過去を共有する者(1)

 サボたちに連絡を取ることができたことはよかったものの、やはりがアンバーに向かうことに関して二人は良い返事をしなかった。実際は革命軍が折れる形で渋々承諾を得たのだが、それでもサボの口調は厳しいままだった。言いにくそうにしていたにしびれを切らしたのか、ローが横から躊躇いもなくアンバーへ向かうと口にしてしまったので否定も何もできず二人の会話を聞くことになったのである。
 問題はそのあとだ。口を挟んではいけないと思って始終聞き役に徹していたは、サボとローの間に流れる険悪な雰囲気を肌で感じ取っていた。サボが頑なにをアンバーへ行かせるなと主張する一方、ローはそこに何か深い意味があるのではないかと疑っているらしい。随分と挑発的な態度だったし、途中でコアラの声も混ざり交渉が決裂するのではないかとひやひやさせられたのだが、サボとローの会話の中で引っかかるものがあった。
 "上陸してもを下船させるな。おれたちが着くまで絶対に"
 "……それは例の件が関係してるのか?"
 "知ってるなら話は早い。そういうことだ"
 ――あれは、どういう意味なんだろう。
 例の件というのは、近々実行される可能性のあるクーデターのことだろうか。だとしたら、がその場にいると足手まといになるから下船はさせるな、ということになる。啖呵をきったあのときのような直接的な言葉ではないにしろ、サボはやはりを信頼していないのだと思われた。だからああして遠ざけようと、無駄な犠牲を出すようなことはさせまいとしているのだろう。部下の失敗は上司の責任でもある。当然といえば当然だ。
 通話を終えて船長室を出てきたはそれまでと違って自由を与えられたため船内を散策していた。部屋に戻ってもよかったのだが、じっとしていると余計なことを考えてしまうので気分転換をしたかったのだ。といいつつ、頭の中はサボとローの会話が繰り返し再生されているのであまり意味のない行為だったが。
 ポーラータング号。ベポがそんなふうに呼んでいたのを思い出す。潜水艦の形をしている海賊船は珍しい。少なくともが生きてきた十九年間の中で初めて目にしたことになる。だからなのか、散歩をさせてほしいと頼んだもののいまいち船内の構図がつかめず先ほどから同じところをぐるぐる回っている気がした。自分の部屋からそんなに離れていないとは思うが、何せ似たような部屋があってわからない。
しばらくして船長室に戻ってきてしまったらしいが途方に暮れていたとき、奥のほうの部屋の扉が開かれた。

「あれ、? そんなところでなにしてるの」
「ベポっ、よかった! この船、造りが特殊でしょう? どこがどこかわからなくなって迷ってた」
「ええ! そんなに特殊かな。おれにはわからないけど……じゃあ海図室に来る?」
「海図室?」
「うん。これまでたどってきた航路の地図を作ってるんだ」
「へえ、面白そう。行ってみたいな」

 いいよ、と承諾してくれたのでてっきり入れてもらえるかと思ったらなぜか彼は扉を振り返って「キャプテーン」と大声で叫んだ。え、もしかして中に船長がいるの? ちょっとそれは先に言ってほしかった。私はベポと話はしたいけれど、船長さんとはさっきのこともあって会いたくなかったのに!
 心の叫びも虚しく、中から素っ気ない「ああ」という入っていいのか悪いのかわからない答えが返ってきた。ベポがどうぞと仕草で先を促してくれたのでどうやら入って大丈夫らしいが、今の返事がなぜ「いい」となるのかにはわからなかった。
 海図室はその名の通り、海上の地図を描く部屋で航海士であるベポを中心にこれまでの記録を残しているようだった。ベポが部屋から出てきたのは休憩のためだったらしく、そのまま食堂に向かってしまったので結局船長と二人きりという気まずい空気が流れる。ローはエターナルポースを片手に、ベポが描きかけている地図を睨みつけていた。このタイミングで声をかけるのは躊躇われたが、黙っているのも耐えられなくては恐るおそるながら聞いてみることにした。

「あの」
「……なんだ」
「さっきのことですけど、どういう意味ですか?」
「さっきってのは電話の内容か」
「はい。例の件というのはアンバー王国のクーデターのことなんでしょうか。私みたいな上司の指示に従えない人間にはやっぱり足手まといだからってことなのかなと思ってしまって……」

 自分で言ってて悲しくなる。長く革命軍にいる割にコアラよりも立場は低いし、エリスともあまり変わらないし――というか最近はエリスより評価が悪いと感じることもある。卑屈になりたくないのに、を足手まといと口にするサボの顔がちらついてもやもやしてしまう。自分のほうがサボと長く付き合いがあるのにどうして、と。
 サボとローの間に目に見えない何かで通じているものがあるのも気になった。だけ置いてけぼりにされている気がして、それも気分が晴れない原因の一つだ。こうした考えがそもそも革命軍の一員として垢抜けないのかもしれないが、何か言いようのない不安が拭えない。

「あいつはお前のことが心配なだけだろ」
「でもっ……」
「気にしすぎじゃねェのか」
「さっきはお前の上司の言うことはあながち間違ってないとか言ってませんでした?」
「ああ、そんなことも言ったな……まァ忘れろ」
「あーそうやって適当なことばっかり! もう何なんですか」
「うるせェな」

 を鬱陶しそうに扱いながらもローは優しい眼差しをしていた。いつの間にか堅苦しい雰囲気から柔らかい空気に変わっていることに気づいて、は不思議な感覚に陥る。初めて会ったときの態度からは想像できないやり取りだろう。最初に嘘をついてしまった手前、彼の中では信頼しうる人物として認識されていなかったはずだ。にもかかわらず、穏やかな雰囲気であることに戸惑いながら、けれど確かに心が灯っていくのを感じていた。
 今ならローに対してアンバー王国にこだわる理由を聞けるかもしれない。そう思って口を開きかけたとき、運悪くベポが戻ってきてしまう。「あ」中途半端に開いたの口は、ベポの「キャプテン、飲み物」という間の悪い台詞で思わず閉じてしまった(ベポに一切罪はないけれど)。
 ――でもアンバーに着くまであと数日かかるっていうし、チャンスはまだあるはず。
 ベポはにも持ってきてくれたらしく小さなカップを渡された。温かい紅茶だった。

「ベポ、一段落ついたようだからおれは休むぞ」
「それはいいけど……」と言いながらちらっとのほうに目を向けた。
「あ、私はもう少しここにいていいですか」
「いいよ!」
「じゃああとは頼む」
「アイアイキャプテン」

 海図室を出ていく背中を名残惜しく思いながら、はベポと一緒に作りかけだという海図を覗きこんだ。少し縮んだような気がした距離は、けれどまだ手が届かない。