脈打つ本能がさめざめと囁く

 三つの種族と機械種モータリドールの話は、学校に入学すると同時にそれこそ耳にたこができるほど聞かされてきた。ベルリ先生は身振り手振りを使って仰々しく語っているが、どうして同じ話をああも悦に入って話すことができるのかには不思議で仕方ない。先生は明るくて優しくて授業も比較的面白いのに、世間話をするときだけは全然好きになれなかった。
 教室の後方で頬杖をつきながら、はノートに星団祭で買うものリストを書き出していく。プランター用品と害虫を寄せつけない肥料、それと移植ゴテが壊れたから新調する必要がある。あとは新種の薬草が見つかれば奮発したい。実験道具も本当は新しくしたいが――それは懐と相談してからにしよう。
 星団祭初日の今日、授業は午前中だけであとはそこから一か月の休暇が始まる。帰省する人もいれば、学校に残る人もいる。仕事もほとんどの職種が休みになるのでこの町から離れる人が多いが、逆に星団祭を見物しにやってくる人間もまた多いので結果的に人口密度はあまり変わらない。
 イースタット地方に位置する小さな田舎町フェルトはの生まれ育った場所だが、特別思い入れがあるわけではなく、学校を卒業したら出ていくつもりでいた。星団祭も祖母がいた頃は楽しい思い出の一つや二つはあったものの、二年前に亡くなってからは退屈で仕方ないものに変わっている。
 ひとまず書き終えたところで、は顔を再びベルリ先生のほうへ向けた。するとなぜか目が合って、先生は眉間にシワを寄せたままの座る後方までずんずん歩み寄ってくる。まるで最初から見ていたかのように。

「まあ。あなたという人は先生の話も聞かずにこんなものを書いて。いつもいつも――」

 いつもいつも私を困らせてどういうつもりですか。神さまが嘆くことでしょう。いくら休暇が始まるとはいえ、授業はきちんと受けるべきです。
 先生はつらつらとそんな言葉を並べたてて、を注意し始めた。世間話をするときと同じように、大げさに嘆きながら「こんなもの」と称したノートを取り上げると、「先生がなんの話をしていたかわかりますか」と聞いてきた。

「すみません先生。聞いていませんでした」

 本当は「この世界に存在する種族についてのつまらない話」と答えたかったが、先生を余計に怒らせる羽目になるので素直に聞いていなかったと謝った。そもそも周りだってと同じく聞かずに内職している子はいっぱいいるはずなのに、ベルリ先生は何かとを目の敵にしている節がある。
 クスッと小さな笑い声が前のほうから聞こえてきたのはそのときだった。特定の誰かというわけではなく、あちこちで声を押し殺して笑うクラスメイトの姿がの視界に映る。本来なら恥ずかしがって惨めな思いをする場面なのだろうが、あいにくはそうした繊細な面は持ち合わせていなかったので周りを軽く睨みつけてやった。

「まあもういいでしょう。星団祭初日に説教するというのも気が引けますから。いいですか皆さん、もう一度聞いてください」

 何を基準に「もういい」と判断できたのかはわからなかったが、ともかく長い説教にならずに済んだので胸をなでおろす。一度取り上げられたノートも、先生の手からの元に戻ってきてくれた。
 もう一度聞いてくださいの言葉には戦慄したものの、あと数分の辛抱だと思って聞くことにした。

「最近、この辺りで変死体の目撃情報が多く寄せられています。それも決まって若い女性ばかりだそうです。警官と神官の皆さんが交代で毎晩警備してくださっていますが、皆さんくれぐれも注意するようにしてください。特に学校に残る生徒は、なるべく夜間の外出を控えるように」

