夜から朝にかけての曲線

 話をまとめると、バッカスの血を持つ人間は祖母から聞いていた通り十五歳から二十歳までに人間以外から傷をつけられると呪い――つまり例の甘い匂いを発症する。それは人間にはわからないもので、嗅ぎつけられるのは吸血鬼族と獣人族のみ。なお、機械種は人間同様のため彼らにも匂いはわからないという。
 一度発症すると、ある条件を満たすまでは完治しない。
 そして理性のない吸血鬼や凶暴な獣人から狙われやすいことから隠れて生きる一族と言われており、例の機械種創造によってほとんどの一族の女性が命を落とした。とはいえ、生き延びて密かに子孫を残していたとしてもおかしくない。吸血鬼や獣人との関わりを一切絶てば、のような人間がいても不思議ではないのだそうだ。
 こうして一通り二人の話を聞き終えた頃には、満月が南を通り過ぎて西のほうへ移動しつつあった。空はまだ闇に包まれたまま、物寂しい荒野を突き月の明かりが照らしている。
 話が一旦途切れたところで、は気になることを彼らに質問する。

「その、"ある条件"っていうのを聞いてもいい?」

 が質問を言葉にしたとき、二人は顔を見合わせた。神妙な顔つきでその先を渋っている。そんなに満たすのが難しい条件なのだろうか。が身構えていると、「話してもいいが、卒倒するかもしれねェぞ」とサボが恐ろしい物言いをした。ごくりと生唾をのむ音がやけに大きく耳に響く。けれど、すでに症状は出ているし止められる方法があるなら知っておきたい。抗う方法があるなら、私は――

「大丈夫、何を聞いても受け入れるから。それよりも知らないままでいるほうが嫌だ」
「……そうか。じゃあ一切隠さずはっきり言う」

 サボの瞳がを射るように見つめてくる。その鋭い視線に体が硬直してしまったかのように動けない。受け入れるとは言ったが、の想像をはるかに超える内容だったら――と、思考がマイナスの方向に引き寄せられていく直前で首を振る。逃げるつもりはないし、呪いの運命には従わないって誓いを立てたのは自分だ。ぎゅっと目をつぶって大丈夫と言い聞かせてこぶしを握る。
 そうしたの態度にサボは片笑みを浮かべて、「まァそう固くなるなよ。条件的には別に難しくない」との頭を軽く撫でた。

「そう、なんですか」
「結論から言えば、処女でなくなることだ」

 さらっとなんてことなくサボが言ったので危うく聞き逃すところだったが、の耳にはしっかりその単語が刻まれた。聞き間違えでなければ彼は「処女」と言ったことになる。処女でなくなるということは、そっち方面に疎いでも知っている。けれど想像もしていなかった内容で、というより否定してほしくてはつい、「え?」と聞き返してしまった。

「つまり、誰かと肉体的に繋がればいい。正確には傷をつけられた種族と、だ。そうすれば匂いはその相手にしかわからないようになる」

 ところがサボは、単に聞き取れなかったとでも思ったのかもう一度、今度はわかりやすくはっきり告げて、の希望を軽々しく打ち砕いた。
 たとえば、吸血鬼と結婚しなければならないと言われるほうがマシだったかもしれない。

「いきなりそんなこと言われても……」
「だろうな。そこでもう一つ案がある。実はこの呪いには症状を抑える方法があるんだ」
「えっ! それは、本当ですか……?」

 次から次へと降ってくる新しい情報には目を丸くさせるばかりだった。自分自身のことなのに、知らないことが多くて不安になる。祖母からそんな話は聞いていないから彼女も知らなかったことになるが、それでもまさかほかに症状を抑える方法があるとは。
 彼曰く、ノースタットに生息する”マザーワート”という植物が症状を抑える効果があるという。

「そしてノースタットへ行く方法は一つ。ここから列車を使って首都を経由し船で北へ向かう。当然道のりには吸血鬼族や獣人族が多くいる場所もある」
「そん、な……じゃあどうすれば――」
「だからさ、おれ達と旅に出よう」
「君たちと……?」
「お前が危険な目に遭わねェようおれ達が護衛する。その報酬として血をもらう。どうだ、利害が一致してるだろ」
「そもそもお前の血を食しちまったらほかの奴の血なんて食えるか。バッカスは希少種だぞ、見つけるのだって大変なんだ」

