外見だけじゃダメかもね
配属されてから三週目。仕事に慣れてきたかと言われれば微妙なところだが、コアラの指導のおかげで一つずつ順調に覚えていくことができていた。
昼休憩はもっぱらコアラがおすすめのお店に連れていってくれる。簡単に済ませられる喫茶店からガッツリな洋食屋までジャンルは様々で、しかも一番褒めるべきところはハズレがないという点だ。さすが同じ場所に何年も勤めていると、そうしたことにも詳しくなるらしい。といっても、コアラだってまだ四年目くらいのはずだが。
今日連れていってもらったのは和食が売りのこじんまりとした定食屋だった。老夫婦が経営しているそこは、品数が多いわけでもないのに繁盛していて席数が少ない分、外で待っているほどだ。たちも十数分待ってから席に着くと、コアラのお薦めだというメカジキの定食を注文した。
人気の理由は食べてからわかった。バター醤油という定番中の定番ではあるものの、王道の和風ソースがかかっているメカジキと相性が良い。ピリリと感じるのはわさびだろう、食欲がそそられる。ご飯がよく進む味付けだった。
気づけばコアラと一言も喋らずに黙々と平らげてしまい、は謝った。しかし彼女は「なんで謝るの? それくらい美味しかったんでしょう」と微笑んで席を立ちレジまで歩いていく。お金を払おうとしたのに、さりげなく制されて、の財布を持った手はそのまま虚しく元あった鞄へ戻された。コアラのこういうスマートさは見習いたいと思うところだ。
社内に戻ると、サボから出発の声がかかった。今日のメインイベントであるリリアンフードという食品会社での打合せだ。にとって初めての客先訪問になる。
IT企業の要件定義では、実際客先に行って現状の課題を洗い出して新しいシステムに必要な機能を整理する。その内容をもとに業務フローやシナリオを作成して顧客とすり合わせを行う。
サボやコアラとの事前打合せで聞いたことは、顧客の業務理解、そしてどういった問題を抱えているのかを聞き出せるかだそうだ。それによって具体的な解決策を提案できるし、後の工程も比較的うまくいきやすい。そして予算や費やす時間、人も関係ある。良いシステムというのは、機能面でもコスト面でもちょうどいいバランスが取れているかなのだそうだ。
リリアンフードは、たちのいる場所から一本乗換をしたオフィス街にあった。業界でも大手にあたる会社で、本社ビルは都内に存在するが工場は全国にたくさん存在する。
数多くのビルが立ち並ぶうちの十階建てのビルのエントランスをくぐり、エレベーターで六階へ昇る。上昇するにつれての手汗は増していく。初めてのことなので緊張するのも無理はない。なぜならこうした打合せは本来新人が参加できるようなものではないからだ。ほとんどが、システムの中身――プログラムを組むところからスタートし、徐々に設計や要件定義に関わっていくというのがシステムエンジニアの理想的キャリアアップである。
「。緊張してるのはわかるが、挨拶や笑顔は忘れるなよ」
エレベーターの中、階数ボタンの前でそわそわしているを見兼ねたサボが笑いながら言った。後ろに立つ上司と先輩コアラを前に恥ずかしくなって情けない返事をする。
「大丈夫だよ。私も最初は緊張してたし、数を重ねて慣れていこうね」
「はい……」
優しいコアラの言葉でほっと息をつく。階数表示板が六を示すと、扉がゆっくり開かれた。二人を先に下ろして自分も倣う。見渡すとワンフロアすべてがリリアンフードの敷地らしく、営業部や開発部などの看板がそれぞれの扉についていた。
総合受付の前で受付票をさらっと書いたサボは内線で担当者に電話をかける。軽く挨拶をして電話を切ったあと、数秒と経たずに受付前の扉から人が出てきた。
「こんにちはトフェルさん。今日はよろしくお願いします」
「ご無沙汰してます。えっと、コアラさんの隣にいらっしゃるのは……」
「あっ、新人のと申します。本日はよろしくお願いいたします」
言われた通り、いつもの満面の笑みで挨拶をする。異性によく使う顔だが、営業スマイルともいうべきそれは完璧だと言えた。案の定、トフェルという男性は少し顔を赤らめて面食らっている。見た目も若いし、年齢はサボと変わらないのかもしれない。
「今日から新人もお邪魔します。慣れるまでは至らないところもあるかと思いますけど、いずれは彼女にも一人でこういう場に出られるようになってほしいので」
ぼうっとしていたトフェルを見ていたらしいサボが苦笑いしながらフォローを入れて会話が引き戻される。つられて我に返ったトフェルが慌てて「いいえ。弊社も今月から新人が各部署に配属になったのでお気持ちはわかりますから」と応対した。
