さよならが心にとげを刺す

 フレイヤがコルボ山にたどり着いた頃には、すでに月が姿を現していた。へとへとになりながら、川や山道を歩いて数時間。ようやく行き着いた先は、木でできたさながら山小屋のような家だった。目を開けるのもやっとだったフレイヤは、この山小屋こそサボが手紙の中で言っていたダダンという山賊の家であることを確信した。目的の場所を見つけたことで安心したからか、そこで意識はぷつりと途切れてしまい地面に倒れた。


 不思議なにおいがするな、と思って意識が浮上してくるのがわかる。重たい目を開けたとき、そこは見知らぬ天井だった。数回まばたきをして状況を整理しようと思考した脳は、しかし突如視界に現れた黒い<何か>によってその働きを遮られた。

「っ!?」
「あ、起きたぞ。お前、大丈夫か?」

 黒い<何か>の正体は、人の頭だったらしくまじまじとこちらを見つめる少年と視線がかち合う。声を出すこともままならず、口を金魚みたいにぱくぱくさせて動揺する。その様子がよほど可笑しかったのか、少年は腹を抱えて笑いだした。失礼な少年である。
 上半身を起こそうとして、身体中に痛みが走り眉間にシワが寄る。そのおかげで少しずつ記憶が鮮明によみがえってきた。サボの兄弟に会いに行こうとコルボ山へ向かったフレイヤは、ぼろぼろになりながら何時間もかけてようやくたどり着いた。しかし体力の限界だったのか、緊張が解けたからか――たぶんその両方を理由に、ぷつりと意識が途切れて気づけばここにいたというわけだ。
 自分の格好を改めて確認する。式典のドレスはもう美しさの欠片もない。泥まみれで、ところどころ破れている。それでもなんとかたどり着けたことに、私って意外と根性あるんだなとどこか他人事のように思った。

「おいお前ェ、無視すんなッ!」

 自分のことで精一杯になっていたフレイヤは少年の存在をすっかり忘れていた。怒った彼は無視されたのだと思ったらしく、さっきまでは笑っていたのに急に態度を変えて肩をゆすってきたことに驚き、「え、あっ……ごめんなさい」フレイヤは反射的に謝った。

「バカルフィ! そいつはケガ人だ、まだ寝かしときなァ!」

 女性にしては少しハスキーな声が背中の向こうで聞こえた。痛む体をゆっくり動かして声のするほうを見やる。そこには大柄で少しばかり人相の悪い――たぶん女性が囲炉裏で新聞を広げていた。その人の周りには数人の男性も見える。
 彼女たちがすぐに山賊ダダン一家だとわかったのは、見た目が九割だがここにいる人間は彼女たちとさっきの少年だけだからだ。ほかに誰かが住んでいる気配もないので間違いないだろう。
 フレイヤはその女性に話しかける。

「あの、私はどれくらい寝ていたんですか?」
「二日だ」
「え!? 私そんなに……どうしよう、カロリーナとかお父様とか――」
「アンタ、どうやってこんなところまで来たんだい? その恰好は貴族か何かだろうが、おめェみたいなのが来るとこじゃねェよここは」

 あたふたするフレイヤをよそに、女性は視線を新聞からこちらに向けて言い放つ。山賊だからなのか、女性にしては乱暴な喋り方だったが彼女の風貌によく似会っているのでフレイヤは気にならなかった。

「私はここにエースとルフィっていう少年がいると聞いたんです。サボから」

 言葉が途切れたと同時に、小屋の空気が急激に冷えていくのを肌で感じた。どこに反応したのかわからなかったが、口にしてはいけないことでもあったのだろうか。どうするべきか考えあぐねているうちに、女性に注意されてから大人しくしていた少年がうえーんと泣き始めてしまい、ぎょっとする。
 こ、今度はなんなの一体――
 少年とダダン一家を交互に見ながら視線をさまよわせていると、女性が立ち上がって少年に「泣くんじゃねェよ!」と声を張り上げた。訳が分からず、呆然とするフレイヤにこちらを振り返った女性が再度口を開いた。

「おめェ、サボと知り合いなのかい」その言葉にフレイヤはこくりと頷く。すると続けて「どうしてこいつらのこと知ってる?」泣くのを我慢しようと変な形に唇をゆがませた少年を指した。

「手紙を、もらったんです。自分は先に海へ出るけど、何かあったらコルボ山の兄弟を頼れって。別に何かあったわけじゃないんですけど……でも、気になって……それに、私の知らないサボのことを教えてもらいたくて……」

