きっとこういう夢を手のひらにみてた

 フレイヤの住む町はセント・ヴィーナス島の北部にあるベルツェと呼ばれる古代遺跡が多く残っている町だ。その昔、火山が大爆発を起こして形成されたというこの島は形が女性の横顔に似ているということからその名がつけられたという。
 島全体はさほど大きいとはいえないものの、伝統的な建物や遺跡、そして絶景といった観光が主な収入源で成り立っている。フレイヤが初めて訪れたとき、最も驚いたことといえば海面から50m以上も離れた断崖に町が存在していることだ。港から町へ行くためにはケーブルカーを使うかペルシュロンという馬で地道に上へ昇っていくほかない。
 十九歳でベルツェに移住したフレイヤが一人やっていくには慣れるのに大変だったが、幸運なことに町の住人たちはそのほとんどが知り合い同士で新しく来たフレイヤを快く歓迎してくれた。カフェを始めたときも応援してくれたし――まあ多少厳しい声もあったのだが、うまく関係を築けていると思っている。だからなのか、若い女性が少ないベルツェに結婚もせずずっととどまっていることは住人たちにとって不思議なことらしい。良い景色を見ながらカフェを経営する独身女がいても悪くない、とフレイヤ自身は思っているのだが。
 ベネット夫婦に言ったことは嘘ではない。現在二十二歳のフレイヤに恋人はいないし、結婚する予定もないが、好いている人がいないとは言っていないのである。もう何年も前のことであるため人に話したことはなく、ただずっと秘めているだけの虚しい想いと言われても仕方のないもの。だが、フレイヤにとっては一生大切にしたい想いであり、"彼"以外の人とどうこうなるつもりはないので結婚しないだけだ。
 自分の話をするのが得意ではないフレイヤは、セント・ヴィーナス島に来る前のことを誰かに話したこともなければ話そうとも思っていない。
 しかしそろそろ住人たちが親切にもフレイヤの将来を心配し始めて、あれこれ対策を打ち立てているらしい。本来はありがたく思うべきなのに、時々鬱陶しく思えてしまうのは恩を仇で返しているような気がして申し訳なくなってくる。

 午後の七時を回って赤みを増してきた空は、しかし明るいままでこの季節は特に日照時間が長い。夜とは呼べない明るさで、最初はフレイヤも戸惑ったほどだ。そしてこの町の特徴は、夜の時間帯になると客層ががらりと変わるところである。眠らない町なんて表現を聞いたことがあるが、ベルツェが四六時中騒がしいというわけではなくナイトライフもきっちり楽しめるという意味だ。若者たちで溢れかえ、カクテルバーやナイトプールで盛り上がる。
 フレイヤの経営するカフェ<グランツ・カヴァナ>も夜になると若者やカップルが多くなる。実は二階建てのこのカフェは、一階が図書館になっていて昼間は本来の利用方法――つまり本の貸出や読書、勉学に使われるが、夜は一変してバーと化す。二階のカフェは昼夜問わず変わらないが、ほとんどがカップルでうまってしまうので最近ひとりで入りにくい雰囲気を作り出しているのではないかと少し不安だ。
 しかし今日の<グランツ・カヴァナ>は珍しく海賊を迎え入れていた。この島にいると忘れそうになるのが、海賊や山賊、野盗といった巷でいうところの野蛮な人たちの存在である。海賊といえば、昔の知り合いが元気にやっていることだけ新聞を通して知っているのみだし、ここで出会った海賊も片手で数えられる程度。幼少の頃、少しだけ関わりを持ったことがあるものの、だからといって慣れているわけでもない。だから、いま非常に困っているのである。

「おいおい姉ちゃんよォ……酒の種類がちょいと少ねェんじゃねえのか」
「海賊ってのは酒を浴びるように飲むもんなんだよ、もっと持ってこい!」

 カクテルバーなので無理です。とは言いづらい雰囲気で苦笑いするしかなく、とりあえず謝っておく。
 貸切にしてくれと頼まれたのが一時間前。海賊ともあろうものが、酒を飲むために酒場という酒場がないただの観光地に来るとは不思議に思ったが、どうやらちょっと前に戦闘を終えてかなり負傷したらしく羽休めのために停泊しているそうだ。ここにいるのはほんの数名で、あとは全員船で療養中らしい。海賊に興味がないので彼らがどのくらいの強さなのかわからなかったが、この感じはものすごく小物感がある。フレイヤが知る大物海賊は、こんなふうに傲慢な態度を取ったりしない。
 だが、その対応が気に食わなかったのか海賊はますます不機嫌になった。

「謝りゃいいって思ってんのか? こっちは海賊だ、なけりゃ無理やり奪ってもいいんだぜ」
「やれるものならやってみれば?」
「威勢のいい女は嫌いじゃねェが、今はムシャクシャしてるから手加減できそうにねえなァ!」
「か弱いレディに複数で手をあげるってのは、同じ海賊は海賊でも小物だな」

 振り落とされそうになった拳は、しかし間に入ってきた誰かによって遮られた。ラフなシャツを着た金髪の男だった。