鬼上司と力不足な部下(2)

 サボたちと同じチームで任務をこなしているは、確かに彼らと比べると特別な能力もなければ、悪魔の実を食べて怪物的な力を手に入れたわけでもない。力だけ見れば劣るだろう。しかし、それを引いたとてには地頭の良さと身軽さで数々の死線をくぐり抜けてきた自負がある。いくら幼い頃からの付き合いで何でも知っている間柄かつ上司とはいえ、足手まといと言われる筋合いはなかった。
 自身の部屋。机の上に置かれたエターナルポースを見つめて、思わず苦虫をかみ潰したような顔を作る。渡しそびれてしまった羅針盤の目的地には"Amber"と書かれている。新たな任務の話であるとばかり思っていたにとって、それこそ青天の霹靂というものだった。これまでの任務のほとんどが五人だっただけに、まさか今回自分だけ仲間外れにされるとは思ってもみなかったのだ。
 上司のサボは、実はにとってただの上司ではなく、彼が革命軍に来た十歳の頃からの付き合いだった。父が総司令官であるドラゴンの思想に賛同していることから、物心がついたときすでに革命軍にいたは年齢の近いサボを兄のように慕っていた。事あるごとに彼の後ろにくっついては、遊んでもらったり、一緒に修行したり。イワンコフからヴァナタたちいつも一緒にいるわね、なんて言われて。
 しかし、そんな楽しき記憶も十年より前は不透明だったりする。所々抜け落ちているところがあるのだ。その理由は自分でもよくわからなくてサボに聞いたことがあるのだが、はぐらかされてしまって今も有耶無耶のままだった。十歳のときにサボが革命軍に来たというのなら、そのときは七歳のはずだ。現在十九歳のにとって、彼と過ごした記憶の中で約三年間は曖昧な期間なのだ。
 そして父、フローレス・ヴァン・ウォルトが先代の参謀総長だったというのも人から聞いた話だった。親子そろって革命軍に所属していることはわかっていたが、普段父親がどこで何をしていたのか定かではなかった。ただ、ひとつわかることは、十年前に殉職したということだけ。任務の途中、仲間を庇ったそうだ。サボはウォルトから潜入調査に関する以呂波を教わったというので、彼にとっての父は恩師にあたる。そういうこともあって、兄のように近しい存在だったはずなのだが。

「足手まといなんて……ひどいよ」

 ぽつり、と先ほどのやり取りが思い出される。
 "アンバー王国の任務はおれ、コアラ、ハック、エリスの四人で行う"
 エリスと一緒にはずされるなら、まだ理解できたのだ。この言葉は「お前はエリスより下だ」と言われているようなもので、明らかに能力で劣っていないはずのを任務からはずす理由がわからない。を足手まといだというのならエリスもそうあってしかるべきだ。これは決して自分の能力を過大評価しているわけではなく、事実そうだということ。
コアラもハックも、サボの言うことに反論はしないだろうから決定事項のはずだ。向こうがそのつもりならも強硬手段を取るほかない。
 リュックに最低限の物資を詰め込んで、エターナルポースを乱暴に取ったは部屋を出た。周りをそっとうかがう。誰もいない。ほっと胸をなでおろして足早に廊下を進んでいくと、見慣れた顔が階段のすぐそばに佇んでいた。エリスだ。

「止めても無駄だから」
「……サボさん、本当はあんなこと思ってるわけじゃないよ」
「……っ」

 エリスに何がわかるというのだろう。自分はチームとして任務を遂行できるから、余裕な顔をしていられるのか――と、そこまで考えて首を横に振った。考えが卑屈になっている。これ以上、彼女と話していたら余計なことまで口走ってしまいそうだった。


「ごめんね、エリスちゃん。でも証明したいの……私も、革命軍の一員なんだってことを」

 はっきりと彼女の目を見てそう告げたを、今度こそエリスは引き止めようとしなかった。彼女の横をすり抜けたとき、どんな表情だったのか確かめることなく階段を下りていく。幸いなことに誰ともすれ違うことなく基地の外へ出ることができた。
 革命軍が所持する船はヴィント・グランマ号以外に調査用のものが複数。他国への潜入には革命軍だということがわからないようになっているのだ。小型のものから大型まで世界各地に散らばる戦士たちを送り届けてきた実績があり、もこれまで数回使用歴がある。慣れた段取りで船着き場へ向かい、見張りの隊員に「総長から個別任務を承ったため」という嘘を信じてもらうと小型の調査船に乗り込んだ。先ほどの腹いせに総長の名を躊躇うことなく使ってほくそ笑む。
 言い争って多少の無茶をすることはあっても、命令に背くことはこれまでただの一度もなかったは、少しだけ名残惜しい気持ちを抱えて船を出す。律儀に「気をつけて」なんて言葉を投げかける見張りの隊員に思わず苦笑いで応答した。
 しかし出航してすぐ雲行きが怪しいことに気づく。今にも降りそうな空模様に、は持ってきた地図を広げてアンバー王国までの航路を確かめた。地図上では、このまま天気に左右されることがなければ一週間ほどでたどり着くはずだ。その間、危険がないと言えば嘘になるが、海賊船でもない小型船舶に興味を持つ物好きはいないだろう。

「……こうやってすぐ単独行動に出るあたり、力不足って言われるのかな」

 意味もなく、地図の航路を指でなぞる。誰も拾ってくれないその言葉に、急に罪悪感が押し寄せて不安になった。
 チームでの任務において、予定にない単独行動は逆にチームを危険に追い込むことがある。初めてサボやコアラたちと任務についたとき、自分の力を過信して一人で敵に突っ走り失敗した記憶が呼び起こされる。あれは、十五歳ぐらいだっただろうか。二人にこってり絞られたは、それからチームというものを大事にしてきたつもりだった。時折サボが無茶をすることに対して「人のこと言えない」と文句を垂れても、こう見えて彼のことは尊敬していたから指示に従ってきたのに。

「最近厳しいことばっかり言ってくる鬼上司なんだもん。エリスちゃんには優しいのに」

 の恨み節は、当たりが強いことだけではない。枕詞に「ほかの人には優しい」というのがつくのだ。仲間を大切にし、部下にも慕われているサボはその人柄から分け隔てなく優しい参謀総長として人気が高いが、殊のほかには辛辣な言葉が多い。それも同じチームのエリスと比較してしまうから余計に苦々しく思う。いっそのこと嫌われたほうが楽なのだが、怪我して帰って来た自分を一番に心配してくれる上司の姿を知っているせいでその判断もできない。
 役職の先輩であるコアラに愚痴ったこともある。どうして私だけ、となんとも子どもじみた発言だったが言わずにはいられなかった。彼女曰く「期待してるんだよ」なのだそうだが、期待してくれているなら今回の任務に携わらせてくれないのはおかしい。ましてや足手まといなんて暴言まで吐いて――
 そこまで考えて、アンバー王国のことがふと思考の片隅に引っかかった。

「アンバー王国ってそんなに危ないのかな」

 サボがあれだけ関わらせまいとしたのだ。もしかして、が思うよりずっと深刻な状況に陥っている国なのかもしれない。とはいえ、それが直接を任務からはずす理由にはつながるとは思えなかったが。
 ともかくアンバー王国にはの知らないことがまだあるのではないかという疑念が生まれる。サボたちが知っていて、が知らない"何か"が。
 妙な胸騒ぎを覚えたは視線を上へ向けて、先ほどより一層暗くなった空に、早く明るさを取り戻すよう念じた。