深夜0時、夜に溶けて交わる

 いつかそういうときが来るのだと思っていた。サボと再会できたときから、もしかしたらという淡い期待をしていなかったと言えば嘘になる。誰しも好きな人ができたら、たぶんきっと想像してしまうものなのだろう。
 とはいえ、四歳から約十七年もの間同じ人間を想い続けてきたには当たり前だがそういった類の経験が皆無なのだ。想いを寄せられることはあっても、応えたことのないは恋人がいたことさえないのである。だから当然その先のことは未知の世界であり、物語の中や噂で聞いた程度しか知らない。もっと言えばキスだって、サボと再会してから初めて経験したのだから。
 サボから二人だけでセント・ヴィーナス島に行くことを提案されたとき、だからもしかしたらと思って事前にコアラに相談した。もしそういう雰囲気になったらどうすればいいのかとか、お風呂は先に入っておいたほうがいいのかとか、下着はどういうのがいいとか。あとは……噂では初めては痛いと聞いたからそのあたりも確認した。
 正直コアラにさえこういった話を持ち掛けるのは恥ずかしいのだが、年齢の近い同性で話しやすい友人といえば彼女だけなので仕方ない。以前紹介してもらった幹部のベティも見た目ほどとっつきにくいわけではないが、内容が内容なのでやはり躊躇いが生じて結果コアラに打ち明けたのだ。
 かくいう彼女は目を輝かせて一緒に下着を選んでくれたり、脱がしやすい寝間着をおすすめされたりとなぜかより楽しそうにしていた。脱がしやすいという不穏な言い回しは無視して、ひとまず「もし仮にそうなっても大丈夫」な状態にして故郷に向かったわけである。

 セント・ヴィーナス島の夜は観光地なだけあって静けさからは程遠い。夜のとばりが下りても人々は活気を失わず、明かりの下で杯を交わしたり、ダンスをしたりと賑わう。がカフェを構える北部の港町・ベルツェもそれは変わらない。町の喧騒はほどよく酔った体に心地よく耳に届く。テーブルに置かれたグラスに一口つけて、ため息ひとつ。
 ソファに寄りかかって、は窓からのぞくベルツェの様子を眺めていた。部屋の奥にあるシャワー室にはサボがいる。先に済ませたは、だからなるべくほかのことに神経を注ごうと外に意識を向けていた。下着も寝間着もコアラが選んでくれたものを身につけてみたものの、スース―して落ち着かない上に傍に彼がいると思ったら変な汗さえ出てきそうだった。
 思えば革命軍の本部に来てから、それぞれの部屋を行き来することはあっても就寝時にはそれぞれの部屋へ戻るのが常だったので、寝る場所も同じというのは初めてだ。何もかもが「初めて」なにはわからないことだらけで、このあとどうやって「そうなる」のか想像するほかないが、ふとサボのほうはどうなのだろうと疑問が浮上した。
 はずっとサボを想い続けていたけれど、サボはどうだろうか。結果的に今、彼と恋人であり婚約しているのはだとしても、と再会するまでのことはそういえば詳しく聞いていないことに気づいて心の中がざわざわし始める。昔の幼い姿から突然、成長した――かっこいいサボを前にして驚いたものだが、上司には一目置かれて部下から慕われている彼を周りが放っておくはずがないのではないか。
 ――って、そんなの仕方ないじゃない。だってサボは最近までゴア王国にいた頃の記憶がなかったんだから。私より経験があって当たり前だよね。
 言い聞かせてみたものの、なんだか寂しくなって考えるのをやめた。今、サボはの前に存在している。昔の約束を思い出して、結婚しようと言ってくれた。それだけで十分だ。
 グラスの中のワインをぐっと流し込んで意識をもう一度外へ向けたとき、横で扉の開く音がした。心臓がどくりと脈を打ったのがわかる。

「また、飲んでるのか?」
「……うん」

 サボの気配が近づいてくるのがわかって、顔をそっちに向けることができない。夕飯のときにお酒を飲んだにもかかわらず、"また"と指摘されるくらいには緊張を和らげるためにほかの力を頼らないとこの場に立っていられないような気がした。
 ぎしっと、ソファが沈んでサボが隣に座る。相変わらず視線は明後日のほうを向いたまま、手持ち無沙汰にグラスの淵を触って相手の出方を待つ。今までだってこのくらい近い距離にいたことはあるのに、どうして今日に限ってこんなに心臓がうるさいのだろう。別に、「何もない」かもしれないのに。まるで期待しているみたいで恥ずかしい。
 ただでさえ足がさらされた寝間着は座ると余計にめくれ上がって、まったく頼りない感じがする。そういえば着替えてシャワー室から出たとき、サボが一瞬意表を突かれたように目をしばたたかせたが、すぐに何事もなかったかのように「次おれ行ってくる」と普通に振る舞っていたので拍子抜けした。コアラが「これでサボ君もにドキドキするよ」なんて言うものだから、ちょっと舞い上がってしまった自分がやっぱり恥ずかしくて俯く。
 しばらくして隣から影がさしたので思わず顔を上げると、優しく笑うサボと目が合った。