 じっと睨むようにフレイヤを見ていた女性は、やがて大きなため息をつくとそばにいた小さな男性に「ドグラ! エースを呼んできな」と指示した。ドグラと呼ばれた小柄な男性が、動揺しながらもさっと小屋を出ていく。
 まだ少し涙ぐんでいた少年は、嗚咽をもらしながら「さぼお」とフレイヤがよく知るその名をずっと叫んでいた。


*


「そ、それはどういう……」
「どうもこうもねェ。あいつは死んだんだ」
「ま、まって、全然ついていけない。死んだって、どうしてそんなことが……」
「おれ達も詳しいことは知らねェけど……ドグラが、サボが乗ってた船が撃たれて沈んだのを見たんだ」

 そばかすの少年はそう言って苦しそうな表情をした。唇を噛んで何かに耐えようとしているみたいだ。
 あのあと、ドグラがもう一人の少年を呼びに行き、気まずいまま待つこと数分。乱暴に開け放たれた扉から勢いよくこちらに迫って来た少年は、フレイヤの肩を強く掴んで「お前が……」と驚くように呟いたが、そのまま俯いてしまったのでどうしたのかと首を傾げる。
 彼は自分をエースと名乗った。そばかすが特徴的で、ちょっと荒々しい感じ。サボが喧嘩っ早いと書いていたのも頷ける。そして、急に泣き出したほうがルフィというらしい(そういえばさっき女性にそう呼ばれていた)。サボより三歳下ということなので、フレイヤとも三つ離れていることになる。ちなみにエースは同い年だという。
 少しずつ冴えてきた頭で、フレイヤも自身の事情を説明し、サボとの関係を二人に伝えた。四歳のときに出会ったこと、結婚を約束していたこと、海へ出ようと誘ってもらったこと。それからもらった手紙に二人のことが書かれていたこと、大事な兄弟だということ、何かあったら頼るんだということ。
 すべてを話し終えたとき、しかし二人は暗い顔をしてフレイヤを見ていた。手に変な汗をかいている。どうしてだろう、二人のただならぬ雰囲気がこちらにまで伝わってくるようだった。
 何も言わない二人をどれくらい待っただろうか、やがて意を決したようにエースが口を開いた。

「期待させたようで悪ィが、サボは死んだ」
「……え?」

 聞き間違いかと思い「え」と反応したのだが、エースは真剣な目をしたままもう一度同じことを言った。そして先ほどの会話に戻る。

 頭の中で整理しようとしても、全然処理ができず先ほどから同じ言葉が繰り返し再生されている。
 さぼはしんだ。サボはしんだ。……死んだ。
 ――死んだなんて、やめてよ。そういう冗談は好きじゃないわ。
 そう言い返したかったのに、口は全然開いてくれなかった。エースは真剣な顔をしているし、ルフィはまた泣き始めてしまったから。ダダン一家のみんなも心なしか雰囲気が暗い。きっと冗談なんかじゃないのだ。
 はっとして自分の頬に伝ってくる水分に気づき、慌てて手の甲でぐいと拭うと体の痛みも忘れて山小屋を抜け出した。後ろから、どこいくんだと次々に呼び止める声が聞こえたが無視してフレイヤは走っていく。
 どこへ向かうのか、見当もついていないけれど、森の中をひたすら走った。



 フレイヤ
 五年前、突然連絡を切ったこと、本当に悪かった。ごめんな。
 だけど、おれにはあの家にいることが苦痛で耐えられなくなってついに家出をしたんだ。そのあとゴミ山にずっと住んでてエースって親友ができた。喧嘩っ早いがいい奴だ。
 五年後……今からまァ数か月前くらいだな、海賊といろいろあってルフィって奴と知り合いになったんだ。その海賊に追われるようになって、おれもエースやルフィと一緒にコルボ山に住むダダンって山賊に世話になってた。
 二人とは兄弟の盃を交わした。三人で仲良く――まァ喧嘩もよくしたが、楽しい生活をしてたんだ。
(中略)
 お前も気づいているかもしれないけど、この前の火事はただの火事じゃない。高町の連中が海賊に火を放つよう指示したんだ。あいつらはゴミ山を国の汚点だと思ってる。ゴミ山に住む人間は人間じゃねェと思ってる。高町は人間の腐ったにおいがする場所だ、ゴミ山よりも悪臭がする。
 この国にいれば一生自由は訪れない。だから少し早いけど、海へ出ることにした。
 フレイヤを一緒に連れていけないのは心苦しいな。もう一度会いたかった。
 おれ、フレイヤが好きだ。それはあのときから変わってない。おれは先に海へ出るけど、いつかまたどこかで会ったら今度こそ……

 結婚しよう。
 追伸、何かあれば、コルボ山の兄弟を頼るように。
 サボ