今はまだ、秘密のまま(2)

 おそらくポーラータング号での最後の夜になるだろう、は緊張と不安がないまぜになった状態で海風にあたっていた。先ほどまで夕食だといって騒がしかった甲板にはもう誰の姿もない。食堂があるにもかかわらずわざわざ出てきて酒を酌み交わす姿は、海賊らしいといえばらしい。異分子である自分にも分け隔てなく接してくれた彼らはただの陽気な集団だった。ベポたち以外には難破したただの一般人だと思われているからかもしれない。その様子をローは少し離れた場所から俯瞰するように見ていた。呆れているような、でも仕方のない奴らだと笑っているような。
 船長から一時離脱することを聞かされた彼らは、しかし冷静に事を受け止めていた。騒がしかった場が急に音をなくし、顔つきが真剣そのものになっていく様はなんだかまるで役に入った演者のようでおかしかった。トラファルガー・ローがいかに信頼されているかがうかがえる。彼は気色悪いなんて嫌がっていたが、きっと満更でもないのだろう。本当に嫌だったら船長なんて大変な立場を務めていないはずだ。
 すっかり片付いたそこで一人佇みながら、明日からのことで頭がいっぱいになる。自分が掴んだ情報が思わぬ形で大事になっている気がして恐怖を覚える。何か得体のしれないものに捕まってしまったかのような、そんな恐ろしさが。

「……ううん」

 そこで思考を無理やり打ち切って考えるのをやめる。そもそも自分が上司の言葉を無視した結果でこうなったのだ、今更がどうこう言う資格はない。首を横に振って別のことに思考を改めた。
 サボたちに会うのも何日ぶりになるだろう。こんなに離れたことは今までなかったが、思ったより寂しさを感じなかったのはきっとローたちのおかげ……に加えてすぐに仲間へ連絡が取れたからだ。サボの声を聞いた瞬間、安心感で満たされたのは気のせいではない。怒っていないと言われてどれほど救われたのか、自分の意地で指示を無視してしまったにもかかわらず優しい言葉をかけてくれた上司には本当に頭が上がらない。

「会ったら、ちゃんと謝ろう」
「またここにいたのか」

 昨夜と同じように突然声をかけられて振り向いたは酒瓶を片手に現れたローに目を丸くした。寝酒だろうか、あまり良いことには思えなかったがにはわからない大人の嗜みがあるのかもしれない。心なしか表情が柔らかく見えるのはアルコールの効果と思われた。お世辞にも人相がいいとは言い難いので、少しだけ話しやすくなった気がする――いや、過去を話してくれた時点で彼は少し心を開いてくれたのだと思うが。
 隣までやってきたローは縁に酒瓶を置くと、「眠れねェのか?」と静かに問うてきた。

「そうですね、まあそんな感じです」

 答えてからは気づかれないようにそっと視線を隣の男に向けた。
 ドフラミンゴとの過去は、ベポたちは知らないのだという。だから自分だけが別行動をとって過去とケジメをつけるだなんて結論に至ったのだ。もとからそのつもりだったというから、きっともう昔から決心していたのだろう。
 確かに一緒に背負ってくれというタイプではないし、秘密を共有して何かあったら自分と心中してほしいというタイプでもない。医者とは言っても慈善団体ではない、海賊という無慈悲な集団であり好戦的で束縛を嫌う。まあ無意味な殺生はしないだろうが。
 ともかく十三年間、その恩人の想いを遂げるために生きてきたというから難儀な生き方だと思う。きっと呪縛なんだろうなと考えて、ははっとした。もしかして同情しているのだろうか……。
 過去を聞いてしまったがゆえに"死の外科医"という異名がどうもしっくりこないが、海賊の心臓百人分を海軍への手土産に王下七武海に入ったという話を噂で聞いたのでどちらも「彼」なのだろう。人は誰にでも多面的な部分があるものだ。その人の一部分を見ただけではわからない。だからこそ、一度知ってしまうと興味がわくのかもしれなかった。

「人の顔をジロジロ見るな」
「あ、すみません……海賊は海賊でいろいろ大変そうだなって思って――」言ってから、自分で何を言ってるのだと後悔した。この人に向かって大変そうだなんてどの口が言えるのか。ちょっと知ったくらいでいい気になるな、そう言われるのを覚悟していた。しかし、彼から飛び出した言葉はの予想をはるかに超えるものだった。

「なら、一緒に来てみるか?」
「えっ」

 驚きのあまり、だいぶ濁った音が自分の中からこぼれた。本気なのか冗談なのかわからない言い方で、ローは怪しげに笑ったかと思うとすぐに笑みを引っ込めた。酒のせいなのか、獰猛な目をしていて近寄りがたい雰囲気さえ漂っている。
 (どうしよう、今まで以上にこの人のことがわからない……)
 しかしローは焦るを無視してなぜかこちらに腕を伸ばしてきたので、反射的に仰け反ってかわした。

「――っ!」

 声にならない空気のようなものが漏れた。おまけに仰け反ったせいで後ろにあった何かに背中をぶつけてしまう。「いたっ」「何やってんだ……」呆れているローに、それはこっちが聞きたいという言葉を飲み込んでは「さっきのどういう意味ですか」ぶつけた背中をさすりながら彼の言葉の真意を探ろうとした。
 らしくないと言えばらしくないのだが、一瞬だけ寂しそうに見えてしまったのは気のせいだろうか。

「……いや、何でもねェ。忘れろ」

 中途半端に伸ばされたままの腕が、緩慢な動きでの頭上に降りかかった。忘れろなんて言う割に随分優しく撫でていくんだなと、まるでいつしかのサボを彷彿させるような――そうだ、兄のように優しく接してくれた頃のサボを思い出して、泣き出したくなるのを必死に堪えながら去っていく背中を見つめた。
 弱い力でかすめたその手の感触がいつまでも残っているような気がして、はそこに自分の手を重ねると「なんだったの……」ずるずるその場に座り込んだ。