アイラブユーは舌先で苦い
最近、親友が一人の女の子にご執心だ。その子が以前合コンに来ていた子だと萩原はすぐに気づいたが、当の本人はまったく覚えていなかった。らしいと言えばらしい。あの日の松田は合コンにあまり乗り気ではなかったから仕方ない。
姉貴のことを引きずっているのかと思いきや、ちゃんと前に進もうとしていることは素直に嬉しかった。しかも松田の内面をしっかり見てくれそうな子だったから、親友としては張りきって応援してやりたいところだ。あいつの技術を素直に褒めてくれる女子はかなり珍しい。それに、喧嘩腰な口調のせいで敬遠されがちな松田と、彼女は意外にも臆さず面と向かって会話をしていた。
さて、どう背中を押してやろうかと伊達班の連中と悩んでいた矢先のことだ。松田が仏頂面で食堂に現れたので全員が妙な緊張感で席につく。本人は普通にしているつもりなのかもしれないが、誰がどう見ても不機嫌さを隠しきれていない。お前が聞け、と三人から目で訴えられて、萩原は恐るおそる探りを入れることに決める。
「あのさ〜陣平ちゃん、昨日何か――」
「別に何もねぇよ」
「……」
すべて言い終わる前に返された。何もないって態度じゃねぇだろ。けど、これ以上刺激したらマジでキレちまいそうだから触らぬ神に祟りなしってやつだ。
眉間にシワを寄せたまま沈黙を貫く松田をそっとしておいて、班長たちと今日の授業内容や課題といった他愛ない話で盛り上がる。会話に一切参加してこない松田だが、ちらちらと入口を気にしているのは知っていた。誰を探しているのかも察することができる。
萩原も話に相槌を打ちつつ、松田の視線の先を追う。しばらくしてから二人組の女子が入ってきたのがわかり、偶然にもそのうちの一人がこっちを見た。例の女の子だ。松田を見れば、同じように彼女を見ていた。あきらかに目が合ったが、松田のほうがぷいっと逸らしてそのまま朝飯をかっ込んでいく。
(おいおい、そりゃーねーんじゃねぇの?)
胸中で松田の素っ気なさに呆れる。そして松田の様子を目の当たりにした彼女は傷ついたように顔を伏せて、もう一人の女の子と奥のテーブル席に向かった。あーあー、女の子にあんな悲しそうな顔をさせちゃダメでしょーよ。
萩原はため息をついてから、ちらっと松田に視線を流した。何事もなかったかのように平然と食事を続けている。この前の授業はイイ雰囲気だったはずなのに、一体昨日何があったのか。萩原は口を動かしながら、親友の恋を案じた。
*
自分で言っておきながらこれほど後悔するとは思ってもみなくて、けれどあの時は打算的な気持ちは一切なく、ただ松田くんへの溢れそうな想いに突き動かされてつい口にしてしまった。それが失敗だったと気づくのは、皮肉にも彼の反応を見てからだった。「意味がわからない」というのは拒絶だ。
だからこそ、今日会ったら冗談で済ますつもりだったのに……。
――松田くん、あからさまに目をそらしたよね。
昨日の発言から明けて、朝食の時間。食堂へ入ったとき、松田くんと目が合ったにもかかわらず彼ははっきりとそらした。気まずくなるくらいなら「あれは冗談だよ」と言って誤魔化すつもりだった。今ならまだ間に合うと思ったから。でも、どうやら私は取り返しのつかないことをしたらしい。松田くんから距離をとられてしまった。
「はあ……」
何度目かのため息をついて、窓からのぞく六月の空を見上げた。どんよりとした分厚いグレーの雲が浮かんでいて今にも雨が降りそうだ。自分の気持ちを代弁しているみたいで余計に気が滅入る。日の入りまではまだ時間があるはずなのに、これではそれすらわからない。
授業終了後、自由時間のいまは自習室に来ていた。夕食までの間、トレーニングする人もいれば、図書室で読書する人、自習する人など時間の使い方は様々だ。
今日の授業で出された課題も難しくて進まないし、同室の子は必要なものがあるって外出したからしばらく戻ってこないだろうし、もう終わりにして先に入浴を済ませようか。
「あれ。君は確か松田の――」
背後から聞きなれない声が飛んできて、振り返ると金髪で色黒という目立つ容姿の同期が立っていた。同期と呼ぶのもおこがましいくらい頭が良くて手の届かない存在ではあるけれど、合コンのときに話してみれば気さくで結構ノリがいい。
私のことを「松田の――」と言いかけて口をつぐんだのは今朝のことがあったからだろう。松田くんのそばには降谷くんたちもいた。松田くんの口から私のことがどう伝わっているか知らないけど、告白された(実際は告白したわけではないけど、それに近い言葉は言った)と伝わっていたらあまりにも恥ずかしい。しかも拒否されているのに。
「降谷くんの邪魔になるから私行くね」
「どうして? ここは居室じゃなくて自習室だろ? 僕は別に君がいても構わないよ」