会議内容は新規の販売管理システムの要件定義をつめていくことだった。ある程度固まっているものの、後工程の手戻りを極力減らすためには詰められるところがまだあるのだそうだ。
こちらが三人なのに対してリリアンフード側はトフェルをはじめとした五人の社員が参加するようで、営業部門、情報部門など各部署の代表者に加えて経営陣と思われる偉い人もいた。は自分一人だけが場違いな錯覚を起こす。実際に場違いなのかもしれなかった。着席を促されて軽く挨拶を済ませると、話はすぐにシステムの内容に移った。
サボとトフェルが進行役を務めつつシステムに必要なものを、それぞれ意見を出し合いながら選定していくという流れで進んでいく。は次から次へと流れていく情報に必死に食らいつき、手元の資料を見つつ周りの話に耳を傾ける。もっとこうしたほうがいいとか、ここは切り捨てるべきだとか。面白いのは顧客とシステム屋とで、注目している箇所が異なることだ。目線が違えば出てくる意見も当然異なる。は新鮮な気持ちで事の成り行きを見守っていた。
どうも雲行きが怪しいと思い始めたのは会議が始まってもうすぐ一時間が経とうとしていたときだった。
営業部門とマーケティング部門の代表者同士が熱の入った話から、徐々にヒートアップして口調が刺々しくなっていることに気づく。
「ですから、この項目は必要なんですって。伝票出力する際になかったら困るでしょう」
「困るかもしれないが、優先順位としては低いんじゃないかと言っている。それより我々マーケティングが使う顧客データの一覧の項目を増やしてくれるとありがたい」
「そっちは実際に顧客と会わずに、直接的な売り上げとは関係ないって感じだもんなァ」
「……それは聞き捨てならないな」
いよいよ雰囲気が険悪になりつつあった。はどうすべきか悩んだ。サボやコアラでさえ窘めようと声をかける素振りは見せているものの、そこに入り込むタイミングを失っているような気がした。トフェルも同様で、向こうの残りのメンバーはなぜか我関せずといった状態でダメだ。
そのとき、何を思ったのかは気づけば声を発していた。
「あ、の……!」声を出した瞬間、全員がくるりとこちらに目線を向けられて思わず怯む。だが、この雰囲気をどうにかして明るくするためには得意の笑顔で続ける。「どちらも取り込むっていうのは……どうですか」とっさの思いつきで言ったことだったが、「なるほど」「その考えはなかったな」二人が顔を綻ばせると同時に、会議室に立ち込めていた緊張感がふっと緩んだ。
は胸を撫で下ろしてほうっと息をつく。コアラたちに目を向けて様子を見れば、しかし二人は難しそうな顔をしていて戸惑う。なにか、間違えたんだろうか……? そう思って声を出そうとしたところで、会議が再開してしまいは口を噤んだ。そのまま切り出すタイミングもなく淡々と打合せは進んでいき、気づけば客先を出て帰路についていた。
電車に揺られて自社の最寄り駅に着いたとき、すでに陽は傾いていた。ぞろぞろと改札に向かってくる会社員の人々とすれ違いながら、の気持ちは沈んだままだった。道中二人は一言も話さずどこか重たい雰囲気で、声を出すことが憚られたからだ。
はこのまま帰宅することになっているが、二人はきっと会社に戻るはずである。切り出すなら今しかない――!
「」
だが、先に口を開いたのはサボのほうだった。いつもの柔らかい声音ではない、硬く厳しいそれにの肩は自然と強張る。かろうじて出た返事のなんと情けないことか。
「お前があの場をとりなしてくれようとしたのはわかる。確かに放っておいたら空気はもっと悪くなってただろうしな」
「はい……」
「だが、要件定義は何でもかんでも首肯すりゃァいいってわけじゃねェ。できねェもんはできねェとはっきり言わなきゃならないこともある。なんでだかわかるか?」
「そ、れは……」
「納期があるからだ。それに人や資金の問題もある。あれもこれも請け負ったら最後、泣きを見るのは開発するおれたちだ」
諭すように、けれど厳しい言葉で現実を突きつける。開発側は何でも屋じゃない。顧客の機能追加にすべて対応していたら、時間も資金も足りなくなる。は新人だからそれほど仕事が回ってこないかもしれないが、サボやコアラをはじめとする自社の社員たちは苦労する可能性があるのだ。
改札口の端で話し込むたちを不思議そうな顔して一人、またひとりと通り過ぎていく。返す言葉もなく俯くに、サボはさらに現実を突きつけてきた。
「いいか、これはビジネスだ。笑顔で頷いておけば解決できることもあるだろうが、ここでは通用しない。覚えとけ」
それは、サボが初めてに向けた叱責の言葉だった。