 サボの言葉にエースが続ける。希少種なんて言われても、なりたくてなったわけではないのに理不尽だと思う。しかし彼らに怒りをぶつけたところで何の意味もない。すでに呪いは発症してしまっている。もし本当にそんな植物があるのならこれから先が生きていく上で必須になるだろう。答えは決まっているも同然だった。

「わかった、君たちと一緒に行く。この場所から離れて外の世界を見てみたいっていうのはあったし、そのときと目的は違うけど……私は私の人生を諦めたくないから」

 左右の椅子に腰かける二人に向けては強い決意を示した。運命なんて言葉で片付けたくない、呪いには屈しない。医者になれなくたって、の人生はきっと何か意味がある。

「良い答えだ。早速で悪いが、夜明けとともにここを経つ。善は急げって言うだろ?」
「いいけど、一度寮に帰っていい? 同室の子に断っていきたいし、鞄もないし」

 いくら休暇中とはいえ、何も言わずに出て行けばヘラも心配するだろう。そもそも休暇の間に帰って来れるのか定かではないが、一言断ってから行くべきだし荷物もすべて部屋の中だ。
 の懇願にサボがもちろんと笑って頷く。その表情は柔らかいのに、人間とは明らかに異なる牙がきらりと光って見えた。
 でも不思議だ。サボもエースも最初のときと違って今は怖くない。吸血鬼族や獣人族は野蛮な種だと植えつけられて育ってきたせいか先入観で見てしまいがちだが、たとえばウエスタット地方では人間と共存して暮らしていたのだからきっと思い込みな部分もあるのだろう。

「とりあえず体力戻ってねェだろうからまだ寝てろよ。起こしてやるから」
「ありがとう」
「起きたら血ィ吸わせろよな」
「エースお前なァ……」
「腹減ってんだ。オメェだって我慢してるくせに、良い奴のフリすんな」

 二人が軽い言い合いを始めて、部屋の中が途端に騒がしくなる。最初は小さかった声も段々とボリュームが上がってきては苦笑しながら見つめていた。
 しばらくすると騒ぎをかぎつけたのか、ドタドタと扉の外から階段を駆け上げる音が聞こえる。下にいるというルフィに違いない。三人の中で一番元気があって落ち着きがないようだが、構えたところがないというか屈託がなく真っすぐである。
 仮にも怪我人が寝ている部屋に、彼はノックもなしに入って来て真っすぐに向かってずかずか歩いてくる。一瞬身構えるが、近くまでくると急に力を無くして項垂れた。

「腹へった死ぬ……おれ、お前の血ィ好きだ吸いてェ」

 ギラギラした眼光がをじっと見つめてくる。ルフィは良くも悪くも素直で表裏がない吸血鬼らしい。エースやサボとはまた違うわかりやすい態度が、逆に警戒心を和らげてくれては思わず吹き出した。

「いいよ。助けてくれたお礼にあげる」

 の言葉にルフィは目を輝かせたが、二人は目を丸くさせて驚いていた。素直に血を差し出すとは思っていなかったのかもしれない。まだ少し痛む首の傷をさすりながら、彼らは昨晩の人たちと考え方が根本的に違うのだとこの数時間の間に理解した。恐怖が完全になくなったわけではないが、それでも助けてくれた事実は変わらない。彼らが来なければは本当に殺されていたかもしれないのだから。

「ただ、もう少しだけ寝かせて」

 決して綺麗とは言えないベッドに体を沈めた瞬間、急に疲れが押し寄せてきて瞼が閉じていく。ぎしっと鈍い音がしたあと、三人の顔がを覗き込み笑った気がした。
 瞼の裏にまだ見ぬノースタットの地の光景が浮かんで消える。本の中でしか知らない世界。この先はその光景をどんな想いで見ることになるのだろう。不安と期待が同じだけ心の中を占めていた。
 "おやすみ"。肌を撫でるようなやさしい声が頭上で聞こえて、はゆっくり夢の中へ沈んでいく。