とある海の秘宝の話

 電伝虫の電磁石の部分が故障していると判断したキトリは電気関係の知り合いに部品の調達を依頼してくれた。女性の機械職人は珍しく、中でも時計に特化しているという彼女は代々続いている時計屋"カビノチェ"の立派な経営者である。
 連絡を取った彼女の知り合いは、キトリの頼みならとその日のうちに部品を用意してくれた上に、わざわざ店まで持ってきてくれるという親切ぶり。孫のように可愛がっているとかで、どうやら彼女はこの町で顔が広いだけでなく密接な関係を築いているようだ。おかげで、仲間への連絡はその日の夜に取り合うことができた。とはいえ本部からレヴァンダールまでは一週間ほどかかるため、結局サボはこの町に――というよりキトリに世話になることが決定した。
 というわけで、昼食後に予定していた彼女がいうところの「もう一つの仕事」とやらは一旦おあずけを食らったのだが、改めて今日見せてもらえることになった。
 レヴァンダールの高低差はボートで移動すると何かのアトラクションを体験しているような心地である。港へ下るまでに小規模含め十数回落ちたのだ。そのたびにサボは短い驚嘆の声をあげて、そのたびにキトリはゲラゲラ楽しそうにするから居心地が悪い。彼女は大したことないと言うが、それは住民の感想だろう。まったく、かっこ悪い。
 船着き場から離れたひと気が少ない場所まで歩くキトリについていけば、近くの空き家に入っていく。一体何をするのか見当もつかないので、彼女の進むままサボは後ろで見守っていると――

「……って、何してんだよ!」
「え、ああすみません。でも残念、中に作業服を着ているので」
「そういう問題じゃねェんだが」

 急に服を脱ぎ始めたキトリは、しかしどこ吹く風で気にしたふうもなくさも当たり前のように残念とのたまった。全然一ミリも残念ではないが、どうも彼女は世間の感覚からズレている気がしてならない。これまでどういう生活をしてきたのか不思議なほど警戒心が薄い。信用されているといえば聞こえはいいが、サボはなんとなくむっとして微妙な顔を作った。
 今日のルートはレインコートが不要だったせいか、キトリは動きやすい服装でここまで来ている。それらをすばやく脱ぐと、彼女は近くに置いていたバケツを掴んで出ていこうとした。

「つうか、作業服って水着じゃねェか」
「だから潜るんです、これから。というか水着じゃなくて潜水服ですよ」
「……?」
「とりあえずついてきてください」





 驚くサボをよそに、キトリは空き家を出ていつもの作業場所に向かった。ボートが立ち並ぶ場所から離れたところで海に飛び込む。
 海中で作業する場合、普通のスイミング時と違って体を保護する服装でなければならない。ラッシュガードと呼ばれる速乾性と伸縮性に優れた素材でできている特殊なウェアを着るのがキトリの決まったスタイルである。水着と呼ぶには仰々しいが、ダイビングをする観光客もいるレヴァンダールでは認知度が高い。しかも最近は見た目もお洒落なラッシュガードが売られているのでキトリには嬉しい話だったりする。
 海底神殿のように見える沈んだレヴァンダールの街並みを背景に澄んだ海へキトリは潜った。

「あ、おいキトリ!」

 サボの焦る声を無視して潜っていく。だが、レヴァンダールの海は透き通った美しい色をしているから深い場所まで行かない限り姿が見えなくなることはない。魚がひれを動かすように、キトリは目的のモノが沈む場所へ器用に進んでいく。
 両親から時計職人として仕事を受け継いだのは数年前のことだが、こっちの仕事は小さい頃から訓練していたためキトリにとってそれこそ朝飯前である。逆立ちする姿勢を保ち、両手を使って水を漕ぐ。焦らずゆっくりと、自分のペースを守る。母から言われたのは、リラックスすることだ。慣れていないとすぐに浮上してしまうし、水中は陸上の約十五倍の抵抗を受けると言われている分、体力の消耗が激しい。無駄な動きをすればするほど疲れる。だから大事なのは、焦らず平常心でいることなのだ。
 キトリはレヴァンダールの沈んだ建物の近辺に光るいくつもの小さな固形物を拾っては腰につけているポケットの中へ入れていく。水中でもその美しさが際立つ物体は、まるで見つけてほしいとアピールしているようだった。
 やがて五分ほど経つと、キトリの潜水時間の限界に達するので作業の手を止めて一旦浮上する。大きな水しぶきを上げて、キトリは海から陸へあがった。

