星よりもずっと遠くにいる君

 あの頃、幼いながら家族のふるまいに違和感を抱いていた私はカロリーナが唯一の話し相手だった。周りの子はみんな貴族だったけれど、友達呼べる友達はいなくていつも浮いていたし、ときどき感じる「あの子は変わってる」という視線が耐えられず、すぐに輪からはずれた。
 それでも私にはカロリーナがいたし、家の庭園に咲く草花や町の図書館から借りた本を読んで現実から目を背けることで毎日を送ることができていた。
 そして四歳になり半年以上が過ぎた頃である。両親から結婚の話を聞かされ、自分にはすでに親が決めた相手がいることを知り絶望した。結婚という言葉はなんとなくしかわかっていなかったが、一生この家に縛りつけられるということは察することができた。けど、どうせやりたいことも夢もなかった当時の私は仕方ないことだと思っていた――のだが。
 件の結婚相手家族が来るという当日。庭園でひとりの少年に出会った私は、それまでのちっぽけな考えを改めることになる。
 少年は名前をサボといい、同い年ながら博識でいろんなことを知っていた彼は、私にゴア王国の外を教えてくれた。世界には海という真っ青な場所が存在し、その向こうにたくさんの国、島、生き物、文化、歴史があるという。今ならそんなの当たり前なことだとわかるが、当時の私には想像もできない世界だったのだ。興味を惹かれた私は、そのあと好奇心のままに図書館で世界の本を借りては読んでを繰り返した。
 実はサボが例の結婚相手だったという事実は、当事者二人を心底驚かせたが、同時に幸運なことだと思った。サボとならうまくやっていけると思ったし、何より一緒に海に出ようと誘ってくれたのだ。ひとりで国を出るのは怖いけど、二人なら怖くない。大きくなったら、貴族なんてやめてやる!と強気でいられたのは、サボとの手紙のやり取りがあったからで、そうじゃなければ私の人生はつまらないものになっていたと思う。

 数か月の間、手紙交換しながら、ときどき親の都合で会うことができるという毎日が続いた。楽しくて、早く大人になりたいと思った。早く大人になってサボと海を見てみたい、そう強く。
 もうすぐ五歳になるというとき、けれどサボからの手紙が突然途絶えた。理由はわからなかった。アウトルック家からは、家出したとしか教えてもらえずそれ以上のことは彼らも知らないという。つまり八方ふさがりだった。誰にもどうすることもできず、サボが戻ってきてくれることを願うしかなかった。
 思えば、はじめのうちは裏切られたのだと怒っていた気がする。あれだけ一緒に行こうと言ってくれたのにどうしてって。でも改めてサボの手紙を読み返したとき、気づいたのだ。
 とうとう家の中に居場所がなくなったのだと。サボはきちんと書いていた。
 "この家におれは必要ない"
 あれは、もしかしなくてもサボからのSOSだったのではないかと、今なら思う。貴族であることに嫌気がさして、家を出たに違いない。そのことに気づいてから気持ちは少し楽になったけど、でも家を出るならやっぱり私も誘ってほしかったと思う。
 なぜなら――



*


「どうして……どうして置いていっちゃったの……?」

 机の上にノート切れ端が数枚。破れた側は決して綺麗とは言えず曲線を描いており、破った人間の性格がうかがえる。随分前のやり取りが記録されたそこには、少年らしい字で"彼"のことが書かれていた。
 国を出るとき、持っていくことを迷った物の一つがこの手紙の束だった。フレイヤにはつらい思い出を想起させるが、同時に胸が疼いて甘い記憶も呼び起こす。
 夜の十一時を回り、カフェの閉店作業を終えて帰ったあとのことだった。ふと、机の引き出しにしまってある長方形の缶から昔の手紙を取り出した。昼間のニコスとの会話が引き金といえばそうだが、つい先日幼なじみが船長をやっている海賊の仲間に会ったことも原因のひとつだろう。
 懐かしい記憶は、悲しい記憶をも思い出させる。二年前、エースが亡くなったというニュースを聞いたとき、幼なじみの心配をしたと同時に"彼"の存在もまたフレイヤの心に巣食ったのだ。立ち直ったこそしたものの、こうしてまた涙を流す羽目になるとは、つくづく自分は囚われたままなのだと思う。

「いなくなっちゃったのはそっちなのに、ズルいよ」

 ぽたり。便箋代わりの紙の上に、雫がひとつ。
 フレイヤは慌ててそれを優しく拭くと、再び缶に戻して眠りについた。