 ベルリ先生の話は、しかしが予想していた「世間話」とはまったく異なり、どうやら最近フェルトを騒がせているニュースのことだった。何の変哲もない田舎町で変死体の目撃が相次ぐなんてニュースは、毎日平和に過ごしている住民からすれば恐怖に震えあがってもおかしくない。おまけに、その死体がすべてのように若い女性だとくれば警戒するのも当然である。
 先生は、再度注意を促すと今度こそ授業の終わりを示して教室を去っていった。
 先生に続いてぞろぞろと教室を出て行く生徒たち同様に、も学校カバンにノートと筆記用具をしまって立ち上がる。教室棟と寮がある宿舎棟は中庭を通って学校の東側に位置している。ほとんどの生徒は寮ではなく、大きな旅行カバンを持って門のほうへ向かっていくが、は帰省する予定(そもそも帰省する場所がない)も旅行に行く予定もないので憂鬱な足取りで寮に戻った。


*


 私立聖ウラノス学院は、フェルト一優秀な人材を輩出すると名高い宗教系の学校だった。一年生から十二年生までの一貫教育で、ほとんどの子どもたちはこの学校で学び、卒業とともに首都へ就職する。も例に漏れることなく、一年生の頃からウラノス学院に通っているが、医者になるという夢は高等部へ進級すると同時に諦めた。とはいっても、無理だと言われて「はいそうですか」と素直に聞くタイプではないは、医者にはなれなくともそれに近い薬剤師という形を目指して日々勉強している。
 事実、は十二年生の中で成績トップであり、そういう意味でベルリ先生は気にかけてくれているのだろうが、先生の期待に応えられるような将来はあってないようなものだった。医者ともなれば首都にある大きな病院の就職試験を受ける選択肢がある。しかし、薬剤師は町のあちこちにあるしがない薬屋の店員が限度で、「それに近い」なんて表現をしたが医者とは雲泥の差だ。待遇も給料もまるで違う。
 それでもが勉強することをやめないのは自分の運命に抗いたいからかもしれない。生まれたときから人生を勝手に決められているなんてそんなの理不尽だって。

「ねえ、本当に行くの? やめたほうがいいんじゃない? 先生も外出は控えろって言ってたじゃない」

 ルームメイトのヘラが二段ベッドの上のほうで寝そべりながら本を読んでいた。ベッドの縁からひょっこり顔だけ出して、部屋を出ようとするを心配そうに見ている。どうやら彼女も今年の星団祭休暇は学校に残るらしい。毎年家族で首都へ行くだの、ノースタットへ行くだのと言っていたのに。今年は両親が星団祭で出店することになったから旅行ができなくなったのだとか。

「誰にも干渉しないヘラが珍しい。私の心配してくれてるの?」
「心配しちゃ悪い? 私だって無慈悲なわけじゃないよ」
「ありがとう。でも大丈夫。学校から出るわけじゃないから」

 がやんわり否定して出て行こうとしたので、気をつけなよとあまり納得していない顔で返したヘラは姿勢を元に戻してまた読書モードに入っていく。
 ヘラはくるくるとした巻き髪が特徴の女の子だ。毎朝自分でやっているらしく、が起きる時間はたいてい部屋ではなく共用の化粧室にいることが多い。ばっちりヘアスタイルを整えて戻ってくる頃にはも支度を終えているが、その割に授業をサボることが多いので彼女のやることは結構ちぐはぐしている。だからといって、彼女もまた成績は悪くない。には届かずとも、夏の一斉テストで確か十位以内に入っていた気がする。
 すでに読書に集中しているのかの位置からはもうヘラの姿は見えないので、小さく「行ってくる」と言い残して部屋を出た。

