過去を悔やむ者(4)

 そのあとのことは、サボも仲間からの情報を断片的に合わせていって繋いでいくだけだったが、ウォルトがに覆いかぶさるように倒れている景色はたぶんこの先一生忘れないだろう。
 敵のリーダーであるアレスは自滅をはかったのか、すでに息をしていなかった。残りの仲間も倒れている人間が数名いるが全員ではない。そして引き金となった女の子の姿もなかった。
 とにかく下敷きになっているを救出しようとサボが駆けつけたとき、実はウォルトの息はかろうじて残っていた。シンと一緒にウォルトをから引きはがして仰向けにさせる。肺のあたりが血で染まっていて、見るに堪えない。当のは気絶してしまっているらしく、多少怪我はしているようだったが問題ない。きっと彼女を守ったのだ、あのときサボに残した言葉通りに。
 悔しかった。なぜ、ウォルトに従ってシンたちのほうへ向かってしまったのだろう。残ったとて十二歳のサボに何ができたかはわからないが、それでも尊敬する人のこんな姿を見るくらいなら応戦したほうが幾らか自身の罪悪感が薄らぐ気がした。
 シンが大急ぎで止血をするのを見守る中、突然サボの右腕が誰かに掴まれた。びくりと肩を揺らして、掴んでいる腕の正体を確かめる。血に染まったそれはウォルトの左腕だった。口を開くのも億劫なはずだが、彼は何かを伝えようとしていた。サボは聞き逃すまいと彼の口元に耳を寄せる。

のこと、頼むぞ……」
「し、死んじゃダメだっ……」
「これからは……お前が、笑わせてやってくれ」
「ウォルトさんっ……!」
「約束だサボ。お前に、を託す」

 最後の力を振り絞るように、ウォルトの指がサボの腕に食い込む。想いの強さをひしと感じたサボは、涙を流しながら必死に頷いた。の血か、それともウォルト自身のものかもわからない彼の赤く染まる手に自分のそれを重ねて、ただずっと寄り添っていた。
 必死に救命をするシンも泣いていた、と思う。涙でにじんだ視界は周りを気にする余裕もなかったが、あちこちで嗚咽が聞こえたのできっとみんな泣いていたはずだ。
 やがて食い込んでいた指が力なく重力に従って床に落ちていくと、いよいよサボは声をあげて泣いてしまった。この瞬間をが見ていなくて、気を失っていてよかったと心の底から思った。
 客人たちはすでに避難を済ませており、城内にいた王族も招待客も全員無事だった。しかし城下のほうで起きた暴動には死傷者も多かったそうだ。その中にはもちろん仲間も含まれる。
 こうしてアレスたちによるクーデターは未遂に終わり、事件は幕を閉じた。
 しかし、本当につらいのはここからだった。気を失っていたが目を覚ましたのは革命軍の拠点に帰還してから二日後のことだったが、彼女は事件のことを何ひとつ覚えていなかったのである。アンバー王国のことも、クーデターのことも、父親が守ってくれたことさえ。
 シンたちは本当のことを告げるべきか迷ったが、サボはそれを頑なに拒んだ。母親のことで心を閉ざしていたがせっかく笑うようになったというのに、今度は父親が自分をかばって亡くなったなんてそんなの聞かせられるわけがない。九歳のがそんな事実を知ったら、もう二度とサボに笑いかけてくれないかもしれない。利己的な考えだと罵られてもいい。サボは、ウォルトと約束したのだ。が笑っていられる未来を選択するのは必然のことだった。


*


「おれは間違ってたのか……?」

 揺れるヴィント・グランマ号の甲板で、サボは物思いに耽っていた。薄明の空を見上げながら、そういえば事件後にが目覚めたのもこんなふうに綺麗な朝焼けが見えていたと思い出す。まさか記憶を失っているとは思わなかったが。
 彼女の中でウォルトは別の案件で殉職したことになっている。あのとき、サボが譲らなかったせいでシンが箝口令を敷いてくれた。必死なサボの思いを汲んでくれたのかもしれないし、子どもの我儘に仕方なく付き合ってくれたのかもしれない。ウォルトの言葉はシンにも聞こえていただろうから、それを汲んだ可能性もある。ともかく、はこの十年間事実を知らないまま生きてきたのだ。
 そして、彼女が関わる案件についてすべて把握しては危ない目に合わないよう裏で手を回すことになった。同等だったはずの立場もいつしか上下関係ができて冷たい態度をとることもあったし、厳しいことを言って悲しい顔をさせたこともあった。妙な溝ができた、と思う。全部のため、なんてそんなのは建前であってサボが安心したいだけだ。ウォルトとの約束を守るための。

「……それでこんな事態を招いてるんだから世話ねェよな」
「また考え事? 懲りないなあ」
「…………なんだコアラか」
「なんだじゃないよ。エリスちゃんが朝食だって呼びかけてくれてるのにも気づいてないし」

 と、コアラの横で申し訳なさそうにしているエリスが立っていた。朝食ってまだ早すぎじゃないのか? 正確な時間はわからなかったが、空の色から察するに午前六時を回ったぐらいだろう。

「だから、朝にはアンバーに着くから早めに食事をってことだったでしょう」

 先手を打つようにコアラがサボの疑問に答えた。口に出した覚えはないんだが……。呆れつつ、エリスに謝って食堂に向かうことにした。
 自分の態度がどこか変だったのか、苦々しい顔をしていたエリスがぼそりと呟いた。

は大丈夫だと思いますよ」
「え……ああ、うん。そうだな」

 何に対して大丈夫なのか深く考えもせず情けない返事をした自分に彼女がどう受け取ったのかはわからなかったが、それ以上何も言ってこないのでサボは今度こそ船内へ入っていった。
 アンバー王国到着まであと数時間。