やさしい夢をみましょう

 もう一度だけサボに会えるとしたら、私はなにを言うんだろう。
 何度も考えては言葉が無数に次から次へと溢れてわからなかった。たとえば、あのとき私も一緒に海へ連れていってほしかった、とか。エースとルフィとは私も仲良くなったよ、とか。私はいまカフェを経営してるんだよ、とか。私も海へ出てひとりでこんなところまで来たよ、とか。エースはサボのあとを追っていってしまったよ、とか。向こうで会えたの?、とか。
 言いたいこと、話したいことがたくさんある。でもそれはもう、一生叶わない。そう思っていたけれど、撃たれた衝撃でこのまま海の底へ沈んだら私もそっちへ行けるのかな。薄れゆく意識の中で、ふとそんなことを思った。
 もう少し生きていたかった。まだやりたいこともあったし、店を放置してしまったことも気がかりだし。何よりこんなふうに死んだら、置いていかれるルフィがきっとまた悲しむことになる。広い海のどこかで、海賊として名を上げている彼とは、いつか会おうって約束したのに。サボ、エース、そしてフレイヤ。兄弟に幼なじみまで死んだとわかったら、せっかく立ち直った彼にまた嫌な思いをさせてしまう。そんなことにはなりたくないのに。

 波にさらわれてからどのくらい経ったのか、海上で必死に伸ばしていた腕も次第に力を失っていき、少しでも気を緩めれば海へ沈んでいこうとする。かろうじて踏ん張っている状態だった。
 カロリーナたちの船はもうここから見えなくなっていた。探しに来ないあたり、どこまで流されたのかわからないのかもしれない。それとも諦めたのかもしれない。どっちにしろもう助からないから意味ないけれど。
 島との距離はさほど離れていなかった。本来のフレイヤの泳力であればこのまま岸までたどり着けただろう。しかし、銃で撃たれた複数の傷がフレイヤの動きを鈍くさせる。そのせいで島まで泳ぐ気力も体力もなかった。
 口の中に海水が次から次へと入り込む。吐いてもまたすぐ容赦なく。撃たれた肩から血がじんわりと滲みだし、それが海水と混ざって辺りがグロテスクな色に染まっていく。じたばたと醜くもがきながら、しばらく踏ん張っていたが少しずつ体力は奪われていき、やがてとうとうフレイヤは意識を失った。


*


 次に意識が浮上したとき、とてつもなく苦しくてげほっと自然現象のごとくむせた。口から大量の水を吐き出してせき込む。誰かが話しかけているような気がするが、瞼は重いし、耳も膜が張ってあるみたいに声はするのに遠く聞こえる。
 そうしたフレイヤの状態を察知したのか、その誰かは必死に声をかけてくれている。時折、肩を叩いて(しかも怪我していないほう)呼びかけてくれる。自分の体なのに思うようにならないのがひどくもどかしく、動けと強く念じた。すると不思議なことに脳が反応して、瞼がゆっくりと開いていく感覚がわかった。焦点は合わないものの、すぐ目の前に誰かがいることだけは認識できた。ちょうど太陽と重なっているせいで、影となって顔はまったく見えない。

「大丈夫か」

 耳に張っていた膜が徐々に剥がれて、ようやく周辺の音をまともに聞き取ることができた。虚ろな目で、その人物をとらえる。体の大きさや声からするに男の人だろうか。
 もう一度、今度は確実にその人だけに焦点を合わせる。おぼろげな視界が段々とクリアになっていき、はっきりと顔をとらえた。

「おれの顔が、見えているか?」
「……」

 優しい声音に対して、その顔に描かれている刺青が印象を怖くさせている。海水は吐ききったはずだが、恐怖で口が回らずこくこくと頷くだけになった。
 男は「そうか」と安心した表情を見せると、まだそのままでいたほうがいいとフレイヤに進言する。首を動かすことも億劫なのでここがどこかわからなかったが、硬い板の上にいることだけは認識できた。きっと船の上なのだろう、服装もそのままなのであのあとすぐに引き上げてくれたに違いない。おまけに傷口に布をあてがってくれていた。人相が決して良いとは言い難いのに、まったく人は見かけによらないものである。
 体を起こすことは叶わなかったが、気持ちも頭も落ち着いてきたことで今なら話せそうだ。

「助けてくれて、ありがとうございました……私、銃で撃たれて落ちたんです海に」
「ああ、遠くからだが見えていた」
「死んだかと思いました。あの船から逃げようとして失敗したから……」
「逃げる?」

 こくりと頷いたフレイヤは、セント・ヴィーナス島を連れ出されてからこれまでの経緯を説明した。自身の家柄については伏せようと思ったものの、たまたま通りかかった命の恩人に話したところでフレイヤが困ることはないので正直に打ち明けることにした。連れ戻しに来たとはいっても、所詮フレイヤはカートレット家から離れた身なのだ。
 男は、しかしフレイヤがカートレットの人間であると知ると、目を見開いて驚いた。そしてなぜか「君が」と呟いたかと思うとそのまま黙って考える仕草をする。まさか、この人カートレットの名を知っているの……?

「あの、もしかしてカートレット家をご存知なのですか?」
「……知っていると言えば知っている。おれもゴア王国の出身だからな」
「え!?」思わぬ告白にフレイヤは驚きを隠せない。まさかこんな場所で同じ国の出身者と出会うなんて。と、同時に疑問が生まれる。目の前の彼が何者なのかということことだ。
「あなたは、一体何者ですか……」
「自己紹介が遅れたな。おれは革命家モンキー・D・ドラゴン、自由のために闘う者だ」

 さらに驚いたのは言うまでもない。言葉を失ったフレイヤはただただ驚愕の目を彼に向けた。
 この人こそ、世界のあちこちに潜伏する革命軍の戦士たちを指揮するトップ。そしてルフィの父親でもあり、"世界最悪の犯罪者"なんて恐ろしい二つ名を持つ者。顔は知らなかったために、今初めて革命軍の総司令官とこの人がイコールで結ばれた。
 彼は、自身のことを『自由のために闘う者』と称した。フレイヤがサボの死を境にずっと悩んできた"自由とは何か"に対する答え。それはきっと、この人が――この人たちが証明してくれるのではないだろうか。この世界に存在する歪な理を破壊し、世界を変えるであろう人物。
 "天竜人"が世界の頂点に君臨する限り、未来に自由は訪れない。そう語る彼の目には何が映っているのだろう。フレイヤは、自分がカートレット家を抜け出した理由も同時に打ち明け、革命軍の考えに賛同していると訴えた。決められた貴族の人生ではなく、フレイヤフレイヤの意思で国を出て今の生活を営んでいる。
 この出会いが、ただの偶然とは思えなかった。この人に助けられたことは、きっと意味があるのだとなぜかそう思えてならなかった。

「君の事情はわかった。本来ならこのまま送り届けるべきだろうが、ここで戻ればまた同じ目に合う可能性がある。そこでおれから提案があるんだが――」