「やっとこっち見た」
「え?」
「ずっと違うところ見てただろ? どうにかしておれのほう向かないかと思ってさ」
「だって、そんなの……」
「それはこの格好に関係するのか?」

 サボがの寝間着に触れた。パステルブルーのそれは爽やかな印象を与えるが、肩が出るキャミソール型なので心もとない。布面積が少ないということは、それだけ素肌に触れる機会も多くなるということだ。サボの指先が一瞬の鎖骨あたりをかすめたので、びくりと体が反応する。
 なんて返せばいいのかわからなくて再び俯いた。関係しないと言えば嘘になるし、関係すると言えばはしたないと思われるようでどちらと答えてもに不利な気がした。ああ、せっかくワインで緊張を和らげようと思ってたのに結局何の意味もない。ますます緊張が高まって、顔が火照っていく。
 黙ったままでいるにサボがふっと笑ったような気がして、確かめようと恐るおそる目線だけ彼に向けた。

「もしかしてコアラに何か入れ知恵されたか」
「う、わっ」

 急に腰が浮いたと思ったら軽々と持ち上げられてサボの足の間にすっぽり収まってしまった。サボと同じ方向を向いているから顔を合わせなくて済むとはいえ、後ろからしっかりホールドされた状態なので身動きできない。これはこれで困ると思っていた矢先、ふにっと柔らかい何かがうなじに触れて「んっ」短く声が漏れ出てしまい、羞恥で体が硬直する。
 が縮こまっている間も、サボから送られてくる小さな刺激は止まなかった。柔らかい"それ"の正体はサボの唇であり、優しく触れただけかと思えば、ちゅうっとやけに大きな音を立てて吸いつくように口づけたりと緩急をつけて巧みにを翻弄してくる。
 まだ心の準備もしてないのに、いきなりのことでパニックになったは「サボっ……」と名前を呼ぶので精一杯だった。でも肝心の彼は「んー?」と特に気にしたふうもなく余裕な返しをするだけで一向にやめる気がないらしい。その上左手はいつの間にか彼のそれと絡んでしまって逃げることができなかった。
 しばらく同じようなキスの嵐が続いてどうしようもなくなっていると、しかし突然その嵐が止み解放感にあふれる。ようやく人心地ついたはゆっくり息を吐きだして胸をなでおろした。
 だが、このままの流れで「そういう」感じになってしまうのかと不安に駆られてサボに呼びかける。

「あのねサボ、わたし……ぁ」

 言葉を紡ぐのも束の間、今度は耳に何かが触れた感触があって上ずった声をあげてしまう。「コアラに言われて着てるってのはいろいろ深読みされてそうで癪だけど――」短いリップ音のあとに、耳元でサボの声がする。低くて心地よくて、それでいて安心する声。でも今は扇情的にの脳へ届くばかりだった。
 くるくる髪を弄ばれ、されるがままになりながら、ふとサボは一体どんな表情をしているのだろうと気になった。やっぱり余裕な顔してるの? もしかして、ほかの女の子と――

「可愛いよ」
「……っ、や……」

 思考は強制的に遮断させられた。
 耳のくぼみにぬるっとしたモノが入り込んできたせいでは肩を震わせる。ざらざらとした感触は初めて味わう形容しがたいもので、それが世の中で言うところの「気持ちいい」なのかは正直わからなかった。けれど、サボの優しいのに厭らしい触り方はの体の奥に眠る知らない"何か"を呼び起こしそうで不安が募る。
 このまま身を任せてしまっていいのか。自分でこんな姿になっておいて今さら怖気づくなど、サボを幻滅させるかもしれない。ここまできてそれはないだろ、と。
 かといって、もやもやする気持ちを抱えたまま事に至ればきっとのほうが後悔する。さっきはサボがいるだけで十分と言い聞かせたけれど本当は違う。彼もまた、が初めてであってほしいと願わずにはいられなかった。
 耳に触れていた唇が少し下がって首筋に移動する。刹那、歯を立てられていよいよ戻れないところまできてしまったような気がして涙が浮かぶ。
 次々に襲ってくる刺激を受け止めることに精一杯なには、もはや何が正解なのかわからなかった。