過去を共有する者(3)

 なかなか寝つけない夜だった。
 世話になっている身ということもあって、ベポに頼んで何かやらせてもらえないか聞いたのが今日の朝のことである。船内のことはそれぞれ担当があって人が不足している仕事はないらしく、あえてがやるようなこともないと言われてしまって落ち込んでいたら、ロー自ら作戦会議に参加してくれと依頼された。
 数日後にはアンバーに到着するし、知っている情報をもとにどう行動するかを会議したいのだそうだ。海図室での微妙な空気のまま、事務的なこと以外は話す機会もなく三日が経った。たまたま不運のところを助けてもらっただけで、アンバーに着けばきっと別行動になる関係だ。作戦会議とはいえ、がローと共に行動することはほぼないだろう。
 しかし彼がこだわる理由についてまだ聞くことができていない。もともと海賊と革命軍は政府や海軍と対立する意味では同じといっても目的が異なる。協力関係になることはできても、ずっと一緒にいられるわけではない。だったら深入りしなくたっていいと思っている。思っているのだが。
 なぜか気になって仕方ない自分がいることに、自身が戸惑っていた。人と群れることを好まないように見えるローに、仲間でもないがずけずけと話してほしいというには烏滸がましい。なれ合いたいとは思わないが、それでも知りたいと思ってしまったらもうなかったことにはできなかった。
 ポーラータング号は、基本的に部屋を出ると廊下の明かりが少ないせいか意外と暗い。は外の空気を吸うために甲板に出ることにした。
 潜水艦の形をしているせいか、普段は海の中を潜って航海しているようだが夜は浮上していることが多いらしい。"偉大なる航路"は並大抵の覚悟で航海できるほど楽ではないし、ましてやこの辺りは後半の海に近い。王下七武海入りしたトラファルガー・ロー率いるハートの海賊団の船とわかれば、下手に襲ってくることはないだろうが周りにどんな猛者たちがいるのかわからない以上、夜は見張り台に誰かがつくのだろう。
 地上に続く階段をのぼって甲板に出ると、月明りに照らされて思ったより明るい夜の海の景色が見渡せた。闇にのみこまれそうになる昼間のときよりも数倍恐ろしく見える夜の海が、はあまり好きではないが明かりがあるだけでこうも変わって見えるのかと驚く。拾われてから今どのあたりにいるのかわからないが、アンバーに向かっているということは方向的にバルティゴには近づくことになる。漂う海の匂いに誘われるように、は船の縁に近づいていく。
 その縁に手をかけて身を乗り出そうとしたとき「そんな乗り出したら落ちるぞ」という低い声が頭上から聞こえた。首をひねって声のしたほうを確かめると、見張り台からひょっこりと顔をのぞかせている白い帽子の男がこちらを見ている。月明かりと重なっているせいで、表情はわからなかった。

「今日はあなたが見張り番なんですね」
「ああ。お前はこんな時間に何をしてる」
「眠れなかったので、外の空気を吸おうかと思いまして……」

 別に嘘をついているわけでもないのに、何かいけないことをしている気分になって尻すぼみになった。自由にしていいと言われたし、部屋から出るなとも言われていない。なのに、ローの口調はまるで金縛りにあったように相手をその場に縫いつける。
 見張り台から降りてきた彼はの隣までやって来ると、突然腕を掴んで自分のほうへ引っ張った。つんのめってこけそうになったが幸いなことに踏みとどまることができたのでほっとため息をつく。

「万が一落ちたらおれは助けられねェからな」
「……少し前から気になってたんですけど、トラファルガーさんは私のことをおっちょこちょいだと思ってませんか」
「それ以外に何かあるか?」
「解せません。私は革命軍の一員ですよ」
「だからそれが信用できねェってんだ。仮にも諜報活動を生業にする人間が、見聞色を使える奴のところに忍び込むなんざ有り得ねェだろうが」
「そ、それは……確かに」

