じゃじゃ馬も風邪をひく(1)

 その日は朝から頭が重い気がしていたのだが、この程度なら問題ないだろうと勝手に判断して仕事にのぞんだ。別に病弱というわけでもないし、多少の無理をすることだってある。それに今日の仕事は報告書をまとめる作業だ、机にかじりついていれば特に不自由ない。そう思っては、朝食後そのまま共同の執務室にこもってひたすらペンを走らせていた。
 時々、コアラたちが出入りすることもあっていくつか会話を交わし、今後の予定などを確認する。同じ執務室で同じく報告書をまとめている同僚たちの他愛ない話に時々参加しながら、の指は着々と文字を綴っていった。
 午前の間に二つ仕上がった報告書は、残すところあと三つになった。途中で昼食に誘われたが、朝に比べてあまり食欲がなかったので断って軽いもので済ませる旨を伝える。目ざとく「顔色悪いけど、大丈夫?」と聞いてくれる同僚もいてありがたく思うと同時に、あの人には言うなと視線を送って悟ってもらった。

「いいの?」
「いい。大したことないもん」
「私は構わないけど、バレたあと知らないからね」
「……うん。少し寝れば治るよ」

 腑に落ちない表情をしながら渋々執務室を出ていく彼女を含めた数人の同僚を見送って再び作業に専念する。ここに同じチームのエリスがいれば、無理にでもあの人に伝えてしまうだろうが、幸い彼女は一か月ほど別件で本部にいないのでそうした心配もなく仕事ができる。
 こうしては一人執務室に残り、黙々と作業に勤しむのだった。


 任務であちこち出向くことがある一方で、本部にこもってひたすら書類仕事をしたり、戦闘訓練として組み手を行ったりすることもある。もまた同様に、しばらく本部での仕事が続いていた。
 午後の作業を開始して一時間が経過した頃、座っているだけなのに体が重く感じるのは気のせいではないとようやく自覚したとき、こういう日に限って災難は続いたりする。
 後輩二人がのもとに「サボさんを探している」と尋ねてきたのである。

「えっと、どうして私? コアラちゃんやハックさんは?」
「コアラさんは会議が長引いているし、ハックさんは魚人空手の指導中なんです」

 困った顔を作って項垂れる後輩に言われて時計を見る。なるほど、この時間は二人とも執務室ではなかったか。ん? でもコアラちゃんが会議なら総長も会議に出ているんじゃ――
「ちょっと待って。総長は会議に出てないの?」もっともな疑問を投げかけた。
 しかし後輩の顔がさらに渋い表情になって何やら言い淀む。嫌な予感しかないから聞きたくないのに、でもだからといってそういうわけにもいかず、は確認を取った。

「総長は会議に出てないんだね? わかった、ありがとう。探して送り届けるから」
「ありがとうございますっ!」

 泣きそうな顔で言われてしまったら断ることなどできなかった。重い腰をあげて立ち上がったは一瞬ふらついて机に手をついてしまい、気づいた後輩が慌てて支えてくれた。

「わっ、さんかなり熱いですよ! 大丈夫なんですか?」
「うん……ちょっと体調が悪いみたい。でも総長見つけるくらいならできるから大丈夫。大体検討ついてるしね」
「一応私たちもまた探してみます。あの……無理しないでください」
「ありがとう」

 軽く手をあげて後輩に礼を言ったあと、は執務室を出て本部の外に向かった。思った以上に体が重く感じて歩くのも億劫だったが、彼を探すと言った手前放棄するわけにもいかず、壁に寄りかかりながらなんとか目的の場所を目指した。
 ふと見上げた空はあいにくの曇天だった。一雨きそうな雲行きに、頭の痛みが増した気がした。

