ひと匙の虚実の証明

 はるか昔、この世界にやってきた六人の人間が海と森と大地にわかれて文明を築き上げていった。後世の人間は彼らを創造主と呼び、教科書に仰々しく記載され崇め奉られる存在である。数十年後には吸血鬼族、獣人族という新たな種が生まれ、世界は巨大な一つの星となっていく。
 こうして何もなかった世界は少しずつ潤い発展していくが、目まぐるしく進化していく一方で彼らは不安も同時に抱えた。ほかの惑星の異星人による侵略だ。この世界の資源を羨み、戦争をけしかけてくるかもしれない。そんな妄想にとらわれた彼らは来たる戦争に備えて機械人間を作る計画を立てる。
 機械種モータリドールと呼ばれる新たな種族が誕生し、殺戮兵器として戦争に駆り出された。しかし実際に戦争が起きたのは惑星間ではなく同じこの世界でのことだった。
 吸血鬼族、獣人族、そして人間と機械種。種族間での争いが勃発すると、人間はたちまち機械種を吸血鬼族や獣人族の元へ送り込み、文字通り殺戮兵器として襲ってくる者たちを殺した。そこに心など必要なく、目の前に立ちはだかる者をただひたすらなぎ倒していき、ついに美しかった大地は荒れ果てた野原となった。
 多くの資源で発展した文化は地方を中心に寂れていき、次第に何もなくなり人口も減っていった。しばらく荒んだ時代が続いて、各種族はそれぞれ仲間内だけで生きるようになり他族との接触を一切つことで互いに干渉しなくなった。
 幾年もの歳月が流れたあと、新たな王の誕生を歯切りにこの世界は再び息を吹き返す。互いを思いやり、傷つけ合うことなく平和に生きる。歴史を塗り替えることはできないが未来は変えられる。ありきたりな言葉でもって人々の心を動かした。
 こうして首都から少しずつ世界は変わっていく。吸血鬼族と人間、獣人族と人間、吸血鬼族と獣人族。そして機械種。見た目は変わらない、けれども違う種族の彼らは手を取り合って生きることを選んだ。互いの利益の下、共存する町が増えていった。
 しかしそれでも自分たちと異なる生き物を排除するという考えはいつの時代も拭えない。争いは起こるし、その犠牲になる者たちもまた存在する。戦争ほどの規模でなくとも。


*


 ばたんという扉の開閉音で目を覚ましたは、見ている景色が知らない模様の天井であることに気づいて少し前までの記憶が徐々に思い出されていく。右手を動かして首に触れると、しっかり包帯が巻かれていて誰かが手当てをしてくれたらしいことがわかる。
 どのくらい意識がなかったのか時間の感覚はわからなかったが、少なくとも起き上がるくらいには体力が回復したようだ。

「いったぁ……」

 とはいえ完全に痛みが引いたわけではなかった。首元を押さえながら独り言を呟く。
 いろいろなことが短い時間の間で起こりすぎて息をつく間もなかった。少し放心状態のままぼうっと視線を窓辺のほうに移して、そういえばここはどこなのだろうと疑問を抱く。
 がたがたと落ち着きのない音が視線の反対方向で聞こえた。

「目が覚めたみてェだな。大丈夫か?」
「あ……」

 くるりと首を左から右へ動かした途端、視界にエースがにゅっと現れては鈍い反応を示した。大げさに驚けるほどの気力はまだなくこれでも驚いたほうだ。
 先ほどの開閉音は誰かが入ってきた音だったらしく、よく見れば寝室っぽい雰囲気の部屋でが寝ているベッド以外にも三つのベッドが向かい側と隣に見える。彼らの住んでいるところだろうか。

「助けてくれてありがとうございました。ここはあなたたちが住んでるところ、ですか?」
「ああ。ところでお前……首はもう平気なのかよ」
「え、あー……まだ少し痛いですけど、適切な処置をしてくれたみたいなのでなんとか」
「そうか……」

 何か続きの言葉がありそうだったのだが、エースの目は伏せられてその先の言葉は結局なにも紡がれなかった。ちらちらとこちらの様子を気にする素振りを見せているのに口を開かないまま時間だけが過ぎていく。
 居たたまれなくなったは「ほかの二人はどこに?」と質問した。先ほどからエースの姿しか見えないのでどこかに行っているのだろうか。

「あいつらなら下にいる……。ところでよ、お前に話さなきゃならねェことがある」
「……?」
「サボを呼んでくるから待ってろ。ついでに言葉遣いもそんな丁寧にしなくていい」

