこかだということしか……朝のミーティングでも研究室のことは一切話に出ませんでした」

 彼女の言葉にサボは落胆した。やはりそう簡単に情報は出ないか。新人ということもあるだろうが、よほど秘密にしたいらしい。厳重に管理している割に、堂々と諸外国へ兵器として送り出しているのだからこの国の強かさがうかがえる。
 彼女の話を聞きながら、サボは自身の事情を伝えて協力を仰ぐべきかどうか迷った。彼女が革命軍の敵ではないとわかったものの、こちらの任務と若干趣旨が異なっていることが気になったからだ。彼女たちの考えは、あくまで植物の栽培を阻止し、その根源である種子を回収することが目的であって、ユキネツソウがもたらす戦争兵器のことは意に介していない様子だった。というより、彼女たちは植物そのものを輸出しているだけと考えているようだ。植物の専門家がユキネツソウの危険性を知らないわけはないだろうから、この国が栽培したあとに行っている非道徳的行為を本当に知らないのかもしれない。
 厄介だな、というのがサボの正直な思いだった。
 革命軍は研究室自体を破壊し、そこで兵器となっている囚人たちを解放することが目的であるのに対して、彼女たちが気にしているのはユキネツソウの種子だ。似ているようで似ていない。今朝、余計なことはするなと釘を刺した通り、このまま協力しないほうが互いのためかもしれない。だが――

「そっちの目的は理解した。だが結論は変わらない。余計なことはするな」
「ちょっと待ってください。それは一方的すぎじゃないですか? 私が話したんだからあなたも手の内を見せるべきでしょう。ただの囚人じゃないってことくらいわかってるんだから」
「おれは事情を聞かせてくれと言っただけだ。自分のことを明かすとは言ってねェ」
「なッ――」

 彼女がかっとなって大きな声を出そうとしたので、サボは慌てて彼女の口を塞いだ。「バカッ、大きな声出すなって言っただろ」勢いよく塞ぎにかかったせいで、彼女の体がよろめき、後ろの壁にぶつかって自分と彼女の距離が近づく。暗い舎房の中でもわかるくらい、彼女の首の細さと色の白さにサボは一瞬たじろいでから「悪い……」と、我に返って彼女から離れた。
 当の本人は驚きつつも別に大したことではないので、と動じることなくサボから距離を取ると、

「……けど、敵ではないんですよね?」

 こちらを見定めるような視線を向けてきた。身分を明かしていない以上、サボに対する彼女の態度は当然だろう。事情を説明してくれたら正体をバラすことはないと彼女には伝えたが、それが本当かどうか彼女には判断する材料が何もない。得体の知れない男の嘘かもしれない言葉を鵜呑みにするほど、どうやら彼女は愚かではないらしい。ただの軟弱な植物学者かと思ったがなかなか賢い。この状況下でも焦らずに判断でき、物怖じしない様子にサボは感心した。

「そうだな。味方でもねェが、敵ってわけでもねェ」

 と質問通りに答えると、彼女はひとまず納得したのか姿勢を正して立ち上がった。ほかの看守がいつ戻ってくるかもわからないし、いくら隔たりがあるといっても隣で聞き耳を立てている囚人がいる可能性もある。囚人と看守が必要以上に接していたら、目を付けられ任務どころではなくなる。
 去っていく彼女のすらっとした背中に、サボは「待て」と声をかけた。

「一つだけ教えてやるよ」
「……?」振り返った彼女が不思議そうな顔をする。
「リストに書いてある名前は偽名だ。おれはサボ、それが本当の名前だ」

 それだけ伝えると、もう用はないという意思表示としてサボは簡易ベッドに横になった。そのすぐあとにガチャンという金属音がして、足音がここから遠ざかっていくのを、目を瞑りながら聞いた。
 さっきはあんなことを言ったが、この先の状況次第で自身の身分を明かすかどうかを決めることにした。彼女が研究室の情報を掴めばこちらとしても動きやすくなるし、互いの目的のために協力できるだろうという考えに及ぶ。利用できるものは利用するに越したことない。


*


 宿舎の古くて埃っぽいベッドの上で、ロゼは天井を睨みつけながらサボという男のことを考えていた。
 見回り時に、不躾に腕を掴まれたと思ったら正体を言いふらすと脅され、素直に従って事情を説明したのに、相手の素性は知れないまま。敵ではないが、味方でもない。彼はそう言ったが、その話も本当かどうかわからなかった。

「話してよかったのかな……」

 使い込まれた毛布を持って勢いよく上半身を起こしたロゼは、早速自己嫌悪に陥った。ベッド脇のサイドテーブルに置かれたリストに目を向ける。その一番上に「エル」と書かれた男のデータが記載されている。手に取って、今一度その紙切れを手提げ灯のそばにかざした。
 名前から年齢、出身地、経歴、罪名を順番に追っていく。偽名だと言っていた「エル」の部分をなぞる――本当の名は?サボ?と教えてくれた。名前が偽名なら出身地も経歴も嘘の可能性が高いし、そもそも国家反逆罪で囚人としてここにいることも怪しく思えてくる。もしかしたら、自分と同じように何か目的があってここに潜入している側なのかもしれない。
 看守が寝泊まりする宿舎はすべての庁舎から等距離の位置にある。もちろん、夜中も各庁舎には見張りが必要なので時間ごとに交代で中央見張り台に立つ必要があるわけだが――そのために看守とは別に警備隊が常駐しており、何か問題が発生すれば看守宿舎の非常用電伝虫が鳴る仕組みになっていた。
 先輩によれば、ここ数年非常用の電伝虫が鳴ったことはないという。絶対に脱獄不可能ではないこの監獄で、囚人たちがまったく問題を起こさないのもおかしな話だと思う。彼らの素行を見ている限り、とても大人しく捕まっている集団ではない。そもそも反政府軍は、テロやクーデターといった武力行使に訴える人々だ。政権に不満がある人間のやることはロゼにも恐ろしく映るし、だからこんな場所で大人しくしているほうが、違和感があるのだが……。
 それとも点数方式だから大人しくしているのだろうか。ロゼの手元には誰が何点なのかという情報がないのでわからないが、低いと不利になる……?
 サボという男が何か事情を知っていそうな雰囲気があった。名前も顔も身に覚えがない(自身の仕事に関連する以外のことには一切目を向けない)ので、少なくとも?国植会?とは無関係の人間だが、「ユキネツソウの違法栽培」を調査するために潜入している組織がほかにもあるのかもしれない。
 得体の知れない男だと最初こそ恐れ慄いたものの、近くで顔を見たときはやはりほかの囚人たちのような獰猛な雰囲気は感じられなかった。鋭い眼光と圧倒的な力には肩が竦んだがそれだけだ。あのサボという男が、だから囚人としてここにいることにロゼは違和感を覚える。先ほど彼は、自身のことは明かさないと言っていたが、こちらが掴んだ情報次第では協力相手になり得るのではないか? それにはやっぱり――

「研究室の情報が必要だ」

 呟いてから、ロゼはリストをサイドテーブルに置くと古臭い毛布をかぶって目を閉じた。