どこへも帰れない想い

「なんだか悪いなァ」
「いいえ、助けてもらったお礼なので遠慮せずどうぞ」

 テーブルの上に料理を置いて、金髪の紳士に食べるよう促す。美味そうだ、と呟いた彼はフォークを片手に口へ運んでいった。
 <グランツ・カヴァナ>の一階にあたる図書館は、夕方六時からカクテルバーに変わる。それはこの島の特徴に合わせてフレイヤが自ら考案したもので、これが意外と評判が良く若者をはじめとする住人たちに喜ばれている。
 時々やって来る海賊も、先ほどのような不遜な態度をとられることはなかったのだが、久しぶりといっていい傲慢な口調はフレイヤの忌々しい記憶を微かに呼び覚ますかのようで思わず強気な態度をとってしまった。金髪の彼が現れなければどうなっていたのやら。
 ラフなシャツにゆるくネクタイをしめて、お洒落なロールアップのパンツと黒い革靴。最初こそ何者だと不審に思ったものだが、顔を見てなんとなく気づいた。彼が、あの麦わらの一味のひとり”黒足のサンジ”であることを。以前新聞に手配書が挟まれていたので見覚えがあったのだ(そのときはなぜか手書きだったがきっと間違いないはずだ)。
 あの後うまい具合に追い払ってくれたサンジは、買い出しの途中たまたま通りかかっただけだという。しかし彼の周りには仲間の存在はなく一人だったのでフレイヤは不思議に思っていた。買い出しってことは、船はこの島に停泊しているんだろうけれど……。

「なにか気になることでも? マドモアゼル」
「へっ……?」

 知らぬうちにじろじろ見すぎていたようで、視線を感じたサンジがやはり紳士然として何やら変な呼び方でフレイヤに問うてきた。

「えっと、私はあなたを一方的に知っています。麦わらの一味のサンジさんですよね? どうして一人なのか気になってしまって……」

 言った瞬間、目を輝かせたサンジは椅子から立ち上がるといきなりフレイヤの手を握ってきた。え、と驚く間もなく目の前に彼の顔がありたじろぐ。「あの、サンジさん……?」「おれァこんな美人にも知られるくらいになっちまったのか……まったく罪な男。いや待て、おれにはナミさんとロビンちゃんがッ……!」ぶつぶつ独り言を呟きはじめたと思ったら、視線はフレイヤではなくどこか違う場所を見ていて収拾がつかなくなった。
 紳士的な雰囲気がするかと思えば、百面相を披露する面白くて変な人。思わず吹き出してしまったフレイヤに我に返ったサンジは、はっとして握っていた手を放した。

「ごめん。少し、取り乱した」
「いえ、その、なんていうか……」
「おれがルフィの仲間のサンジってのはその通りで、ここへは買い出しで寄っただけなんだ。だからあいつらは上陸せずに船にいる」

 もともと立ち寄る予定のなかった島だから。そう言って少しばつが悪そうな顔をした。
 なるほど、食糧調達で急きょセント・ヴィーナス島に寄ることになったわけか。その担当としてサンジが選ばれ、彼一人がこの島に上陸したようだ。確かにこの近辺にある島々の中で、食料に関する品揃えでいえばこの島に勝る場所はない。珍しい食材を求めて世界各国の料理人が調達しにやって来るほどだ。
 "偉大なる航路"の後半の海は、またの名を新世界と呼ぶがその名前とは裏腹に怪物並みの強さを持った猛者が蔓延る場所でもある。そんな荒々しい海の中にぽつんとまるで切り離されかのように佇む島、セント・ヴィーナス島はこの大海賊時代にはそぐわないほど毎日が平和だ。何かに縛られることも、誰かに強要されることもない。だから、海賊が羽を伸ばしにやって来ることはままある。
 麦わらの一味にとっては、どうやら冒険の思わぬ寄り道となったようだが。食糧が尽きたという話でひとつ思い当たる節があった。

「ルフィは相変わらず大食いなのね」

 独り言のつもりで呟いたのだが、サンジには聞こえていたようで狐につままれるようにぽかんとした表情をこちらに向けた。フレイヤは「あ」と口元を押さえてなかったことにしようとしたものの時すでに遅し。彼の耳にはしっかり届いてしまっている。

「驚いたな。あいつのこと知ってるような口ぶりだ」こうなったらもう隠すことは無理だったし、ルフィの仲間なら話しても問題ないだろう。
「えーっと、その……はい。ルフィは幼なじみみたいなもので、小さい頃一緒に過ごしたことがあるんです」
「ってことは――」

 彼はなぜか「あの」とか「その」とか、言いにくそうに次の言葉を探しているようだった。けれどフレイヤには彼が何を言いたいのかすぐにわかった。

「エースとも幼なじみです」
「……悪かった。思い出させちまったな」
「いいんです。あれから二年……ルフィが立ち直ったように、私ももう過去にすることができたから」

 忘れたっていうわけじゃなくて、きちんと向き合えることが。
 付け足すように言った言葉は、最後のほうがか細くなって頼りなかった。フレイヤの脳裏に、幼なじみの顔が次々によぎっていく。二度も喪失を味わったフレイヤは、せめてルフィだけは無事に航海を続けてほしいと切に願う。

「すみません、なんだかしんみりしちゃいましたよね! 買い出しならここから少し登った先にパブリックという食糧を扱った大型マーケットがあるので行ってみてください」

 雰囲気が暗くなる前に無理やり方向転換したフレイヤは、しかし微妙な表情をするサンジに気づかなかったフリをして本来の目的であるお薦めのスーパーマーケットを紹介した。
 テーブルの上の皿はしっかり空になっている。おまけにカウンターまで運んでくれるというので、彼の厚意に甘えてお願いした。どうやらサンジは一味の料理担当らしい。なるほど、道理で食べ方から片づけまでそつがない。
 カフェを後にするサンジの背中に、フレイヤは声をかけた。

「ちょっと強引なところもあるから大変だろうけど、ルフィのことよろしくお願いしますね!」

 振り返ったサンジは意外そうな顔をして、けれどすぐに優しい表情を作って親指を立てた。