世界から零れ落ちていく

 その昔、この世界には機械種――モータリドールを作り出すためにある一族を大量虐殺したという歴史があるらしいという話を祖母から聞いた。モータリドールもある一族のことも、四歳のにはよくわからなかったし、遠い昔の歴史上の中の人の話だと思っていたから気にしたことはなかった。寝る前に聞く空想の物語のような、そんな遠い話のことだと。
 ただ一つだけ気になることがあるとすれば、話をする祖母の顔がとても悲しそうだったことだけだ。泣きながら話す祖母には「泣かないで」としわくちゃの手を握ったことを覚えている。それだけのことだから、にはただの歴史にすぎなかった。
 高等部へ進級した日、祖母から自分の"血"について聞かされるまでは、自分には無関係の出来事だと思っていた。

「私、将来医者になりたい」

 進級祝辞の式典が学校の教会で行われたその帰り道、は思い切って祖母に将来の夢の話をした。
 昔から人間の生と死について考えることが多く、どうしたら人は生き永らえるのかを本を通して問いかけてきた。そこに医療という形で人を助ける仕事があることを幼いは知り、興味を抱く。歴史を重ねて進化してきた医学に、自身もその道へ進んで貢献したいと思い始めたのは学校に入学してすぐの頃だっただろうか。

「人間ってとっても脆い生き物なんだね。でもそれを医学で支えて今日まで生き延びてきたとも書いてあったの。ねえお婆ちゃん、すごいと思わない?」

「今日ベルリ先生が進路についての話をしていてね、いろんな仕事があることを知ったわ。まだ高等部に入ったばかりだけど、もうこんな紙が配られるなんてさすがフェルトで一番の学校だよね」

 カバンの中から取り出した一枚の紙きれを祖母に見せた。そこには「進路について」と機械的な字体で書かれており、その下に空欄が二つ設けられている。いわゆる自分の将来を書くものだ。
 式典の前、たち十年生を担当するベルリ先生がいつものごとくこの世界を作った三つの種族の話をしたあと、唐突に進路の話を始めて配られたのがこの紙である。配布直後、周りはざわざわと「どうする」とか「まだ決められない」とか将来に対する不安の声が多く上がっていたが、は誰よりも早く――おそらく十年生の中ではもっとも早く自分の未来を描いていただろう。その場で迷わず"医者"と書いたのも、きっとだけだ。

。お前に話さなきゃいけないことがある」

 しかし、浮き浮きした足取りのとは真逆に祖母の表情は優れず、静かにを呼んだかと思うと深刻そうな口調で話さなきゃいけないことがあるだなんて言った。
 軽くスキップしていたの足がピタリと止まる。自分との温度差が大きく感じ取れてしまい、思わず口を噤んだは祖母の前に差し出していた紙を持つ両手をゆっくり下ろした。
 祖母のこの顔をは知っていた。以前、世界の大虐殺の話をしたときも彼女はこんなふうに悲しげに苦しそうにしていたのだ。あのときのはまだ事の深刻さを理解できていなかったために、「どうして泣いてるの」と無自覚に聞いてしまった。結局それ以来祖母はこの話を一切しなかったが、十五歳になった今も彼女の表情が脳裏に焼きついている。
 だから、自分にとって何かマイナスに働く話なのだと直感的に悟った。一体何だろう。将来の話を遮ってまでする深刻な話なんて、今する必要などあるのだろうか。

「お前は医者にはなれない。諦めなさい」

 月曜日の午後。式典帰りでと同じ制服に身を包んだ生徒が一斉に同じ方向へ進んでいく光景が映る。立ち尽くすをみんなが追い越していく。茫然と動かないを、通り過ぎるたびにみんなが訝しげに振り返っていくがどうでもよかった。
 祖母の声だけがはっきりと耳に届いて、呪いの言葉のように何度もを苦しめることとなる。