 ぐうの音も出ない。彼の言う通りすぎて返す言葉が見つからなかったはそのまま黙るしかなかった。ローの言い方は険があるものの、怒っているわけではなくただ呆れているような、そんな微妙な表情を作ったあと、戻るでもなくその場にしゃがみ込んだ。どうやらこのまま一緒にいてくれるつもりらしい。つられても同じようにする。
 開けた甲板の上の空にいくつもの星が瞬いていた。は天文学の知識がさほど多いわけではないが、この世界には黄道十五宮と呼ばれる黄道を十五分割してそれぞれの領域に名前がつけられており、さらに太陽と星の位置から方角も割り出すことができる仕組みがあるという。
 今でこそログポースがあるが、コンパスさえなかった時代は天文学によって世界の仕組みを解明してきたといってもいい。まあ小さい頃、暇すぎて父の本棚から勝手に取り出した本の中の知識だが。
 びゅうっと、海風が頬を撫で上げた。少し前の嵐が嘘のように穏やかな夜が訪れている。"偉大なる航路"の気候がいかに不安定であるかは一度経験した者なら誰もが知っている事実だが、この世界は未知なことも多く未だ解明されていない事象が多々あるので各地の学者たちがあらゆる技術でもって必死に研究しているのだ。
 ふと隣のローに視線を投げると、彼は目を閉じていた。寝ているように見えるが、彼の場合見張り番という仕事でここにいるので目を閉じているだけだろう。
 はどうするか悩んでいた。今ここにローがいて他には自分しかいない状況。聞くなら今が絶好のチャンスではないか。日中、彼の周りはほぼ誰かがついているし、夜に船長室を尋ねるのも変な意味で捉えられるかもしれないし。このまま聞かずに上陸することも可能だろうけど、の中にくすぶる知りたいという欲が芽を出してしまっていた。
 好奇心は猫をも殺す。先人の教訓が頭をかすめたのも一瞬、気づけばは口を開いていた。

「トラファルガーさん」
「…………」の呼びかけにローは眉をピクリとさせたが返事はない。諦めずに話しかける。
「聞きたいことがあるんですどうしても」
「……なんだ、聞きたいことって」

 面倒くさそうに目を開けたローは持っていた愛用の刀をがいるほうとは逆側の地面に置くと、背中を船に預けて空を見上げた。どうやら話を聞いてくれるつもりらしい。
 も同じように船に寄りかかって、多すぎるほどの星が輝く空を見つめる。季節によって見える星が変わるというのは現代人にとって当たり前だが、同じ場所にとどまらないことが多いせいか失念していた。はこの先もきっと革命軍として目的を果たすために奔放する。だから、やっぱり聞いておくべきだ。

「あなたはアンバー王国で何をしようとしているんですか」
「それはどういう意味で聞いてる。お前らの任務を邪魔しねェかどうかってことか」
「ちがっ……そんなことは思ってません。あなたは海賊だけど、無闇に人を陥れたりしないというか」
「随分と買いかぶってるようだが、おれは善人じゃねェ。目的があればお前らを利用することもできる」
「では、どうして海賊であるあなたがアンバー王国へ行こうとするのか教えてください。あそこは海賊が立ち寄るような場所でもなければ、あなたたちの航路にも関係ないはずです。それに内乱が続いている危険な場所でもあるのに、どうして自らそんな場所に――」

 は空に向けていた視線をローへ移した。隈の目立つ目元が帽子のせいで余計に暗く見える。真っ黒なロングコートに身を包んだ彼はしばらく沈黙を続けたあと、やがて観念したように語り始めた。

「革命軍ならドフラミンゴのことは知ってるだろ」
「え……ああ、天夜叉ですか。裏で武器を密売したり、戦争をしている国などと取引している海賊の中でも大悪党の男だと認識していますが、彼がなにか――」
 言いかけてはっとする。まさか、アンバーのクーデター計画の裏にドフラミンゴの存在でもあるのだろうか。気づいてしまえばそうとしか思えなくなったは興奮した状態で、「もしかしてアンバーのクーデターにあの人が絡んでいるんですか」会話の相手に身を乗り出す勢いで迫る。しかし、ローは怒気をはらんだ瞳でどこか遠くを見つめていた。
「あいつはおれの命の恩人を殺した」

 たった一言、そう呟いた彼の口調は怒りと憎しみの両方を含んでいる気がした。