木曜日(2)

 を見ていると苛々してしまう理由はいまだによくわからない。当番をする前は存在だってそれほど知っていたわけじゃないし、ただのクラスメイトだったはずだ。それが今じゃ何かと気になって仕方ない。サボが言うように、エースが思うほどおどおどしていないならどうして自分の前ではああいう態度なのか。一度だけ、昨日の放課後は笑いかけてくれたがそれだけだ。サボに見せたような気軽さは微塵もみられない。同じクラスだってのに、あいつとの差は一体何なんだ。
 苛々しながら朝練を終えて、体育館から教室へ向かっている途中のことだった。「エース」と呼び止められて振り返ると、女バスの部長が手を振っていた。男子と女子で監督こそ違うものの、顧問が同じなので実質練習日も同じだ。当然朝練も同じである。
 なんすかと若干気だるい気持ちで返事をする。

「あんた今週図書当番なんだって? 似合わないもんやってるねえ」

 からかい口調で彼女はそんなことを言ってきた。完全に楽しんでいる。確かに、自分でも図書室のカウンターに座って当番をしている姿に違和感を覚えるので間違っちゃいないが。

「用がないなら行っていいっすか」

 どうでもいいことを言うために呼び止めたのかと辟易してエースは身を翻す。ただでさえ今週は気分が乗らないし、当番の話ならなおさらだ。しかし、「ああごめん。そうじゃなくてさ、」とどうやら本題は違うようで、もう一度彼女のほうに向き直る。

「当番を一緒にやってる子がいるでしょ。その子を怖がらせてないか心配してんの」
「はあ? なんで部長がのこと知ってんだよ」

 間髪入れずに敬語を忘れて言い返した。委員会の当番があるから放課後は部活に遅れるという話は顧問と部長にしてあるので女バスにその話が知れ渡っていてもおかしくないが、その相手のことまで知っているのはおかしい。エースは誰とも――サボ以外との話をしていない。
 怪訝な顔で彼女を見ていると、そんな怖い顔しないでよと焦って否定した。何やら事情があるようだ。

「私の友達がその子と同じ部活なの。いい子なのに、いろんな動作が遅いからいじめられてないか心配なんだって」
「いじめなんてくだらねェことおれがするかッ……」
「それは知ってるけど、その様子だと上手くいってないでしょ」

 図星を突かれてエースは言葉に詰まった。まったくその通りで、けどこの人に何の関係がある。いや、友人とが部活の先輩後輩の関係にあたるというから心配なのもわかるが、彼女にとのことをどうこう言われる筋合いはない。

「関係ねェだろ」
「むきになっちゃって。手こずってる証拠じゃん。その子のこと気になってるんだ」

 にやりと笑った部長が頬をつついてくるので、思わず「やめろ」とはねのけたが顔に集まる熱は隠せなかった。

「ち、ちげェよ」あまり意味のない否定をする。
「あーはいはい。とにかく優しく接してあげなよ。あんた、本当は良いやつなんだからさ」

 と絶対に信じていないだろう適当な返事をした部長が、余計な一言を加えて教室のほうへ消えていった。


 こうして優しく接しろと言われたそばからエースはその日の昼休み、言う必要のない言葉をに浴びせてしまい、初めて自己嫌悪に陥っていた。
 ぼうっと窓の外に視線を向けて、曇り一つない空の青さを睨む。午後の授業に全然身が入らず、先ほどから教師の説明は右から左へ流れていくばかりだ。それも当然で、エースの頭の中は昼休みに言われた彼女からの言葉で占められていた。
 "私が好きなのはポートガスくんだよっ……なのに、どうして……ひどい!"
 聞き間違いでなければ、彼女はあのときそう言った。サボと親しそうに、楽しそうに話しているのを見て、エースは彼女がサボのことを好きであると勝手に判断したが、それは勘違いだったどころか自分のことが好きだという。告白するにしては投げやりな言い方で、そして彼女にしては強気な発言だった。
 自分の主張を内に秘めて、表に出さない人間は多い。エースには考えられないことだが、相手を思いやる行為でもあると親友が言っていた。けどそれで関係を拗らせてるなら本末転倒ってやつだ。時には相手を思いやるからこそ、言ったほうがいいこともある。
 ――じゃあおれは? あいつに言わなくてもいいことまで言わなかったか。
 自身に問いかけて、ぎりっと歯を噛む。サボとの態度の差に苛々したというガキっぽい理由で傷つけた。図書室から出ていく彼女が泣いているように見えたが、エースに呼び止める資格はなかった。
 ちらりと二つ離れた列に座るの背中を見やる。教室に戻ったあとの彼女は、友人と普通に話していた。様子を見る限り笑っていたから大丈夫なのかと少しだけ安心して授業に臨んだものの、エースの心は晴れない。
 落ち着かないまま六時間目の授業と簡易的なホームルームを終えると、クラスメイトがぞろぞろと教室から出ていく。は放課後の当番に来れないと言っていた通り急いでいるのか、すぐにいなくなった。声をかけるタイミングもなく、結局エースはエナメルバッグを斜め掛けにすると一人虚しく図書室へ向かった。





「で? お前はさんに"おれ"がかわいいって言ってたよかったなって言ったのか」
「……」

 サボの呆れたような視線が向けられてばつが悪く、地面を睨んで沈黙する。おれだって言いたくて言ったわけじゃねェと反論したい気持ちに駆られてとどまる。実際あれはサボとの態度の差に苛々してつい口を出た言葉だった。
 部活が終わったあと、偶然昇降口で会ったサボと帰ることになった。家が近所ということもあり、帰る方向が一緒なのでこういうことはよくある。
 隣から大きなため息が聞こえて顔を上げると、サボがエースの前に立ちふさがっていた。

「エースはたまにバカだなって思うことあるが、ここまでだったとはなァ」
「サボてめェ、それは余計だろッ……大体あいつが悪ィんだ」
「本当にあの子が悪いのか? お前が勝手に勘違いしたんだろ」

 鼻先を指さされて思わず口ごもる。サボの勘は鋭い。おまけに八つ当たりして言ったとなれば分が悪いのはこっちだ。そもそもエースにだって自分を省みることくらいある。あれが失言だったことくらいは、だから理解できていた。けど、すでに傷つけてしまったに対して今さらどんな言葉をかけてやればいいのかエースにはわからない。

「詳しいことは聞かねェよ、お前らの問題だしな。けど当番は明日で最後なんだ、ちゃんと伝えてやれ。じゃなきゃ後悔することになるぞ」

 親友の声色は若干の怒気を孕んでいた。しかしすぐにいつもの人の良い笑みを携えると、「帰るか」と言って勝手に歩き出す。
 サボはエースと違って言葉を選んで会話ができるが、だからといって遠慮があるわけでもない。間違っていると思うことには指摘ができる。そういう面に救われてきた部分もあるが、今は正論が胸に痛いほど刺さりすぎて耳を塞ぎたくなる。
 振り返らずに進んでいく親友を憎らしく思いながら、けれど頼りになる背中をエースは追いかけた。