 教室棟と宿舎棟が東側に位置するのに対して、反対の西側には学校が管理する庭園を兼ねた薬草園がある。責任者は校長先生となっているが、実質管理を任されているのはベルリ先生なので見つけて以来は入り浸っていた。季節によって景色が変わるそこは時折授業で使うことこそあるものの、どういうわけかあまり人が寄りつかないらしい。薬剤師を目指しているにとって楽園ともいえる場所なので、誰にも邪魔されないという面では好都合だ。
 食堂で夕食を済ませたあと、生徒たちは思い思いに過ごすが基本的に宿舎の中で過ごすことが決まっている。規則ではないから別に外出してもいいのに真面目な人間が多いのか、は外へ出て行く生徒を見かけたことが少ない。初等部だった頃から、しょっちゅう部屋を抜け出して探検していたとは大違いだ。
 中庭を通り過ぎて、横長の教室棟も突き抜けていくと開けた景色が広がる。今は夜だから目立たないが、色とりどりの植物が区画ごとに植えられており、宗教の学校にしては非常に管理が行き届いていると言っていい。
 薬用草区、薬用果樹区、有毒植物区、薬用大木区といった区画が四方に広がるその中央にドーム型の温室が存在を主張するように建っている。がほぼ毎日のようにこっそり通っている場所である。
 はベルリ先生に許可を得て、独自の植物を育てたり、採取したりしていた。生態系を壊すといけないので、植える種は事前に許可をもらわなければならない。
 今夜、温室にやってきたのは夜にしか花を咲かせない夜行草を観察するためだった。先生からあの話を聞いたあとなので後ろめたさはあるものの、観察日記をつけているにとって一日でもズレが生じるのは許せなかった。真面目な性格ではないのに、こういうところでこだわりが出てしまうのが周りから浮く原因の一つだと自覚しているが、今さら変える気もなかった。
 ちゃっかりベルリ先生から借りている温室の鍵を使って中へ入る。外の空気とは違う温室独特の臭気が鼻についた。決して嫌な匂いではない。十分な太陽光が入るように作られているドーム型の温室は、温度や水路、光の調整まで薬草を育てるのに必要な環境設備が整っていた。これで、授業で使うのはほんの一部にすぎないというからもったいないと思う。
 は目的の薬草がある場所まで手提げ灯をかざしながら温室の中を歩いていく。何度も通っている場所なので暗くてもわかるのだが、日記をつけるためには灯りが必要なので仕方ない。特に今夜は曇っているせいで月の光も頼りないから余計に。
 背の高い木々たちをかき分けた先に水路の上で小さく主張する淡いピンク色の花が見え、がしゃがんでノートを出したとき、微かにあったはずの月光が何かで遮られていることに気づいて何事かと振り返った。

「な、に……?」

 遮っていた何かに手提げ灯をかざしてみたものの、そこには何もなかった。どころか、花のほうに視線を戻すと何事もなかったかのように僅かな月光が差している光景に戻っていた。
 変死体の話を聞いてしまった手前、少々の心も怖気づいているらしい。だがよく考えたらこの場所は学校の敷地内であり、関係者以外は入れないようになっている――はずだ。だから、誰かがいるなんてことはあり得ない。
 は努めて気にしないことにしてさっさと観察を済ませて寮へ戻ることにした。

「美味そうな匂いがする」

 と思ったのも束の間、すぐ近くで声が聞こえては肩をすくめた。余りにも唐突で、そして緊張を緩めた直後だったせいで、持っていた手提げ灯を床に落としてしまい軽くパニック状態になる。視界が真っ暗になり、見慣れているはずの温室が急に知らない場所に思えては恐怖に陥った。
 もはや観察日記のことなど忘れて、一刻も早くここから出ることだけがの頭をかすめていく。震える足を叱咤してどうにか前へ踏み出したとき、しかしは後ろから誰かに引っ張られてバランスを崩した。

「やっ……」
「腹減ってんだ。お前、すげェいい匂いがするな」
「っ……」

 訳の分からない言葉を放ったと思った瞬間、首と肩の間あたりに強烈な痛みを覚えた。

「っ……う、あっ……」

 何かが自分の身体に穿たれている。猛烈な痛覚の中で、それだけははっきりとわかった。片手を拘束されただけなのに、ものすごい力で掴まれているのか全然振りほどけない。
 は恐怖と不安で涙を浮かべた。そして思い出したくもない、ベルリ先生の言葉が頭をよぎる。
 "この辺りで変死体の目撃情報が多く寄せられています。それも決まって若い女性ばかりだそうです"
 外出は控えるという言いつけを守らなかった罰だろうか。このまま殺されるのだろうか。変死体ってどんな姿だったんだろう。嫌だな、死ぬならもっとマシな死に方したかった――

