今はまだ、秘密のまま(1)

 いよいよ明日にはアンバーの海域に入ることがベポからの報告でわかった。ここまで来たらもう戻ることはできないし、もとより戻るつもりもない。ドフラミンゴを倒すためにも必ず有益な情報を掴んでやる。
 ベッドに腰かけていたローは、意気込んでふっと力を抜き、そのまま上半身を預けた。視界いっぱいの天井を見ながら、昨日の夜を思い出す。
 眠れなくて甲板に出てきたに自分の過去を話したこと。アンバー王国にこだわるのはなぜかという問いに対して、正確には「アンバー王国を重要視」しているのではなく「裏で糸を引いている人物」に用があるということも含めて。まあ勘のいい彼女は、自分が話すより早くこのクーデター計画の黒幕がドフラミンゴではないかという結論にたどり着いたようだったが。
 話し終えたとき、彼女の頬には涙が伝っていた。誤魔化そうとして泣いてないなんて言っていたが、すぐにバレる嘘をつくのが好きなのか強情なのか。仕舞いには放っておけというから面倒くさい奴だと思う。勝手に同情して、勝手に泣いて。周りの面倒くさい女と変わらない。違うとすれば、向こうから言い寄ってこないことだったが、状況も状況なだけにそれは自然な成り行きである。行きずりの関係であって、立場もまったく異なることからこの先道が交わることなどないだろう。だから、気にする必要もない。
 にもかかわらず、心に巣食うこの気持ちは一体どう説明したらいいのだろうか。はじめからどこか危うさを抱えた女であり、見ていて不安に駆られるときがあった。不覚にも彼女の上司の心情がわかってしまうほどには、踏み込んでいる気がした。やめておけ、お前とは関わりのない奴だと別の誰かが警告するのを無視して、今まで誰にも話したことがない過去まで吐露してしまった。
 彼女もまた、直接的ではないがドフラミンゴによって大切な存在を奪われたからだろうか。そこに同情的な何かを抱いてもお互いの傷を舐め合うだけになりそうだ。加えて彼女はドフラミンゴに対して牙を向くほど関りがないから、分かり合うとはまた違う気がした。

「どうしたいんだろうな……」

 目的はドフラミンゴただ一人のはずで、それを達成すれば本当の意味で自由になれる。思い残すことはない。そう疑わずにこの十三年間生きてきた。命を賭してくれたあの人に報いるために。
 だが今、自身の中に新しく芽生えた気持ちを整理しきれないでいた。名前を付けるのも億劫だったし、この歳で何をいちいち気にしてるのかそれさえも馬鹿馬鹿しいと思う。それ以上踏み込んではいけないとわかっているがゆえに、余計な感情が次から次へと渦を巻いてそれがまた自分の首を絞めている。
 認めたほうが楽なのだろうが、いろいろとプライドが許さないのもまた事実であるので一度頭の片隅に追いやることにするほうがいい。

「今はそんなことよりやることがある」

 そうだ、今は女に現を抜かしている余裕などない。降ってきた幸運を、目的を遂げるチャンスに変えなければならないのだから。
 言い聞かせて、ローは船長室を出ると作戦の最終確認を行うためにたちを呼び寄せた。


「到着後はまず町の様子をうかがう。行ったことねェ場所だ、下手に動いて目をつけられても困る」

 海図室に、ベポ、ペンギン、シャチを集めたローはアンバー王国の地図を広げて今後の予定を伝えた。二日前にも同じことを言ったが、前回と違うのはローの心境である。

「……というのは前回までに話した内容だが、今回新たに決めたことがある」
「キャプテン……?」不思議そうにベポが首を傾げた。
「お前らとは別行動を取ることにした」

 瞬間、周りが一斉に衝撃に満ちた顔で自分を見た。ある程度予想はしていたから問題ない。は意味を図りかねているようだったが、今の発言における"お前ら"の中に彼女は含まれない。なぜなら彼女は仲間ではないからだ。
 当然のようにベポたちは混乱していた。それもそうだ、本来であれば共にアンバーへ上陸予定であったし、自身の目的がどうであれを革命軍に引き渡すことが便宜上の理由になっている。そもそもアンバーは見向きもしなかった場所であるため、予定外の進路であることに変わりはなく、当初からこの計画に仲間を巻き込むつもりはなかったローにとってそれが少し早くなっただけである。
 かといって己の事情を打ち明けるつもりはなかった。彼らには関係のないことだったし、付き合わせることももとよりない。七武海に加盟した時点ですでに計画は始まっているのだ。仲間と離れるなら逆に今しかないだろう。

