過去を共有する者(4)

 "北の海"にかつて存在していた国、フレバンス。地層から採取される「珀鉛」と呼ばれる鉛の影響で国全体が雪で覆われた別名"白い町"。この珀鉛は国の一大産業だが、実は物質に含まれる毒が人体に悪影響を及ぼす。王族と世界政府はこの事実を百年も前から知りながら利益のために隠ぺいしていた。
 やがて国民が珀鉛病を発症すると、手の平を返すように王族はフレバンスを脱出してしまう。伝染病だと思いこんだ近隣諸国からは通路を封鎖されるなどの、手ひどい扱いを受けた。こうして治療を受けられず亡くなる者や、他国へ亡命しようとして迫害される者など一人、またひとりとフレバンスの人間はいなくなっていった。
 生き残った国民たちで抵抗に出たのだが、近隣諸国から一斉に攻撃されてしまい結局フレバンスという国は滅びた。
しかし、そうした戦禍を逃れてなんとか生き延びた少年がいたという。わずか十歳で家族も友人も失くした彼は祖国を脱出することができたものの、余命三年二か月であり喪ったものが多すぎたせいで生きることに絶望していた。
そうして自棄になり、体中に爆弾を巻きつかせてドンキホーテ海賊団の前に現れたのだ。
 "全部ブッ壊したい"
 その目は確かに狂気を帯びていた。この世の何もかもを信じないという目。十歳で最悪な経験をしたのだから、誰が見たって人格が壊れてもおかしくないと思うだろう。生きられるのもあと少しならと、少年は破壊衝動に駆られるままドンキホーテ海賊団に入ることにしたのだ。ドフラミンゴも少年の目つきを見て、将来自分の右腕になる可能性を見出したという。
 少年はファミリーの仲間に鍛え上げられ、拠点を移しながらドフラミンゴの計画に手を貸していた。どうせ死ぬ運命、家族も友人もいない自分に生きる意味などない。そういう行き場のない思いだけが彼を動かしていた。
 だが、いよいよあと一年生きられるかというときだ。少年に転機が訪れる。
 幹部であるコラソンに突然病気を治すという名目で連れ去られてしまう。病院を回って治してもらうというのだ。しかし彼の考えは甘かった。"白い町"の出身者が他国でどう扱われるのかを知らなかったのだ。珀鉛病は本来伝染病ではないが、人々の認識は誤ったまま伝わっていた。どこへ行っても少年はばい菌扱いを受け、過去のトラウマが呼び起こされる。そんな少年を憐れに思いながら、コラソンは絶対に治してみせると誓った。
 ファミリーを飛び出して半年が経った頃、ドフラミンゴから「オペオペの実」の情報を手に入れたから少年を連れて戻ってこいという連絡が入った。コラソンは考えた。ドフラミンゴを出し抜き、少年に"オペオペの実"を与えて自由にしようと。
 だが、その計画も海軍に潜入していたファミリー側の人間に見つかってしまい失敗する。あとはもう悲劇の連続だった。ドフラミンゴに見つかったコラソンは裏切り行為により殺された。
 死ぬと診断された少年が、やっと生きる希望を手に入れた矢先のことだった。少年の"声"はコラソンの能力によって誰にも届くことはなかったが、やがて能力者の死が訪れるとともに泣き叫ぶ悲しき声が島に響き渡った。それは幸か不幸か、ドフラミンゴを捕えるために待機していた海軍の大砲によってかき消され、少年の声は誰に聞かれることなく悲劇は幕を閉じた。
 再び孤独となった少年は、しかし命の恩人によって与えられた"オペオペの実"の能力でもって奇跡的に生きながらえることに成功する。
 その後、コラソンと落ち合うはずだった「となり町」へ向かい、少年はベポたちに出会ったのだ。以後、少年は恩人の仇とコラソンの意思を胸に力をつけていくこととなる。
 少年の名はトラファルガー・ローといった。


*


 波の音が静かに響いていた。船の縁に両肘をつけてぼうっと海を眺めていたは、深呼吸をして肺いっぱいに夜の空気を吸い込む。
 夜空との境目がわからないほど空と海が黒く同化しているが、自然が作り出す明かりが海の揺らぎを映し出しているおかげで水平線を見極めることができる。
 はてしない空と大海原、その先の自由。この世界でどれだけの人間がそれを追い求めているのだろう。そしてどれだけの人間が本当の意味でそれを手に入れられるのだろう。は急にやるせない気持ちになった。

「だから海に落ちたらどうする」
「……落ちません」

 気づけばローも立ち上がって縁に背を預けていた。首を無理やり回してかろうじて海が見えている状態だ。彼の黒いコートが夜の景色に溶け込んでいて、
 彼の話が終わる頃には、もう日付がとっくに変わっていた。時間にして三十分くらいだったと思うが、もっと長い間聞いていたような気がする。

「なんでお前が泣くんだ」
「泣いてません」
「泣いてんだろ」
「じゃあ泣いてます。放っておいてください」
「……めんどくせェ奴だ」

 とか言いながら、ローは黙って隣にいてくれた。別に何か言うわけでもなかったし、何かしてくれたわけでもない。ただ、そこにいてくれた。それだけのことが、なぜかには懐かしいようなそれでいて温かくてほっとする気持ちで満たされていった。


 その日が眠りについたのは、空が白んできた頃合いだった。薄明の中、うとうとし始めた自分に「寝ろ」と命令口調ながら優しく諭すような声が聞こえた。
 彼がアンバー王国にこだわるのは、かつての恩人の仇が裏で糸を引いている可能性があるからだったのだ。たまたま出会ったという革命軍の人間がその宿敵に繋がるかもしれないとふんで、情報を教えろと要求している。
 大切な人間を喪った悲しみはにも理解できた。無抵抗の母を殺された経験のあるは、彼の気持ちが痛いほどわかってしまう。けれど、名も知らない海賊に恨みは抱けなかったし、悲しさと寂しさが勝って仇をうつなんて発想は自分になかった。彼が貫く想いは、ドフラミンゴを討つことでしか遂げられないのだろう。その点においてとは違う。家族はいないが、今はサボやコアラたちがいる。自分を大切にしてくれている仲間が、居場所が。
 彼にもそんな場所があるだろうか。今いるハートの海賊団の人たちは彼を慕い、頼れるリーダーとして信頼されているけれど。彼自身が安らげる場所がどこかにあればいいと、思わずにはいられなかった。