綺麗なドレスにはご用心(2)

※夢主がつらい思いをします。苦手な方はご注意ください。

 あのあと、サボのせいで必要以上に身なりを整える時間を要したはなんとかパーティーの開始時間までに準備を済ませ潜入に成功した。ホテルで一番広い会場だというウェリントンの間は国王の名前からきているというだけあって、調度品やシャンデリアといったすべての物が、素人が見ても一級品であることがわかる会場だった。
 目的の人物が会場に現れたのはパーティーが始まってから一時間後のことだった。それまで和やかな雰囲気だった場内に緊張感が漂い、視線がその人物へ注がれる。も同様にターゲットへ目を向けた。
 ぴっちりとしたストライプのスーツを着こなし、腕輪や指輪といったアクセサリーが目立つ大柄な男、というのが第一印象である。入ってきたときはサングラスをかけていたが、誰かと話始めたところでようやく外し、顔全体が露わになった。目が細く鼻筋が通っていて、どちらかというと端正な顔立ちをしているが体格とのギャップが大きく恐ろしい。おまけに表情からは感情が読み取りにくそうな印象もあった。
 野蛮な人間というのはがセント・ヴィーナス島にいた頃にも遭遇したことがあるが、あの島は紛争や戦争といった脅威からかけ離れたところがあるゆえにある意味で平和だ。
 でもは知っている。海賊や盗賊以上に残忍な人間がいることを。かつて自分もそのカテゴリーに含まれていたから。そしてこの目で現実を目の当たりにしたから。直接的にが何かしたわけではないが、だからこそこの世界が作り出してしまった罪に立ち向かう彼らの少しでも役に立てたらと。そう思うのだ。
 この任務の話を偶然聞いたのが一週間前のこと。サボとコアラの手伝いをする中、二人が執務室で話しているのを耳にしてしまったから志願せずにはいられなかった。

「っていうのは本音だったのに、なんでコアラちゃんにはわかったんだろう」
「……急にどうしたんだよ」

 口に出ていたらしく、の独り言を聞き取ったサボが隣で怪訝な顔をした。顔が割れている可能性があるからという理由でウイッグをつけて髪型を変えたり、眼鏡をかけてカモフラージュしている。
 は改めて彼を上から下までゆっくり見つめた。スリーピースに身を包んだ彼の姿は普段の格好からやんちゃな部分が削げ落ちて紳士らしさが増していた。煌びやかな装飾品などなくても佇まいや雰囲気で人柄が出てしまうものだし、幼い頃叩き込まれた振る舞いが意外にもこういうとき役に立つなんて何と皮肉な話だろう。
 しかしサボは気にしたふうもなく上品にグラスをあおって、パーティーを楽しむ招待客を上手に演じている。男女でないと会場へ入れないという制限がある中、をエスコートしつつ注意の矛先はターゲットとその話し相手に向けられているからさすがだなあと瞠目するばかり。加えて普段見慣れない格好ということもあり、なんだかいつも以上にサボの隣が緊張する。
 ――やっぱり志願して正解だったな。こんなかっこいい格好、ほかの子がずっと間近で見てるなんて耐えらなかった。たとえコアラちゃんでも……。

「何でもない。独り言だから気にしないで」

 ただ、サボにはそれを伝える必要はないのでそう答えた。これは任務だ。の身勝手な感情で台無しにするわけにはいかない。言われたことはきちんと守って任務成功のために奮闘しよう。
 の返しに、彼は不思議そうにしたが特別追及されることもなく「ふうん」と答えた。

「まあいいけど、とにかくお前はあちこち動き回るなよ。おれが戻るまで絶対に」
「わかってるよ。化粧室くらいには行ってもいいでしょう? 寄り道しないですぐ戻るから大丈夫」