「おれにはやるべきことがある。そのために少々寄り道をすることになった、それがアンバー王国だ」
「ちょっと待ってくださいよ、なんですか藪から棒に」
「藪から棒じゃねェ、前々から決めてたことだ。お前らには悪いが、先にゾウへ向かってくれ」
「え、私は関係ないですよね……?」

 やはり半信半疑であるが確認のために聞いてくる。さっきからローとベポたちを交互に見やっては動揺を隠せない感じで、どうすればいいのか戸惑っているようだった。

「お前は革命軍と合流するんだろうが」
「ですよね」
「……けど、なんでおれたちと別行動なの?」前々から決めていたとは言ったものの、そう簡単には納得していないらしいベポが先ほどと同じく不思議そうに口を開いた。この先パンクハザード、ドレスローザと向かう場所は奴に近づいていくわけだが、アンバーはたまたま掴んだ情報であってそれが吉と出るか凶と出るかは現時点では不明だ。しかしそうした内情は話せないので、ローは同じ言葉を繰り返すしかない。

「さっきも言ったが、おれにはやるべきことがある。これはケジメだ、おれがこの先も海賊として生きていくためのな。だがこれはおれ個人の問題であってお前らには関係ない。何も聞かずに従ってくれ」

 突き放す言い方になったが、仲間を信頼しているからこその言葉だと察してもらいたい。多くを語るタイプでもなければ、語るつもりもないのだから。スワロー島からの付き合いであるベポ、ペンギン、シャチならばあるいは――と、これは自身の願望かもしれない。
 誰も口を開かないままどのくらい経ったのだろうか、シャチから「仕方ないなァ」と呆れたようなそれでいて納得したようなどちらとも言えない呟きが海図室に響いた。

「もう決めたことなんですよねキャプテン」
「ああ、悪いな」
「ていうか、そんなふうに言われたらおれたち強く出れないのわかってるでしょ」

 悪いとは思っているのでそう伝えたら、開き直ったように抗議してきた。ペンギンも同調して圧をかけてくるが、一人が二人になったところであまり迫力は変わらない。
 付き合いが長いからこそ気安く意見を主張できるのがこいつらの強みだ。かといって船長である自分の意見を尊重しないわけではなく、譲るべき場所をきちんと理解している。押すところと引くところをわきまえているとでもいうのか、だからこそこの中でローが船長としてやっていける理由のひとつであるかもしれなかった。

「なんだかいいですね。信頼し合っているというか、絆の強さを感じました」
「おっ、わかるか新入り! そうなんだ、おれたちキャプテンには絶大な信頼を抱いてる」
「新入りではないんですが……今のやり取りを見ていればわかりますよ」
「……やめろお前ら、気色悪い」

 一連のやり取りを聞いていたが突然変な方向に話を持っていったせいで、ペンギンたちが盛り上がりだしたので制する。絆の強さだとか絶大な信頼とかやめろ。そういうのは口に出すもんじゃねェ。
 だらしない表情を作って締まりなく笑う仲間に半ば呆れた視線を投げて、ローはもう一度言葉を繰り返した。

「明日アンバーに到着次第、おれとのみ上陸する」

 改めて決意を胸に力強く四人に――ベポはミンク族だが、伝えた。
 革命軍からは上陸させるなと言われていたが、あいつらが来るまでの間どこかに身を潜めていれば問題ないだろう。一瞬、彼女の事情が脳裏をよぎり不安に駆られた。彼女もまた、あの国を訪れることで運命が大きく変わるのかもしれない。
 それが吉と出るか凶と出るか。ローと同じように不確かなまま、船は刻々とアンバーへ近づいていく。