 の返事を聞く前に、エースは寝室から出てどたどたと階段を下りていく足音がここにいても聞こえた。慌ただしい彼の様子はなんだか吸血鬼らしさを感じさせない、と変わらない人間のそれに似ていておかしかった。一昨日の出来事が嘘のように思えてならない。
 どうして助けに来てくれたのだろう。変死体事件の犯人はあの男たち――吸血鬼であって吸血鬼ではないと言っていたが、どういうことなのかにはわからなかった――だったわけだが、エースたちも所詮は人間の血が食糧であることに変わりないし、を助ける義理もないだろうに。
 ただ一つ言えるのは、彼らは吸血鬼でもいわゆる「理性を保てる特殊な訓練を受けた者」であることだ。そうでなければさっき怪我させられた時点で血を吸い取られてもおかしくなかった。
 それから――まだ疑問に残っていることはある。
 例の症状について、祖母から言われるような甘い匂いは今のところ感じられない。二日前の夜、はルフィによって初めて他族からの傷を許してしまったが、今に至るまで誰からもそうした疑惑の目を向けられていないし、何より言葉に躊躇いのないヘラが言ってこないのだからきっと発症していないのではないかと思っている。
 とはいえこの謎が解けない限り、は学校を卒業したとして首都へ行く道を選べない。祖母はいないのだから守る必要もないと思うものの、だって自分の身は大事だ。わざわざ命の危険があるとわかって自らそこへ飛び込んでいく勇気は持っていなかった。
 と、そこにぎしぎしと何かが軋む音が扉の向こうから聞こえた。二つの足音が近づいてくるのがわかる。数秒してから寝室の扉が開いて、はたしてエースがサボを連れて戻ってきた。

「待たせて悪い。怪我は平気か?」
 開口一番、サボはの首元に目線をやって心配そうにそう聞いた。やっぱり吸血鬼らしくない。
「……」
「どうした」
「あ、いや……エースと同じこと言うんだなって。二日前に会ったときと印象が違いすぎて戸惑う」

 そうなのだ。にとって人間以外の種族は未知の存在で、会ったばかりの彼らとこんなふうに普通の会話をしていること自体まるで夢物語なのである。理性を保てる吸血鬼だとわかっても、やはり人間の血を食糧にするという事実は恐怖に値するし、もしもその理性がなくなったらという想像だって自然にしてしまう。だってみすみす殺されるつもりはない。
 ベッドの両サイドにそれぞれ腰かけているサボとエースは、お互いに視線を見合わせてから「ぷっ」と風船が割れたように吹き出したあと、ゲラゲラと大声で笑いはじめた。

「まァそう思われても仕方ねェよな。あのときは飢えに飢えてたし、たまたま忍び込んだ建物にお前みたいな美味そうな匂いを発する奴が現れたときは驚いた」

 サボはおかしそうに腹を抱えながら二日前のことを再び口にした。「に、おいって?」ふと、あの日のやり取りが脳内で再生されて、もしかしたら彼らなら事情を知っているかもしれないという微かな希望がよぎり、は訊き返した。その言葉にサボの表情が一転して真面目な顔つきになり、「聞きたいことがある」獲物を捕らえたような目を向けられた。

「お前、バッカスの血の人間だな」

 その言い方は尋ねるときのそれではなく、既知の事実をただ確認するときの言い方そのものだった。

「はは、バッカス? なにそれ、知らない。私はそんな血なんか――」
「誤魔化しても意味ねェぞ。その匂いが何よりの証拠だ」

 聞きたいことがあるなんて、はじめから知ってるくせに質が悪い。サボの嘘を言っても無駄だという瞳と、エースの有無を言わせない鋭い瞳にの肩は竦んだ。白状させる気満々で話を進めるみたいだ。
 しかしこれでわかったことは、やっぱり例の呪いはすでに発症されているということだ。どうやら彼らにはから放っている(といっても自分ではわからない)匂いを感じ取れる何かがあるらしい。吸血鬼特有の嗅覚でもあるのだろうか。ヘラやほかの人間にはない匂いを感知できるほどの。

「血については祖母から聞いたから知ってる。症状のことも、他族から傷をつけられると発症することも」結局誤魔化すことは諦めて正直に打ち明けることにした。彼らに嘘は通用しないと判断した結果だ。
 サボは頷いて思案したあと、
「ルフィが悪かったよ。まさかお前がバッカスの人間だとは思わなかった」ついさっき廃墟でも謝っていたのにまた謝罪を口にした。本当に、の吸血鬼族のイメージをことごとく壊していく人たちだ。

「君たちにはわかるの? 自分ではわからないんだけど……」
「当たり前だろ。今だってすげェ匂ってるんだからな」
「ちょっと、人を臭いものみたいに言わないでっ……」

 サボが変なふうに言うのでは顔を赤くしながら抗議した。自分ではわからないのに彼らにはわかるというのはなんの辱めだろう。種族が違うといっても年頃の男性の前で、急に自分の体臭が気になって俯くをよそにサボは「そうじゃねェよ」とすかさず否定してきた。

「バッカスの血ってのは、普通の血の何十倍も甘いんだ。聞いてるだろ、おれ達にとってお前の血は最上級の食事だってこと」
「……」
「お前は運がいい。傷をつけたのがほかの吸血鬼や獣人だったら全身の血を吸い取られたっておかしくねェ」

 涼しい顔で今度はエースが物騒なことを言ってきたのでは途方に暮れた。運がいいと彼は言ったが、そもそもルフィに吸血されなければ血の呪いは発症せずに済んだのだからやっぱり理不尽だ。まあそれ以前に人間じゃない彼らは血を嗅ぎ分ける能力に優れているようだが。
 とはいえあれだけ謝罪の言葉をもらったのに不貞腐れているのも子どもみたいで情けない。それよりも自分の血について知っている情報を教えてもらうほうがにとって有益になる。彼らは以上にこの血について知っているようだし。

「教えてもらえませんか。バッカスの血と、この呪いについて」