とある時計職人の話

「住民がレインコートを着ているのはああいうことだったのか」

 二階の窓から外をのぞいていた男――サボは建物と建物の間を流れる滝に驚いていた。ザアザアという大きな音が室内まで聞こえるほどなので、慣れていない人間が見ると不思議な光景なのかもしれない。
 レヴァンダールの街中はほかのそれと違って徒歩以外の通行手段はボートになるが、歩く場合は注意が必要だったりする。それが随所にみられる大小さまざまな滝である。海面の上昇によって地盤沈下だけでなく、高低差が生まれたレヴァンダールには町のあちこちに滝があり、その近辺を通る場合かなりの確率で濡れてしまうのだ。こうして住民は外出の際にレインコートが手放せなくなった。傘を使う人もいるが、たいていの住民はレインコートで水しぶきを凌ぐ。
 昨日の朝、船着き場に倒れていた青年はサボといって革命軍に所属しているのだそうだ。調査の帰りに嵐に巻き込まれてこのレヴァンダールに流れ着いたというが、持っていた電伝虫が壊れてしまったせいで仲間と連絡が取れないと困っていたところ、キトリは自分なら直せるかもしれないと提案した。
 本来であれば見知らぬ男性にここまで親切にする必要はないのだが、困っている人間を見捨てられない質と拾ってしまったことで同情心がわいたこともあり、自ら名乗り出た。
 こうして一夜明けた今日、サボを連れてやって来たのはキトリが経営している時計工房"カビノチェ"である。両親から受け継いだ店であり、基本的には修理屋として名が通っているが、時折物珍しさに観光客が購入していくこともあった。
 屋根裏兼、作業部屋になっている二階で電伝虫の解体をしている最中である。サボは興味津々に部屋を見学しながら、窓から見える滝に夢中になっていた。

「この町で生きていくのに滝は避けて通れませんからね。レインコートは必須アイテムです」
「それでどうだ。直せそうか?」
「ん〜そうですね。振動版は大丈夫そうですが、やはり電磁石が壊れているみたいなのでこれを取り換えるしかないかな」
「それは直るってことでいいか?」
「あーすみません! 直りますよ、大丈夫です」

 野生の電伝虫は個体同士で電波のやり取りし、仲間と交信する不思議な生き物として有名だ。それを人間が通話したり映像を送ったりできるよう開発したのが始まりである。通話するにあたっては個体を識別する番号が必要であり、送信側と受信側で声の波を電気信号に変える技術もいる。先代の科学者が生んだ「偉大なる発明品」の一つだ。
 資源豊富なレヴァンダールであれば電伝虫用の電磁石もすぐに調達可能だろう。物さえあれば、取り換えはキトリにとって朝飯前だ。

「にしても随分、年季のある店だな。時計屋なんて初めて入った気がする」
「代々続いている店なんです。この辺りじゃ有名ですよ、カビノチェの時計って」
「ふーん」
「あ、興味ないって顔ですね」
「別にそういうわけじゃねェよ。ただ、今どき時計屋経営なんて珍しいと思って」
「今度はバカにしてます? 時計屋なんて時代遅れだーみたいな」
「だから違うって。単純にスゲェと思ってんだ、一人で切り盛りしてるみてェだから。見たところおれより年下だろ?」

 サボは部屋のあちこちに置かれている時計から一つを手に取って、観察するみたいにまじまじと見つめた。どうやら本当に珍しく思っているようだ。
 二階にあるのはすべて修理依頼を受けたもので、そのほとんどがカビノチェ製だ。他社のものは造りが違う可能性があるので丁寧に扱う必要がある。まあその分修理代もかさむのだが。
 それはそうと、サボは自分より年下だと思っているようだが、彼の年齢を知らないので肯定も否定もできない。ただ、キトリは十八だしサボがそれ以下とは思えないから確かにそうなのだろう。だから、素直に「たぶん」と頷いた。

「すごいというならサボさんこそ。あなたも十分若いのに、革命軍の立派な戦士じゃないですか。海へ出ることはかなり勇気のいることだと思っています」
「そうかな。おれの場合はちょっと特殊なんだが……」

 サボは苦々しそうに言って、「まァ結果、今の場所が気に入ってる」今度は清々しそうに笑うもんだから、なんだか込み入った事情があるんだろうと察せられた。「ちょっと特殊」の内容は気になるが、知り合って間もないのに踏み込むのは失礼かもしれないという一応の自制心が働いて、キトリは言葉をのみ込んだ。
 会話をしている間もキトリの作業の手は止まらず動いていた。電磁石以外は故障しているところもなく、このまま使えそうだ。カビノチェが取引する資材屋から電磁石を取り寄せ依頼の連絡を入れればひとまず仕事完了である。今日できるのはここまでだろう。

「私の知り合いに電気関係の仕事をしている人がいるのでその方に電伝虫用の電磁石を調達してもらいます。在庫があればすぐに届くと思うので大丈夫ですよ」
「ありがとう、助かるよ」

 キトリが電伝虫を所持していればそれを使ってもらうことができたが、生憎必要がない生活を送っているので持ち合わせていない。多少の足止めになってしまうものの、彼らの仲間もすぐには来られないというから逆に体力回復にはちょうどいい期間だろう。
 工房を出たときには昼食時を過ぎていた。キトリは自宅に戻るのではなく、サボに町を案内することになった。電磁石の調達についてすぐに連絡がついたので明日にでも届くはずだ。その間どうするかと問えば、彼は「レヴァンダールについて知りたい」というではないか。どうせ帰ってもやることがないからと、サボはキトリに町の案内を頼んできたのである。
 ボートに乗り込んだキトリはこのまま町をぐるりと一周することも考えたのだが、半日では無理があるし病み上がりのサボを連れまわすのも良くない気がした。考えた結果、キトリの出した答えは――

「じゃあせっかくなので、もう一つの仕事をお見せしたいんですけどどうですか?」
「もう一つの?」
「はい。でもまずは腹ごしらえしましょう! 魚介類の美味しいお店があるんです」

 言ってから、これがレヴァンダールを知ってもらう良策であると確信する。キトリは、ボートのエンジンをかけると真っ直ぐ滝に向かって操縦をはじめた。