「……」
降谷くんが構わなくても私がよくないんだけど、とは返せず、結局成り行きでその場にとどまることになった。おまけに「それって今日の課題だよな? 苦戦してるようだし、教えようか」まで言われてしまえば、断れるわけがない。
そういうわけで、私は隣に降谷くんを迎えて課題を見てもらうことになった。最初こそ緊張して落ち着かなかったけれど、彼の教え方が上手くて気づけば夢中で進めていた。座学が苦手ではないものの、通信関係は知識を詰め込んだとしてもイマイチわからないことが多かったから彼の存在はありがたかった。
松田くんをはじめとする伊達班の五人は、今期入校者の中でも目立つ存在として有名だ。特に降谷くんは全科目オールAというそんなマンガみたいな成績優秀者って本当に存在するのかレベルであり、加えてこの容姿だから余計に目立つ。真面目すぎる性格ゆえに、最初は松田くんと殴り合ったと聞いたけれど、今は結構仲がいいみたいだ。
「なるほど、こっちの回路を合わせればよかったんだ」
「な? 仕組みさえ理解すれば簡単なんだ」
「たぶんそれは降谷くんの教え方が上手いからだと思うよ。すごくわかりやすかった」
「そうかな。でも君もなかなか理解が早いから、繰り返せばできるようになるさ」
「ありがとう。ついていけるように頑張ります」
「……」
課題が終わったタイミングで会話が途切れたものの、降谷くんが何か言いたそうにこっちを見ていた。私の知っている彼なら、思ったことは口にするタイプなのだがどうしたのだろう。言うか言うまいか悩むなんて珍しい。座学で一緒になるときの彼は、積極的に挙手して教官の問いに答えている。まあそれと日常的な会話はまた別の話だけれど。
しかし、一度気になってしまえば見過ごすのも変だ。私から聞かれるのを待っているのかもしれない。
「私に何か言いたいことでもあるの?」
そう聞くと降谷くんは目を丸くさせてから、
「あー……いや、うん、そうだな。あると言えばある」
これまた珍しい曖昧な答え方をした。
こんなふうに気遣うのはデリケートな話題だからにほかならない。この時点で、私の中で降谷くんが何について聞きたいのかを察することができた。そもそも彼の中で私は合コンで知り合った女ではなく、松田くんと何かあった女なのだろう。そうじゃなければ、私を見つけて『松田の――』なんていう発言にはならないはずだ。
「……いいよ。答えられる範囲で答える」
せっかく浮上した気持ちがまた少し下降したのを感じつつ、彼に先を促して言葉を待った。
*
松田が自主トレに付き合えと言うからついてきたはいいものの、イライラをぶつけるようにあちこちトレーニングマシンを使いまわすから正直ついていけなかった。いや、体力はあるほうだと思うが、付き合う身にもなってほしいと、萩原は夕食の時間になってようやく解放された気分で食堂にやってきた。その後ろには暑そうにしている松田もいる。
午後七時あたりが夕食の時間帯なので、席は結構埋まっていた。別にいつも一緒でなくていいのに、つい癖で班長たちがいるのか見回すと珍しい光景が目に映って一瞬きょとんとして立ち止まった。直後、ハッとして後ろの松田を振り返ったがもう遅かった。松田の目にもしっかりとその光景が見えてしまっている。
「気にすることねぇって。ありゃーきっと勉強か何かの話で盛り上がってるだけだろ」
萩原は慌てて取り繕った。悪いことをしているわけでもないのに、なんで自分がこんな焦らなきゃいけないのかと内心ちょっと面白くない気分で、食堂の奥を見やる。
「別に、俺は何も気にしちゃいねぇ。行くぞ萩」
抑揚のない低い声だった。
松田が怒っているところはこれまでに何度か見たことがあるし、入校してからもたびたび教官と衝突したり、降谷と喧嘩になったりしたが、これはまた別の角度からの怒りを感じる。焦燥感とでも言えばいいのか、手先は誰よりも器用なくせに妙なところで不器用だ。松田はどっちかというと直球タイプだが、彼女が相手だと勝手が違うのだろうか。奥手の松田など想像できない。
舌打ちしながら歩く松田を見て、周囲が自然と距離をとっていく。気になる女子がほかの男と楽しそうにしているのは確かに面白くない光景だが、だからといってここにいる同期たちは関係ないんだけどねぇ、と萩原は通り過ぎるたびに顔の前で合掌して軽く謝罪する。
ずかずかと大股に歩いてカウンターの前にできている列に並んだ。ポケットに手を突っ込んだまま、不貞腐れた松田は何も語らない。結局、彼女と何があったのかも教えてくれないからアドバイスのしようがなかった。これではお互い誤解したままだろうに。
萩原はちらりと食堂の奥に目を向けた。そこには、降谷と例の女の子が談笑しながら一緒に飯を食っている光景が映っている。