*

 考え事をするのにこの場所は適しているとサボは常々思っている。何かあるたび、ここに来ては物思いに耽って時間が過ぎていくのを待った。ぐちゃぐちゃになった頭の中が不思議と理路整然になっていくのだ。
 革命軍の本部から東へ少し進むと小さな丘がある。本部の建物を一望できるそこは、昔訓練を抜け出して見つけた場所だった。妹同然のの手を引いてイワンコフの制止を振り切った記憶が思い出され、サボは思わず笑みをこぼした。
 会議の合間にここに来たのは特別理由があったわけではない。少し一人になりたいと思っていたら自然と足が向いていたのだ。
 地面に胡坐をかいてぼうっと遠くを見つめる。
 "偉大なる航路"の後半の海、通称"新世界"に位置する国・ドレスローザにその実があるとの情報を得たのはつい先ほどだった。生前、兄弟であるエースがその能力者であったことはすでに周知の事実であり、是が非でも手に入れたい実だとコアラたちに話したのは記憶を取り戻してすぐのことだ。
 ようやく入手した情報を無駄にするわけにはいかないという強い想いに加えて、妙な緊張感が渦巻いて落ち着いていられず気づけばここに来てしまっていた。

「まさかおれ、怖ェのか……?」
 サボは自分の手が少し震えていることに気づいた。ゆっくり指を動かして震えを押さえ込む。「やっぱりここでしたか。会議の途中で席を外したらみんな困るじゃないですか」唐突に後ろから声をかけられて振り返れば、気だるそうに息をするが立っていた。
 自分の居場所を教えた覚えはないが、なるほど彼女ならここを知っていてもおかしくない。しかしそれ以上にサボが気になったのは彼女の様子だった。いつもの強気で何かと自分に突っかかってくるじゃじゃ馬な態度が微塵も感じられない。

「みんな探してますよ」
「ああ、悪ィな。すぐ戻るよ」
「……私じゃなくて探してくれてる後輩たちに言ってください」

 はあ、と短い呼吸を繰り返して、は踵を返し去っていこうとする。その後ろ姿を見つめながら、サボは腕を組んで首を傾げた。やはり覇気を感じられないし、小柄とはいっても今日はやけに丸まって見える。はたして彼女はこんなに頼りなかっただろうか。
 サボの違和感はが歩き出してすぐ確信へと変わる。彼女は普通に歩いているつもりだろうが、どうみてもふらついていた。舌打ちして立ち上がり、去っていく小さな背中を追いかける。


「はい……んっ」呼び止めて、少し強引に腕を引き寄せる。ああ、やっぱり。
「お前、熱あるだろ」
「ちがっ」
「――わねェよな? 体すげェ熱いぞ」

 実際に触れてみて驚いた。熱を持った人間というのはこんなにも熱いのだろうか。逃げようともがくに構わず、サボは彼女の額に触れて確かめる。間違いない。彼女は明らかに体調が悪かった。よく見れば、頬は赤いし呼吸も荒い。肩が上下するところまでわかってしまう。頭痛がひどいのか、こめかみを押さえる仕草が目立つ。
 何してんだお前、こんな体で――という言葉はのみ込み、すかさずを抱えるとサボは本部に向かって歩き出した。
 通常の彼女ならこの時点で「やめてください」だの「自分で歩けます」だの文句を言うところであるのに、今日はそれが一切ない。されるがままサボの腕の中で苦しそうに息をしているだけだった。そんな弱り切ったに対して今さら咎めようとは思わなかったが、サボが指摘しなければ一体いつまで仕事をしていたのかという苛立ちは隠せそうになかった。
 振動を与えないように努めつつ、けれど足早に建物の中へ向かう。途中で何かが頬を濡らしたことに気づき、ふと空を見上げてさらにサボの足取りは早くなっていく。どうやら雨が降り始めたらしい。

「体調悪いくせに、おれのこと探しに来るなよ」

 頼まれて断れなかったのだろうと想像はついたが、つい悪態をついての様子を窺う。本当に元気がないのか、瞼を閉じて震える彼女をなるべく濡れないようにして医務室へと急いだ。