オルレアン少女

まる、さんかく、しかく

 言い訳にもならなかったであろう明らかに嘘だとわかるそれを三人が納得したとは思っていないが、あのあと昼休みが終わって戻ってきたポートガスから問い詰められることもなく授業は進み、あっという間に帰りのホームルームの時間になった(相変わらず彼は授業中ずっと寝ていた)。
 エマのクラスでポートガスに話しかける人はいない。他校の生徒と喧嘩をしているとかヤバい連中と付き合っているとかどこから聞いたかもわからない噂が噂を呼び、けれど本人が弁明するわけでもないから真実は闇の中だ。実際のところどうなのか気になっている人も多いだろうが、登校するよりも休んでいる日数のほうが多いし、そうした噂のせいで話しかける勇気がないというのが本当のところである。
 ただし、そんな彼にも女子から注目される理由が一つだけある。

「今日はエースくん来てるね」
「まあずっと寝てるだけだけど」
「でもかっこいいよね」

 こそこそ本人に聞こえない小さな話し声で会話をする女子たち。怖くて近づけないと言われている一方で、彼の見た目が女子たちに人気があり目の保養として密かな観賞対象となっていた。
 なるほど、と思わなくもない。リア充グループにいるエマにも、エミたちと同じで彼氏がいるかといえばそう上手く人生ができているわけではなく、いたって平凡な日常を送っている。だから、ポートガスを見て騒ぐ気持ちがほんの少しわかるのだ。確かに彼は背がそこそこあってかっこいいし、どこか陰のある感じがミステリアスな雰囲気を作り上げていると思う。そばかすもチャームポイントだろう。
 けれど実際の彼は話しかけるなオーラを発しているので、遠巻きに盛り上がることしかできないのだ。さっきのことを聞かれると思って無駄にドキドキしていたエマは、ポートガスに対する理不尽な怒りをぶつけたいところだったが。
 ん〜拍子抜けしたなあ。
 ホームルームを終えて各自がそれぞれ部活やら帰宅するやら教室を出ていくの見送りながらエマも帰る支度をする。金曜日の今日は本来ならバドミントン部の活動日だが、ありがたいことに顧問が出張かつほかの先生も空きがなかったとかで休みになった。
 明日からはゴールデンウイークであり、部活も二日間のみだ。エミたちに顔を合わせる機会も減るのでほっとする。冷たい視線を感じることもあるが、エミたちの唯一面倒くさくないところは無視以外の攻撃をしてこないことだ。物を隠すとか捨てるとか、または暴力的な行為とか。そうした行き過ぎたいじめと呼べる域にはなっていない。だから、エマたちの問題でありほかの誰もが干渉していいものではない。
 それなのに――

エマちゃんまたね」
「……うん、また」

 複数の、それもつるんでいないグループの高原たちから挨拶をされて戸惑う。クラスメイトなのだから別に不自然なことではない。挨拶くらいどうってことない。しかし、エミが高原たちをよく思っていないことをエマは知っていた。
 エマたちが仲間割れをしていることに、ほとんどの女子はすぐに気づいた。当たり前だ、いつも一緒にいる四人が急に三人と一人になったら誰でも不思議に思う。面と向かって事情を聞いてくることはしなかったが、エマが一人になった途端、高原たちから話しかけられるようになった。別にグループの輪に入ったわけではない。単純に挨拶をするだとか、すれ違ったときに世間話をするだとかその程度。加えて、エミにはじき出されたエマを憐れに思っている節がある。余計なお世話だが。
 それがエミにはどうも許せないのか、たびたび鋭い視線を向けて何かを訴えようとしていた。ほんと、女子って面倒くさい生き物だとつくづく思う。
 エマが誰と一緒にいようが、エミに決める権利は一切ない。それでも学校という場所は、エマが生きていく世界の大半を占めている。要するに、エマもポートガスに話しかける勇気がないクラスメイトと同じでエミを切り離す勇気がない。