「今まで一番うめェ。久しぶりのメシだからかなー」
「おいルフィ! てめェ勝手にうろちょろすんなって言ってるだろうが」
「そうだぞ。見つかったらまた大変なことになるんだ、慎重にいかねェと……ってお前何してんだ」
「おお!! エース! サボ! やっと食糧見つけたんだ!!」

 が死ぬことを覚悟していたとき、今度は別の方向から新しい声が二つ聞こえた。その声に反応するように、を拘束する誰かが答える。声の特徴からして全員男であることは判断できた。
 ちらりと視線を声のしたほうに向けると、闇夜にぼんやりと二つの影がドームの窓に映った。逆光のせいで顔は見えないが、ひとまず姿形は人間のようだ。しかし、直後にジャンプしてここまで着地したのを見て、ただの人間ではないことを悟る。

「こいつの血、今までで一番の味がするんだ!」
「あ? お前適当なこと言ってんなよ。数週間ぶりの食事だからそう感じるだけだろ」
「いや、待てエース。この匂い……」

 彼らが会話をする中、腰が抜けたは逃げることもできずにただ様子を見ているだけだったが、急に三人の視線がこちらに向いてびくりと肩を揺らした。力の出ない身体をなんとか無理やり引きずって、彼らと距離を取ろうと後ずさる。すると、あとから来た二人が両脇を固めるようにじりじりと迫って、鼻をすんすんとさせて匂いをかぐ仕草をした。

「確かにすげェ甘い匂いだな」
「こんなふうに襲うことはしたくねェけど、背に腹は代えられねェよ」
「わりィな。あんたに恨みはねェが、こっちも命がかかってんだ。少し我慢してくれ」

 二人はそう断ってからさらにへ距離を詰めてきたかと思うと、黒髪のほうは首元に、金髪のほうは手首に唇を近づけた。つぷり、と先ほどと同じような感覚が襲う。けれど今度はの視界にそれがはっきり見えて戦慄した。自分の首と手に突き刺さったのは、針なんて生易しいものではない。これは"牙"だ。

「い、やっ……あ」

 ずぶずぶと奥まで容赦なく突き刺されたあと、妙な感覚に襲われたのは数秒後だった。痛いはずなのに、神経が痺れる感覚と脳が徐々にふやけていく不思議な感覚に陥ったのだ。抵抗するべきはずが、ぞくぞくと背中を駆け上げっていく得体の知れない甘い痺れがを苦しめる。
 こんなの違うのに、どうして言うこときいてくれないの。一度は引っ込んだ涙がまた目尻に溜まっていく。

「な、んでっ……」
「ああこりゃルフィの言う通りだな」
「ふぁっ……」穿たれたところから、じゅるじゅると血を吸われている。そのたびに身体がびくびく震える。怖くて、逃げ出したくて、は必死に身をねじった。
「無理に動くと余計に毒のまわりが早くなるぞ」

 金髪の男が恐ろしいことを言った。
 ど、く……? この痺れが毒だっていうの。じゃあ私はやっぱり死ぬんだろうか。
 そう思ったら急激に体温が下がっていく気がした。もうなりふり構ってなどいられなかった。持てる限りの力をふりしぼって二人を押しのける。

「やだ、も、やめてっ」

 這いずるように彼らの拘束から抜け出すと、覚束ない足取りでは温室を走り出す。手提げ灯やノートを置いてきてしまったが、この際もう仕方のないことだった。あの場にいて殺されるより余程マシだろう。それに毒だと言っていたから、の命はもう少ないのかもしれない。
 回らない思考で虚しさに襲われながら、はよたよたと寮までの道を急いだ。興味が削がれたのか、彼らは追ってくることはなかった。