綺麗なドレスにはご用心

「なァ……本当にその格好で行くのか?」
「うん。ドレスコードはこういうものだってコアラちゃんも言ってたし。変かな……?」

 姿見の前であちこちいじりながらが鏡越しに答えた。少し後ろでサボはその様子をつまらなそうに見ている。ソファの上で腕を組んで、彼女が綺麗になっていく姿を半ば睨みつけるように凝視しては、やっぱり納得がいかなくて口を尖らせた。
 とあるホテルの一室。
 ネイビーのスリーピースに身を包んだサボは、の支度が終わるのを待つことになり、つい今しがた化粧室から戻ってきたところで隠すことなく不満をぶつけた。下ろしている髪も今日は丁寧にまとめられていて、だから困るというのに。

「変な訳ねェだろ。綺麗だから困るって話だ」
「……?」
「はあ……」

 深いため息ひとつ。頭を抱えたくなった。どうして彼女を連れていくことを了承してしまったのか、一週間前の自分を殴りたい。
 任務のためにやってきた豪奢なホテルは、煌びやかな雰囲気の――普段なら行くことがないであろう貴族御用達の場所だった。今夜その大広間で行われるパーティーに国の武器売買に絡む重役が参加するという情報を手に入れた革命軍は、ターゲットから情報搾取のため潜入調査をすることになったのだが――

「ねえサボ。背中のチャック留めてくれる? 引っかかっちゃったみたいで」

 こちらの心配をよそに、ちらっと視線だけ寄こしたが腰あたりの中途半端な位置にとどまっているチャックを動かそうとしてなかなか上がらず困っている仕草をする。呑気である。
 彼女の背中を見つめながら、この日のために数日前コアラに加減しろと言われたのを思い出して、サボはそういえば彼女の体に痕がほとんどないことに気づいた。
 ――というか、なんでコアラに言われなきゃならねェんだ。
 サボは毒づいた。今日の任務のことは、実はのほうから志願してきたのだ。
 一週間前コアラとこの話をしているとき、雑用でたまたま執務室にいたも聞いていたのだが、どういうわけか彼女が「その役、私がやってもいい?」などと頼んできたのである。もちろんサボは断ろうとしたのだが、それより早くコアラが「いいよ」なんて言うから断るに断れなくなって渋々了承したのだ。
 大体なんで男女じゃないと参加できないパーティーなんだと、不満を口にしたらそのほうが怪しまれずに済むしいいのだとコアラが反論してその場は収まったものの、やはり彼女が潜入調査に乗り出すなんて気に入らない。幼少の頃、多少お転婆な面があったにしろそれは昔の話であり、実践的な場とは訳が違う。
 だからそれは、ほんの悪戯心と言えばそうであり、まったく下心がないかと言われれば嘘だった。そもそも無防備に背中をさらけ出して、彼女には警戒心の欠片もないのかと問いただしたい。

「いいよ、やってやる。前向いてろ」
「ありがとう――……っ」

 礼の言葉のすぐあと、の背中が仰け反った。サボが彼女の背中を指先でなぞったからだ。突然与えられた刺激に体をびくつかせた彼女が、振り返って何事かと確認する。困惑気味の彼女ににっこり笑って「悪ィ手が滑った」と白々しく返した。すぐに状況を理解した彼女が、やっぱりいい自分でやるとサボの手をどけようとしたので軽くかわして制す。
 チャックは確かにドレスを巻き込んで引っかかっていた。これじゃあ上がらないだろう。それに後ろからではやりにくい位置にとどまっているのも難点だ。サボは胸中で言い訳を並べ立てて、チャックを上げるふりをしつつ悪戯を続けた。

「あっ、それ……やめ、てっ」
「んー」

 指先を腰から背骨に沿って行ったり来たり。ちょっと引っ掻いてみたり。中途半端な着方のせいで、余計に煽情的な格好を見せつけられてサボの熱は高まるばかりだった。加えて、の「やめて」はサボの内なる嗜虐心を容易に煽ってくる。痕が付けられなくてもサボには関係ない。知り尽くした体には、あの手この手で攻めることができる。
 つぅ――小さな刺激だが、彼女を焚きつけるには十分すぎる。初めてのときにわかったことだが、背中が異常に弱いのだ。だからちょっとしたことで敏感に反応する。

「その触り方、やだっ……」
「……物足りない?」
「ちがっ」耐えられなくなって鏡に手をついたに、覆いかぶさるようにして迫る。耳が赤い。頬が火照り始めている。呼吸が荒く、必死に"何か"とたたかっている。
 けど、これは彼女への戒めでもあった。潜入調査などやったことない彼女が安易にドレスを着てサボに同行するとのたまったことへの。
 そう、彼女は身をもってしるべきだ。こんな服簡単に脱がせられるし、戦闘経験のないは男がちょっと力を入れたら組み伏せることができてしまう。そうなったらどうするんだ。

「お前が悪いんだぞ。こんなドレス着るから」
「だってそれは――」
「任務のためって言うんだろ? 大体やったこともねェくせになんでやるなんて言うんだよ」
「あ、やだ、ねえサボっ……も、やめ」

 がくんとの膝が崩れ落ちてその場にうずくまった。ようやく手を止めたサボは短い呼吸を繰り返す彼女に合わせてしゃがむと、顎を持ち上げて俯いている顔を自分のほうに向けさせた。とろんとした目がサボを見つめてくる。自分でしておいてなんだが、焚きつけられたのは彼女だけではない。

、任務終わったら覚悟しとけよ。寝かせねェからな」
「ん、……っ」

 サボは薄紅色が塗られたの唇を軽く食んで力の抜けた体を抱き起こすと、今度こそチャックに引っかかるドレスの生地を直すのだった。