歯がゆさが連なってほどけて(1)

「なァ、。おれは行くなって言ったはずだ、裏通りは危険だからって。なのにどうしてそこでしか売ってない香があるんだよ」
「ごめんっ……ごめんなさい」
「謝ってるだけじゃ意味ないだろ? それともおれには言えねェのか?」

 いま自分がどんな表情をしているのか、サボにはわからない。怒っていると言えば怒っているし、同時にが自分の意に反する行動を起こしたことに少なからずショックを受けているのかもしれない。
 泣きそうになっている彼女がおずおずとサボを見上げる。こんなふうに問い詰めるのは、そういえば初めてだと頭の片隅でぼんやり思う。逃げ道を奪うように壁際に追い込んで囲う。扉は彼女の位置から遠いし、何よりサボを振り切ってそこにたどり着くのは不可能だ。
 それでもなお、彼女は無言を貫き通したまま答える気がないらしい。恐怖の中に宿る頑なな強い意志を瞳から感じて、サボの心は余計に火がついた。
 相手に聞こえるくらいの大きなため息を吐く。

「わかった。お前がそのつもりならもういい。ただ、約束を守れない悪い子にはお仕置きが必要だよな」
「な、に……っ」

 しゅるりと襟元のスカーフをほどいたサボは、そのままの目元へ持っていき覆うように巻きつけて視界を奪った。突然のことに驚いた彼女は案の定悲鳴を上げた。「やだ」「やめて」「なんで」短い言葉で抵抗する。彷徨う頼りない腕を掴んで、ゆっくりベッドへ誘い込む。ぽすん。スプリングの音とともに、彼女の体が転がる。
 部屋の明るさに反して今の彼女は何も見えないはずだから、これから何をされるかわかってないだろう。いや、正確には察したはずだが、"見えない"という恐怖と不安でいつも以上にびくびくしているといったところか。
 ――けどな。理由も言わずにごめんなさいだけじゃ、おれの気が済まねェんだ。
 お仕置きと称して、サボは視界を奪われて震えているに迫った。


*


 それはコアラとハックとの会話から決まったことだった。
 サボが別件で会議に出ている最中、執務室で仕事をしていた二人には相談を持ちかけた。

「お香? サボ君に?」
「うん。最近疲れてるみたいで、眠りが浅いんだよね。だから寝る前に焚いてあげたいなって思って」
「いいんじゃないか。確かに最近のサボは目頭を押さえてること多い気がする」
「あ、やっぱりそうなんですね」

 最近の彼は部屋に戻って寝ても、途中で目が覚めてしまうらしく何度かベッドから起き上がっているところを見かける。はあえて知らないふりをしているが、あまりにも続くものだから心配は募るばかりだった。向こうが何も言ってこないので追求することこそしないものの、手助けしたいと思うのは恋人であれば自然な考えだろう。
 そうして悩んだ末に、彼に気づかれることなく眠りの質を上げるための方法としてが思い浮かんだのが「お香を焚く」というものだ。香りの力で睡眠改善をはかれると、以前本で読んだことがある。もちろん強すぎる香りは妨げになるが、さりげなく部屋を満たす程度の香りは良いのだそうだ。
 だから二人に相談して、香が買える場所を探すつもりだった。このあたりの地理はよりずっと詳しい二人なら知っていると思ったから。そういうことならと喜んで教えてくれるかと思えば、しかしコアラの表情はすぐれない。どころか険しい顔をしている。

「うーん。知ってるには知ってるけど、一人で行くにはちょっと危ないかなあ」
「え、どこ?」
「いつも買い物してるメインストリートあるでしょう? そこから一本はずれた裏通り」

 裏通り。そう聞いての頭にはサボの会話が思い出される。本部での生活に慣れてきた頃、買い物で外に出る機会を許可されたときのことだ。
 基本的な物資は本部で調達しているが、個々人の私用な物品は各自で用意しているという。もコアラと何度か食事や買い物で出かけたことがある。今後は一人でもある程度の行動が許されるとサボは言ったが、一つだけ行かないでほしい場所があるとも言った。
 それが"裏通り"だ。曰く、柄のよくない――言ってしまえば治安が悪いから一人では行かないように、と彼は釘を刺した。行くなら必ず自分もしくは誰かを連れていけ、と。

「一応聞くけど、今日の二人の予定は……」
「私もハックもこのあと空手の訓練なの。ごめんね」
「役に立てなくてすまんな
「いえ、そんな……じゃあ仕方ないですね」

 このときのは諦めるつもりでいた。急がなくても別の機会に行けばいい、と。決してサボの言葉を忘れていたわけではないし、破るつもりもなかった。廊下であんな姿を見るまでは――


 そのまま訓練に向かった二人とわかれたは昼食をとるために食堂に向かっていた。
 午後の予定は通信室での情報整理が残っているが、量が少ないから今日はきっと早く終わると先輩が言っていたことを思い出して、空いた時間は図書館にでも行こうと考えていたときである。
 角を曲がる直前、話し声が聞こえて思わず立ち止まったは足取りをゆっくりさせて壁から少しだけ顔を出した状態のまま、角を曲がった先にいる声を拾おうと耳をこらした。盗み聞きしているみたいで申し訳なく思ったが、サボとその部下だとわかって体が勝手に動いてしまった。

「総長、やっぱり疲れてませんか。さっきもぼうっとしてましたよね」
「問題ねェって。少し寝不足なだけだ」
「ちゃんと休んでくださいよー?」

 部下の言葉にサボがなんて答えたのか、の耳はもうすっかり遮断されていて聞き取れなかった。それよりも、彼の疲れが仕事に影響を及ぼすほどになっているという事実のほうがにとって鈍器で殴られるくらいの衝撃だったのだ。
 思っている以上にサボの体は悲鳴を上げているのかもしれない。だとしたらすぐにでもどうにかしないと。そう考えたら、の取るべき行動は決まったも同然だった。図書館ではなく、コアラが教えてくれた裏通りにあるお香の専門店である。
 長居せず、目的のものだけ買ってすぐ本部へ戻れば問題ない。そんなふうに軽く考えていたのが甘かったのだろうか。
 その日の夜、サボは目ざとくお香の存在に気づいて態度を豹変させた。しかし本当のことを言えるわけがない。確かに約束は破ってしまったが、サボに気づかれないよう計画したものだ。見つかってしまった今、隠す必要はないだろうが、言ったら言ったで余計なお世話だと一蹴される不安から言い出せない。彼に限ってそんなこと言うはずないとわかっていても、今の彼の表情を見たは完全に何も言えなくなってしまった。


 部屋の中がやけに静かだった。ベッドの上にいるということは感触から察することができるが、見えないせいで何が起きているのか頭がついていかない。突然サボに目隠しをされて、あたふたしている間に手を引かれてベッドに放り出された。
 スカーフの布地から差し込むわずかな光をとらえることはできても、周りの景色は一切見えないし、サボがどこにいるかもわからなかった。恐怖がを追い込み、体を縮こませる。これからどうなってしまうんだろう。漠然とした不安がじわじわの心を苛む。
 不意にぎし、というスプリングの音が聞こえた。

「いいか。今からするのは全部お仕置きだ」
「っ……」

 ベッドの軋む音に気を取られていると、突然耳元でサボの声がして大げさに肩を震わせてしまった。彼がすぐ近くまで来ていることにまったく気づかず、驚いている暇もなく耳にぬるっとした何かが差し込まれた。