しんとした世界で息をしてる

 カートレット家はゴア王国に広大な土地を持つ上流貴族の家系だった。その名を知らぬ者はいないほど貴族界隈では有名であり、それでいて厳格な当主に傲慢な奥方、二人の娘の四人が高町で暮らしている。
 当主の名はジョージ・カートレット。大地主であることから、働かなくとも土地の貸付金で生計していけるほどの財産を持つ。男の欠点は、金があるにもかかわらずその懐は堅く、貧民に対して厳しいことだった。地代を納められない人間には容赦なく土地を取り上げて切り捨てる。
 奥方の名は、グレース・カートレット。贅沢が好きで、自分の身につける物はすべて高級ブランド品。汚いものが嫌いであり、少しの汚れも許さない。そして娘には甘いが他人の子どもには厳しい。人を見下したような笑い方は気分を害するには十分だった。
 そんな貴族の中の貴族のもとに生まれたのが、二人の娘――フレイヤとエヴァである。長女のフレイヤは親の願う方向とは逆に外で遊ぶことが好きな活発な少女で、次女のエヴァはお淑やかで貴族のお嬢様そのもの。顔は似ているが性格はまるで反対の二人を、周りはどう扱ったらいいのか困っていた。なぜなら姉のフレイヤは執事やメイドにも優しい態度であるのに対して、妹のエヴァは貴族であることを棚に上げてわがままし放題。おまけにフレイヤはお稽古より外で走ったり、動くことが好きなせいでいつも泥だらけで帰ってくる。そうすると躾がなっていないとグレースがメイドたちに叱りつけるのだ。
 あるとき、カートレット家の大広間に家族四人がそろって話し込んでいた。

フレイヤ、お前に縁談がきている。相手はアウトルック家のご子息だそうだ。まあ向こうはどうやら王族との結婚を望んでいるようだったが、我々は貴族の中でも上位に立つ家系。似たようなものだよ」
「えんだんっていうのは……」
「ん? ああ、もちろんお前の結婚相手だ」
「け、けっこん……それってもしかして――」
「安心しなさいフレイヤ。お前を不自由にはさせない。将来このカートレット家はお前が継いでいくんだからね」

 父の隣に座ってティーカップを口にしている母が目を輝かせている。妹のエヴァはまだ小さくてよくわかっていないが、両親が笑っているのを見て嬉しそうにしていた。その中でひとり、当事者であるフレイヤだけが素直に喜ぶことができないでいた。
 四歳になって半年以上が経過した頃である。日々の礼儀作法や稽古事に辟易し、両親の目を盗んでは外で遊んでいたフレイヤに突然結婚の話が持ち出された。物心ついたときには、すでに貴族がどういった種族なのかある程度理解をしていたが、わずか四歳で結婚相手が決められているとは思わなかった。
 呆然とするフレイヤ>に気づいていないのか、気づかぬフリをしているのか。父はさらに続けた。

「来週、アウトルック家の皆さんが来ることになったからそのときご子息とも会えるだろう」

 にこりとする父が拒否を許すまいとしていて、フレイヤは頷くことしかできなかった。貴族なんて滅んじゃえばいいんだ。フレイヤの頭の中には、家族団らんの場にふさわしくないことばかりが浮かんでいた。


*


 フレイヤの部屋には、勉強机やベッドなど必要な家具以外に大きな本棚があった。そこには父が用意してくれた貴族のあり方、礼儀作法、ゴア王国の歴史……ジャンルはさまざまだが、フレイヤの興味を誘うものは一つとしてなかった。一日のスケジュールの中に組み込まれている"授業"では、貴族がどのくらい偉いのかということを熱弁する家庭教師の話を延々と聞かされる。興味もなければ面白くもない。フレイヤはたいてい右から左へ聞き流しているが、先生にバレると「そんな態度では立派な淑女にはなれません」と怒るので真剣に聞いているフリだけはしている。
 その退屈な授業を終えて休憩していたフレイヤは、出窓のベンチから外を眺めていた。コンコンと扉を叩く音に軽く返事をするとメイド長のカロリーナが昼食を持って入ってきた。

「また、外を眺めていらしたんですか?」

 カロリーナは十七歳からこの家に勤めているらしいが、若いのにこんなところで働いているなんてもったいないと思う。けれど、フレイヤが唯一心を許している存在もまた彼女なので出ていかれると困るのだが。
 出窓のそばにある小さなテーブルに昼食を置いて、カロリーナがフレイヤに近づいた。

「つまらない、ですか?」
「うん……だって、本当に興味がないの。この国の歴史がどうとか、貴族がどうとか」
「ふふ。フレイヤ様はほんとうにおかしな人ですね」
「……私って変なの?」

 真面目に聞いたのに、カロリーナはただ笑うばかりでそれには答えてくれなかった。それどころか、急に話題を変えて「そういえば」と続ける。

「明日はいよいよアウトルック家の方々がいらっしゃいますね」
「べつに、貴族となんか会っても楽しくないもん。どうせつまらない話ばっかりするんだ。その子どもも同じ感じだよ」

 こんな不敬な発言を両親の前ですれば、目を吊り上げて怒られるのだが今はカロリーナしかいないので気にする必要もない。それに事実を言って何が悪いのだろう。実際、彼らがする話といえば「あの家はもうすぐ地位が下がる」とか「どこどこ家の長男が不敬を働いた」とかどこで聞いたのかもわからない噂話ばかり。そんなことを幼い子供に聞かせて恥ずかしくないのか。
 フレイヤの文句にカロリーナは仕方ないといったふうに苦笑いする。

「そんなこと言わずに会ってみるだけ会ったらいいじゃないですか」少しだけ砕けた口調になったカロリーナが諭すように言った。「でもきっとすごく嫌な奴よ、だって貴族なんて――」「こーら! それ以上言ったら、いくら私でも怒りますよ」フレイヤの口を人差し指でふさいだカロリーナは、昼食を取るよう促すとそのまま踵を返して部屋を出ていった。
 再び静かになったそこで、フレイヤはもう一度窓から外を見回す。高町の人々は今日も煌びやかな服をまとい、鼻高々に歩いている。その光景にげんなりしたフレイヤは、ふいと視線を食事のほうに向けてフォークを手に取った。
 恋もまだのフレイヤにとって、結婚なんていう到底先のことなどわからないのに。すでに決められてしまった未来に不安がよぎった。