 答えたものの、サボはあまり納得していない表情を見せた。しかしターゲットが行動を開始したのが視界の隅に入り、こちらもいよいよ動き出す必要が出てきたので、彼についていくよう促した。渋々といったふうに離れていく彼を、笑いをこらえながら見送りはひとり残されたパーティー会場で先ほど招待客のふりをして取ってきた料理に手をつけた。もぐもぐと咀嚼しながら、国家間の武器売買で裏社会に通ずるというその人物に関する情報を頭の中で整理する。
 例のターゲットは国の重役でありながら、その実軍事機密を横流ししているという噂がある。元からなのか金銭が絡んでいるのか定かではないが、武器売買に関わっているというなら元から――つまりスパイだったと考えるほうが自然である。
 軍事機密というのは国家の存続にかかわる重要な情報だ。漏れ出たら最後、他国からの侵略を許すことになる。にとっては遠い国の話に思えるが、国を巻き込んだ争いで一番被害を受けるのは無関係な一般市民なのだ。そうした弱い者を虐げる戦争は何も生まない。
 そして王族や貴族は平気で人の命を捨てることができてしまう現実に、は昔打ちひしがれたことがあった。革命軍がそれを変えようとする組織なら協力するまでだ。だってサボが属する場所であり、それはどうしたって信頼できるのだから。
 小さなお皿に乗っていた複数の料理はあっという間に胃の中へ消えていった。近くを通りかかった給仕の男性が「どうぞ」とシャンパンをくれたのでありがたく受け取って一口。瞬間に広がる爽快感と芳醇な香り、どちらかというと甘めなのかアルコール度数は低めに感じられた。普段高級なものは食べない飲まないにとって、任務とはいえ美味しい食事を堪能できるのはちょっとしたご褒美みたいだった。
 さりげなくサボのほうに視線を向けると、すでにターゲットと談話している姿が見える。参謀なだけあって潜入調査には慣れているのか、懐に入るのが上手いらしく、時おり笑顔まで見受けられた。
 情報を聞き出すことに成功したらこの場をすぐに離れる予定になっているため、先に手洗いを済ませておいたほうがいいだろう。パーティー会場は出入り自由だが、あまり目立った行動を取ると目をつけられて怪しまれる。人が多いからといって油断は禁物だった。
 は周りに注意をはらって、シャンパングラスを近くのテーブルに置くと、給仕に化粧室の場所を聞いてさりげなく会場を後にした。

*

 の姿が見えないことに気づいたのは、例のターゲットから売買契約の日時と場所を聞き出したあとのことだった。戻って辺りを見回しても彼女の姿がどこにもない。ましてや誰かと話しているというわけでもない。
 変に思って近くで仕事をしていた給仕に特徴を伝えて聴いてみれば、十五分ほど前に化粧室へ行ったということだった。
 十五分など大して気にする必要のない時間だし、だってサボと同じ大人だ。いくら潜入調査の経験がないとはいえ、今日みたいな任務は危険が伴うものではない。パーティーに来てる連中もほとんどがこの国の貴族や政治に関わる人間ばかり。招待客は男女での参加が必須とあって女性客も多いから、変な輩に絡まれることもそうそうないだろう。
 しかし、サボはどこか胸騒ぎを覚えてならなかった。別に化粧室にいるならそれでいい。もう任務は終わったのだから二人でホテルを出ればいいだけの話だ。そう思って会場を出たサボは、化粧室があるほうへ早足で向かった。なんだか急がなければいけない気がして。
 豪奢なホテルなだけあってワンフロアが広く、化粧室までの距離もここから結構歩かされる。前方からから女性二人が歩いてくるので彼女たちを避けつつ、再び足を速めたときだった。

「あの子大丈夫かな。なんか無理やり連れていかれてる感じじゃなかった?」
「声かけるか迷ったけど、でも違ってたら失礼だよね」
「それって青いドレスを着た子?」

 気づけば問いかけていた。通り過ぎようとした足はほとんど無意識のレベルで踵を返し彼女たちのほうへ向く。
 突然話しかけられたことにいっとき目を丸くさせていたが、我に返って「えっと、濃い青っていうよりちょっと淡いブルーですけど。たしか肩から鎖骨あたりまでレース生地になってたかな」二人のうちの一人が、思い出す仕草をしながら答えてくれた。
 しかし、サボの体は聞き終える前に動いていた。彼女たちが「あっ」と小さく驚いていたが構うことなく化粧室へ急いだ。

ッ……!」

 女性用であることも構わずにサボは中へ入って名前を呼んだが、そこに彼女の姿はなかった。念のため個室も見てみるが結果は同じだ。
 ――じゃあ一体どこに……?
 と、先ほどの女性二人の会話を思い出す。彼女たちは"無理やり連れていかれてる"と言ってなかっただろうか。だとしたら、すでに化粧室ではない別の場所へ行ってしまった可能性もある。だが彼女たちの口ぶりから察するにまだそう遠くへは行っていないはず。
 すぐに引き返して他を当たろうとしたとき、けれど女の「やめて」という切羽詰まった声が耳に届いて足を止める。同じ化粧室でも奥側に位置する男性用のほうからだった。
 まさかと思って中へ入っていくと、そこには若い男に組み敷かれているが必死で抵抗している姿があった。