エンドロールは流れる

 カロリーナがフレイヤの部屋に訪れたのは夕食前のことだった。掃除のあとは夕食後の片付けまで仕事がないので、束の間の休息時間なのだそうだ。
 お気に入りの出窓に腰かけて外を見ていたフレイヤはノックの音にいつものように軽く返事をしてカロリーナを迎える。夜の帳が下りて空はすっかり暗くなっていたが、高町に住む王族、貴族の屋敷の明かりで今日も星が見えづらい。
 出窓までやって来たカロリーナはフレイヤの隣に腰かけた。膝を折って身体を丸めるフレイヤに、彼女は優しく手を握る。

「本当に、いいのですか?」顔を覗き込んで確認してくる。「聞いてしまったら、フレイヤ様はきっと――」
「いいの。だってもう決めたんだから……女に二言はないわ!」
「ふふ。それを言うなら男、なんですがね。私はフレイヤ様を誇りに思いますよ」

 柔らかい笑みでフレイヤを見るカロリーナが少しだけ泣きそうに見えたのは、たぶん見間違いではなかった。


*


 こんなに走るのは何年ぶりだろう。そう思い返してみて、ひとりの少年の姿がフレイヤの頭によぎる。これまでも走って転んだりすることは多々あったが、息をするのも忘れて夢中になるほど走り回るのはきっとサボと遊んでいた頃以来だ。
 高町を抜けて中心街にたどり着いたフレイヤは、さらにその先へ進んだ。ここから先は、生まれてからまだ一度も足を踏み入れたことがない。両親から口うるさく「行くな」と言われていたからだ。
 初めて訪れたその場所はなんだかガラの悪い人々で溢れかえっていて、ともすれば竦みそうになる子どもが到底ひとりで歩いていい場所ではなかった。しかし、フレイヤが目指しているところはここではない。もうひとつ先へいかねばならなかった。
 好奇な目線を走ってやり過ごし、息も絶え絶えにたどり着いたその場所は、名を<不確かな物の終着駅>というらしい。強固な壁で町と隔たれており、大門という名の通り大きな門が町とつながる唯一の通路だ。通称”ゴミ山”と呼ばれるそこは、不要になったものが集まるところで、そのせいで常に悪臭が漂っている。ゴミとはよく例えたものだと、鼻を押さえながらフレイヤはその場所を眺めた。
 カロリーナが話してくれた内容は、正直なにを言っているのかわからなかった。正確に言えば、なにを言っているのかはわかるが事実として認めることができなかった、である。だって、ゴミと一緒に人が暮らしているなんて誰が想像できるというのだろう。けれど要らなくなった<モノ>というのは、物だけではなく人もそうなのだと、カロリーナは言った。
 どういった事情でここに住むことになったのか、それはわからない。けれど、国から見放された人間はみんなここに集まる。それは要らないと決めつけられた者の末路。
 フレイヤは信じられない気持ちでグレイ・ターミナルをたむろする人々を見つめた。そしてもっと信じがたいことが、明日の夜行われるという。

 "国は明日の夜、ゴミ山と呼ばれる場所、グレイ・ターミナルを焼きつくすつもりなのです"
 "その、ゴミ山っていうのはなんなの?"
 "この国の要らなくなったモノが集まる場所、それがグレイ・ターミナルであり、貴族はゴミ山と呼んでいます"
 "要らないもの……ゴミ……"
 "フレイヤ様。あなたはここで貴族として生まれ、何不自由なく育てられました。食べるものも着るものも、寝る場所も保障されています"
 "……?"
 "ですが、この国にはそうした当たり前のことが簡単には手に入らない生活をしている人間もいるのです"
 "それって――"
 "そう。それがグレイ・ターミナルに住む人々"
 "待って! あなたはさっき、グレイ・ターミナルを焼きつくすって言ったわ"
 "そうです。この国に要らないモノはすべて消される。もうすぐ世界貴族を乗せた視察団が来るせいで"
 "そんなの信じられない!"
 "信じられなくても、それがこの国の現実であり真実なのです"

 嘘だ。うそだ。そんなの、うそだ。だって、人が住んでいるところに火を放つなんて、まるで――

「おい、ここはおめェみたいなガキが来るとこじゃあねェ! さっさと失せな」
「あっ……」

 呆然と立ち尽くすフレイヤの体を、大男がどんと突き放した。ふらついたフレイヤはバランスを保てずその場に尻餅をついてしまう。かろうじて声は出せたものの、どうしていいかわからず蹲る。
 男はフレイヤを無視してそのまま立ち去ったが、また別の男が近づいてきてここから消えろと迫った。しかし今度こそフレイヤは顔を上げて話しかける。

「あの、あした――」
「あァ!? なんだァお前、その格好は貴族だろ? 貴族様がこんなとこ来てなにしてやがる! ここはグレイ・ターミナルだぞ」
「やめろバカッ! 貴族に楯突くな」
「ちがっ、私はそんなこと……」
「お嬢ちゃん。ここは君のような子が来るところじゃあない。早く帰りなさい」

 さらに別の男が暴言を吐いた男を宥める。と、そばを歩いていた老人がフレイヤに優しく諭した。
 違う、ちがうの。そうじゃなくて、明日の夜大変なことが起きるの――伝えなければならないことがたくさんあるのに、フレイヤはまるで相手にされずグレイ・ターミナルから押し出されるように大門を再びくぐった。
 唯一の通路が塞がれ途方に暮れたフレイヤは屋敷に戻るしかなく、とぼとぼと帰路についた。