「いきなり飛び込むから驚いた」
「ふふ。ここら辺の海は綺麗だから私がどこにいるかわかったでしょう?」
「ああ。けど何をしているかまではわからなかったよ」
「これを見て」

 言って、ポケットの中から先ほど集めた物体の一つをサボに見せた。
 それは石ほどの大きさの鉱物だった。形はさまざまで、尖っているものもあれば丸っこいものもある。海の中で自然にいろいろな形になるため決まった姿はない。これが、レヴァンダールが有する希少な資源の一つだ。

「宝石……のように見えるけど、これは?」
「そうですね、ほぼ正解と言えます。名前はアクアクォーツ」
「ほぼってことは、厳密には宝石じゃないのか」

 レヴァンダールの秘宝"アクアクォーツ"は、その名の通りクォーツの仲間である。一般的なクォーツはそのほとんどが地上の表層部で採掘されるが、アクアクォーツは海の中で採れる唯一のクォーツだ。それもレヴァンダール近海でしか採ることができない貴重な鉱物であり、高値で取り引きされる。
 クォーツといえば透明なものを想像しがちだが、単結晶と多結晶に分類され、混ざる不純物によって色もさまざまだ。ちなみにアクアクォーツは半透明の青で、自然に採れる鉱物の中では非常に綺麗な状態であることが多い。
 ほぼ正解というのは、採掘時は"まだ"宝石ではないからだ。キトリは宝石職人ではないので詳しいことは知らないが、宝石と位置づけるには鉱物から色、輝き、形などが美しいものを選んでカットしなければならないという。自然状態で綺麗な色をしているアクアクォーツとはいえ、このままでは宝石とは呼べないのである。

「それでも宝石のように綺麗なんですけどね。水没都市と呼ばれる前から、アクアクォーツはレヴァンダールの資源として有名なんですよ」
「けど、キトリがそれを集めて何に――」途中で言葉を止めたサボは「まさか時計に……?」合点がいったように言い直した。
「その通りです。クォーツ時計って聞いたことあるでしょう? カビノチェは機械式もクォーツ式も両方取り扱っている時計屋なんです」
「なるほどなァ。でも一般的なクォーツと何が違うんだよ。さっきの話だと種類がたくさんあるのはわかるが、時計を作るんだったら別にアクアクォーツじゃなくてもいいんじゃねェか?」

 もっともな疑問をぶつけられたキトリは頷き返して、確かにとサボの言葉に同意を示した。わざわざ海の中へ潜り、自らクォーツを採掘しなくても市場に出回っているクォーツを取り寄せるほうが楽だ。
 しかし、キトリが――カビノチェがアクアクォーツを使うのは一般的なそれと違って振動回数が十倍近く違うからである。そしてクォーツ時計というのは振動が多ければ多いほど正確な時を刻むことができる。機械式と違うのは動きが速くても問題なく、正確なリズムを刻み続けられること。電池の取り換えは必要になるが、カビノチェ製のクォーツ時計は少なくとも三年はもつので人気なのだ。

「へェ。この石ころぐらいしかない小さなモンが正確な時を刻める秘密ってわけか」
「すごいでしょう?」
「ああ。クォーツにこんなスゲェ種類があるとはな、勉強になった」

 キトリの手のひらにあったアクアクォーツをひょいと持ち上げたサボは興味深そうにまじまじと見つめた。
 水没都市なんて不名誉な名前がついているレヴァンダールにも誇れるものがあることを、キトリは嬉しく思っている。しかも自分がそれを生業とし、こうして訪れた人に知ってもらえる。いずれはきっと沈んでしまう運命にあるこの都市にキトリができることは、レヴァンダールという名の都市があったことを後世に残していくことだ。カビノチェの時計はその役割の一つであると、キトリは信じている。