楽園を紡ぐためのロジック

 星団祭は小さな田舎町フェルトの一大イベントであり、他地域からも客が押し寄せる実は結構にぎわうイベントだ。五日間にわたって、町の中央に位置する広場と広場を結ぶ南北に広がるストリートに町中の店が出張し、伝統料理に伝統菓子、工芸品、玩具、雑貨、ありとあらゆるものが一つの場所に集結する。最終日の五日目には星団祭の名の通り、星灯篭を空へ放ち平和と健康を願うという幻想的な光景も見られる。
 が目的にしているのは薬草園を潤すための道具一式と新種のタネと――ウエスタットの伝統菓子たちだ。フェルトはイースタット地方の町だが、星団祭には他の地方の料理や菓子もここぞとばかりに売られるので、外の世界へ出たことがないにはとても魅力的に映るのである。
 特にウエスタットのお菓子は美味しいと、ヘラが言っていた。旅行に出かけることが多い彼女が言うのだから間違いないのだろう。毎年どの地域の菓子が出店されるかは星団祭直前までわからないので、だから今回はかなりアタリだ。
 昨日までの陰鬱な気持ちから一転、の頭の中は星団祭の買い物リストで埋め尽くされていた。
 まだ確信もなければ、不安が解消されたわけでもない。偶然校内では症状が出なかっただけで、外ではわからないし、そもそも症状が出たとして「狙われる」ということが「殺される」ことに直結するのかどうかもにはわからない。すべてのことにおいて未知数だった。
 恐怖がまったくないと言ったら嘘になるが、だからといって大人しくしているほどか弱くない。そしてじっとしているより動いているほうが余計なことを考えなくて済む。部屋にこもっていても、ヘラは読書していて話し相手になってくれるわけではないので、出かけるほうがむしろ気晴らしになるのだ。
 町は中央が近づくにつれて人通りが多くなっていく。ウラノス学院が町の中央まではさほど距離がなく、時間にして約十五分。休暇中ということもあり、通り沿いの店のほとんどが閉められているが、広場へ出張に来ている店もあるため、実際閉店しているわけではない。
 お祭りらしく、等間隔でつるされた人工的な電飾が気分を高揚させる。やはり部屋にいたら塞ぎこんでしまっただろうし、祖母がいなくなって楽しめなくなった休暇も、星団祭が行われる五日間だけはにとって羽を伸ばせる期間だ。
 ようやく広場が見渡せる位置まで来ると、その人の多さにはのみこまれそうになった。どこを見ても人、人、人。町の住民もいれば、大きな旅行カバンを持った明らかに観光客と思われる者もいる。昨年こそ一歩も出かけなかったので忘れていたが、そういえば星団祭は町の規模をはるかに超えた祭りなのだと思い出す。
 は人ごみをかき分けて、目的の店が陳列する南北通りのほうへ移動する。途中で、別の町から来たと思われる興行団っぽい集団とすれ違い、これから何か劇でもするのか着替えたり、化粧したりと忙しなく動いていた。
 そんな彼らを横目に、は農業・菜園用の苗木や種を売る店までやってきた。気前のいい男性が「いらっしゃい」と声をかけてくれる。いつもの人だ。学校の薬草園の様子をチェックしたり、道具などを新調したりする際に利用する業者のうち、いちばん付き合いが長いのが彼だとベルリ先生が言っていた。

「来ると思ってたよ。ほら、ディルとヘンルーダ。マリーゴールドもこの時期は役に立つ、持っていきな」
「わあ! ありがとうございます。えっと、いくらですか?」
「三十でいいよ。マリーゴールドはおまけ」
「さっすがおじさん、男前!」
「最近は天候が安定してるおかげで景気がいいからな。はいよ」