*


 ゴールデンウイークの最終日、母に友人たちとライブに行くと言って家を出てきた。ライブに行くのは嘘ではないが、友人たちと一緒ではなく一人だし、母が思っているようなアーティストのライブではない。大きな会場でもなく、地下のライブハウス。
 初めて行ったのは高校一年の夏休み。午前で部活がおわったあとエミたちと夕方まで遊んで別れ帰宅しようとしていたとき。たまたま通りかかった道で看板を見つけてしまった。なんとなくの気まぐれだった。もともと歌うことは好きだったが、特定の好きなアーティストがいたわけではないからライブにも行ったことなどなかった。
 しかし、ひとたびライブが始まったときの高揚感は今でも覚えている。会場のBGMが少しずつ消えて、バンドがステージに立った瞬間。会場内の歓声。最初の一音。鳥肌が立った。名前も知らないバンドなのに、聞いたこともない曲なのに。不思議な世界だった。それからはエマの心の拠り所として、数か月に一回のペースで足を運んでいる。

 今日訪れるのは三つ隣の駅にできた新しいライブハウスだった。エマが応援するバンドがそのオープン祝いの公演に呼ばれたようで、二か月前にチケットを取った。大きな会場と違って、通りにひっそりと存在するライブハウスは一見それとはわからないもので迷う人も多い。かくいうエマも危うく通り過ぎるところで、看板がなければそのまま気づかないままだっただろう。
 スタッフにチケットとドリンク代を渡す。これは通うようになって知ったことだが、多くのライブハウスはワンドリンク制をとっている。チケットの料金とは別にライブハウスに対して支払うのだ。そうして客側は会場内にあるカウンターで好きなドリンクを選ぶことができる。
 開演十分前のせいか、すでに会場は人で埋まっていた。今日は目的のバンドを含めて三組。エマはチケットに記載された残り二組を知らないので今日初めて聴くことになる。出演順は明らかにされていないのでわからないが、対バンのメリットは新しい出会いがあることだ。
 一度だけ母に話したことがある。友人の話として。ライブハウスに通って、いろいろなインディーズバンドを聴いている子がいると。アイドルや大衆アーティストよりも、近くで音や声を感じることができるから良いのだと。もちろん人気のある大衆アーティストを否定するわけではない。エマは、ほかの子と違う世界にいるという優越感に浸っているだけだ。
 それでも地下のライブハウスというのは印象がよくないらしい。喫煙、飲酒。未成年に禁止されているものがライブハウスでは可能なので、親の立場からするとそうした場所に高校生が出入りするのは見過ごせないものがあるようで「そういう場所に行く子たちってみんな何か問題があるんじゃないかしら」と一蹴した。もちろん偏見なのだが、彼女には何を言っても伝わらない。自分の価値観がすべてだから。
 人の波をかきわけてバーカウンターへ向かう。ドリンクのメニューを見て、あれ?と首を傾げた。アルコールがない……? いつもはあるはずのアルコール飲料が、今日は一切消えていた。品切れではないはずだ。そもそもオープン祝いでそんなことはあり得ないだろうと思ったが、初めての会場で気軽に話しかけることもできずひとまずいつものペットボトルの水をもらってステージから離れた後方に移動する。
 ふと周りを見回して、やけに若い女性が多いことに気づく。エマが目的にするバンドは男女比が大体同じなので残りの二組のファンだろうか。右手のチケットを見つめてこれから出演するバンドに想いを馳せた。
 ペットボトルのキャップを開けてひとくち。エマがカウンターにいる間に、会場は満員状態に近くなっていた。
 そして薄暗い明かりが消えて真っ暗になる。ばらばらに会話をしていた客たちがステージに向けて歓声をあげる。瞬間、血が全身に駆け巡っていく。言い知れぬ高揚感。暗いステージにバンドメンバーが順番に入ってくる。メンバー全員が出てきた刹那、前触れもなく演奏は始まった。そしてぱっと明るくなったステージは、バンドマンたちの顔をはっきり見せてくれた。
 どうしてアルコール飲料がなかったのか。ステージに立つ彼らを見て、エマはその理由を理解したのだった。