木曜日(1)

 容姿だけじゃないポートガスくんの一面を知ってから、彼のことが気になる存在になったことは認める。あのあと友人に話したら何かと話題にされるのだが、そのたびに誤魔化して認めてこなかった。だって、私みたいなノロマで相手を苛立たせてしまうような人間が彼に似合うはずない。明るい太陽みたいな人だからこそ、私といたらイメージが悪くなるかもしれないから。それでも、同じ委員会なれて今週から一緒に当番ができるから話す機会が増えるかもしれないと密かに期待していた。
 ところが、結果は怒らせてばかりだ。せっかく憧れのポートガスくんと仕事ができるのに、彼はずっと眉を顰めて難しい顔をしている。きっと私の行動が鈍くて、おどおどしているからだろう。昨日、初めて貸出返却システムの方法を教えることができたけど、帰り際にはまた微妙な顔つきで先に帰ってしまった。思うように縮まない距離に、やっぱり仲良くなるなんて無謀なことだったのだと落胆する。おまけに酷い誤解までされている。私が好きなのはサボくんじゃないのに。

 木曜日の朝。とぼとぼと重い足取りで登校し、いつものように上履きに履き替えて中央階段をのぼろうとしたとき、一階の廊下に見知った人を見つけて思わず足を止めた。

「やっぱりポートガスくんだ……と、誰だろう。先輩かな」

 ポートガスくんは一人ではなく女子と一緒だった。上履きのカラーを見てみると、赤だったので三年生ということだけは理解できるが、雰囲気からしてもっと親しそうに見える。彼と並んだら見栄えするほどスラっとした先輩だった。
 会話が聞こえるほどの距離じゃないのに、何を話しているかなんてわかりもしないのに、どうしてか私の目には仲睦まじい様子に映ってしまう。先輩の右手が彼の頬をつつく。顔を赤くしながら必死にその手をはねのけようとする彼は、鬱陶しそうにしているが照れているだけのように見えた。
 どうして気づかなかったんだろう。どうしてその考えに至らなかったのだろう。あれほどかっこいい彼に、彼女がいないはずなんてないのに
 きっと浮かれすぎていた。同じ委員会になって、少しは近づけるかもしれないと。じゃんけんで負けて仕方なくとは言っても、根は優しいことを知ってしまった。だからこうして毎日律儀に当番に来てくれるし、嫌そうにしていても仕事をしてくれる。たった五日間だけれど、せめて私という存在がポートガスくんの日常に少しでも入ることができればあるいは――そんなことを考えていた自分が浅ましくて、恥ずかしい。馬鹿みたいだ。
 廊下に向けていた顔を階段のほうに戻して、一段飛ばしで駆け上がっていく。さっきの光景を頭の中から必死で消去する。今は何も考えたくなかった。





 どんなに落ち込んでいても、当番からは逃れられない。必ずそのときがやってきてしまう。
 昼休み。誰よりも早く図書室へ向かって準備をして、ポートガスくんが来るのをドキドキしながら待つ。これは期待している緊張ではなく、会うのが憂鬱という意味での緊張だ。目を見て話せる気がしない。けれど、今日は放課後に部活でどうしても抜けられない用事があるから昼休みだけで済むとほっとしている自分がいる。最初はあれだけ期待していたくせに。
 しばらくして誰かが入ってくる気配を感じて、思った以上に肩が震えてしまった。靴音がこっちに向かってくる。顔を上げるのが怖い。

「よう、遅くなってわりィな」

 ポートガスくんが椅子に座るのが視界の端に見える。挨拶をされて返さないのはさすがに失礼だから精いっぱいの笑顔で、

「……ううん。そんなに待ってないよ」

 絞り出すように答えた。私はきちんと笑えているだろうか。せめてポートガスくんに不審に思われない程度には普通でいなければ。
 今日の図書室は空いていた。三年生が行事の事前指導があるらしく、自習スペースがガラ空き状態で一、二年は元から利用が少ないから余計に寂しく感じる。
 もの覚えの早い彼にシステムのほうを任せて、私は人数を書くために席を立つ。今日の人数なら別にここからでもわかるのに、一緒にいるのが怖くてあえて離れた。わざとらしかったかな。ううん、ポートガスくんは別に私のことなんて気にしてない――と、思考がどんどん悪いほうへ向かい、気が滅入りそうだった。
 数えるのに五分もかからず、仕方なくカウンターに戻る羽目になった私は、定位置である奥の椅子に座った。

「なァ、そんなにおれが怖ェのか」

 座った途端にポートガスくんが話しかけてきた。相変わらずちょっと不機嫌そうな感じで、けれどどこかうかがう様子で。けれど言葉の意味を理解するのに時間を要して「え?」と曖昧な返事しかできなかった。

「サボとは普通に話してたじゃねェか」

 息つく暇もなくポートガスくんのほうから話しかけられたと思ったら、どうしてここでサボくんの話が出てくるのだろう。一昨日の図書室のことを言っているのだろうが、あのときポートガスくんはここにいなかったはずだ。もしかして見てた? だから勘違いされてる……?

「さ、サボくんとは、本の話をしてた、だけだから……別に、それ以上のことは何も――」
「へェ。おれとは目を合わせるのも苦労するのにな」私の言葉を遮ってポートガスくんが続ける。
「な、に言って……」
「サボがお前のことかわいいってさ。よかったじゃねェか」

 意味がわからなかった。状況がのみ込めない。どうして、そんなことをポートガスくんに言われなきゃいけないんだろう。やっぱり彼は勘違いしている。私がサボくんのことを好きだと思っているんだ。違う、私が好きなのは――

「よ、よかったってどういう意味? 私はサボくんのことが好きなわけじゃないっ……わ、私がっ……好きなのはっ……」

 息が途切れる。くるしい。言うつもりなんてなかったのに。でも、このままじゃ誤解されたまま当番がおわってしまう。そうしたら次の当番が回ってくるまできっと接点がなくなる。そう思ったら、言わずにはいられなかった。駆け引きなんてできない。そもそも最初から勝敗が決まってる恋だ。接点がしばらくなくなるなら言葉にしてもいい。このときばかりはそう思った。

「私が好きなのはポートガスくんだよっ……なのに、どうして……ひどい!」

 言った。言ってしまった。しかも雰囲気の欠片もない告白だ。好きな人に向かって「ひどい」は、それこそ酷い。けれど勘違いしてそんなことを言ってくるポートガスくんのことが許せなかった。私の気持ちをまるで否定するかのような発言は、いくら知らないとはいえ本人に否定されたら行き場がない。内に秘めてるだけでよかったものが思わぬ形で伝わってしまって頭の中がパニックになる。
 ふと、辺りが静かになっていることに気づいて我に返る。ポートガスくんはもちろん、読書をしていた数人が何事かと私のことを見ていた。急に羞恥で顔がかあっと熱くなる。

「私、放課後は予定があって行けないの……だから、当番は一人でお願いします……ッ」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。ポートガスくんの返事を聞くのが怖くて、私は逃げるように図書室を後にした。