 受け取る代わりに代金を差し出す。太っ腹な彼の性格は以外への客にも向けられ、横からやってきた老夫婦にもすぐに声をかけてこの時期おすすめの植物の説明を始めていた。
 軽く会釈をして店を抜け、その隣の隣にある菜園道具にも立ち寄る。移植ゴテとプランター用品を複数選んで、袋につめる。先ほどの店と大きく異なるのは無人販売であるという点だ。これで商売がつとまるのかはたして謎だが、毎年やっているところを見ると問題ないのだろう。
 は種の入った小さな袋を大きなほうへ一つにまとめて歩き出す。次に目指す場所は広場の料理、菓子エリアだ。来た道を戻って、再び人だかりが多いほうへ。
 広場は先ほどより明らかに見物客が増えていた。興行団による演劇が始まったこともあるだろう、噴水をはさんだ向かいでは、不思議な格好をした人間が不思議な化粧をしてパフォーマンスをしていた。
 ウエスタット地方は特に菓子文化が発達しているそうだ。以前ヘラが話してくれたのは、シュヴァルツヴェルターと呼ばれるチョコレートケーキとシュニッテンという泡立てたコーヒー風味のクリームをスポンジに挟んだお菓子。名前を覚えるのに苦労したが、あれからウエスタットの本を読んでチェックした。
 どうせ読書ばかりしているであろうヘラにも買っていこう。目的のスイーツを見つけたは店番をするふくよかな女性にケーキ二つとシュニッテン二つ、それから個包装された小さなお菓子を複数注文した。
 袋いっぱいに詰まったお菓子を抱えて、はもう少し祭り気分を味わいたいと思っている自分がいることに気づいて苦笑いした。
 一人でも案外楽しいって思えるもんだな――歩きながらそんなことを考えていた。祖母がいなくなって、祭りには二年ほど行かなかったが、こうして店を回るのはどうしたって気分が高揚するものだ。客寄せのがなり声も、見物客の喝采も全然うるさく感じない。むしろこの喧騒が心地いい。
 だが、ヘラの警告通りはここに長居してはいけない。変死体の事件は、まず間違いなく彼らの仕業だろうと考えていたからだ。あのときは恐怖で何も考えられなかったが、彼らはいわゆる吸血鬼族で、人間であるとは種族が異なる生き物だ。見た目こそと変わらない青年であるものの、中身は血に飢えた凶暴性を持つ者たちだ。犯人が捕まったという情報は入ってきていないので、まだこの町に潜んでいる可能性がある以上、油断してはいけない。
 足早に広場を抜けて、ウラノス学院へ続く通りに入る。急にうら寂しくなった雰囲気にしょんぼりしつつ、は学校までの道を急ぐ。一本道になっているおかげで、離れていても校舎が見えるのが特徴だ。
 前方に、ゆらゆらと妖しく動く三つの影を見つけたのはそのときだった。人の形をしているのに、その輪郭はやけにぼやけて見える。実体がないような、どこか不鮮明な印象を受けた。
 刹那――その影が一瞬での目の前まで移動してくる。

「あー! やっぱりお前あのときのヤツ!」

 は反射的に身を竦めた。先ほどまである程度距離があったはずが、文字通り一瞬で彼はの真正面にやって来た。
 悲鳴を上げることができず、呼吸すら忘れてしばらく突っ立っていたは、残りの二つの影もまた一瞬でこちらに移動してきた光景に今度こそ「きゃあ」と大声で叫んだ。
 広場から離れたとはいえ、人は疎らにいる。「うるせェ」「おい、ここだとまずいぞ」「逃げよう」三人は短い会話でやり取りしたあと、なぜかの手を掴んで脇道へ走り出した。
 例の三人組ということはすぐにわかったのだが、掴んでいる力が強くて振りほどけない。一体どこに向かっているのか、彼らは祭りの喧騒から離れた荒野へ飛び出した。スピードが段々落とされて、そのまま前方に見えてきた廃墟へ入っていく。
 まさかとは思うが、ここを住処にしているのだろうか。廃墟だから当たり前に寝床もなければ食事するテーブルといった家具は一切ない。それどころか屋根さえもない。気づけば沈んでいた太陽から、空には満月が顔をのぞかせていた。今日は曇りのない星空が広がっている。
 申し訳程度の椅子に座らされたは改めて三人と対峙した。顔はやはり二日前に見た吸血鬼の彼らだ。今度こそ体中の血液を吸われて死ぬ、のだろうか。
 恐怖に震えあがっていたあの夜と違い、なぜかは冷静だった。まじまじと彼らを見つめて、やはり見た目はたち人間と変わらないのだと知る。格好だって周りにいる青年と変わらない。けれど忘れてはならない。彼らはこの町の若い女性を襲う吸血鬼だ。

「まだ、この町にいたんですね。もう食事は済んだはずでしょう。どうしてここに居座る必要があるんですか」

 冷静に言葉を選んだつもりが、随分とげとげしい言い方になった。まあなれ合うこともないし、向こうからすればは単なる餌だから態度よくする接する必要はないのだが。

「まずはおれ達の事情を説明しないとな。いいだろ、エース」
「あァ」

 金髪の男がそう言うと、エースと呼ばれたそばかすの男が頷いた。
 人工的な灯りが一切ない寂れた荒野で、けれど見上げた星空は泣きたくなるほど美しくの目に映った。