彷徨う心

 革命軍の船は順調にアンバーへの針路をたどっていた。先日が嵐に巻き込まれたというのがまるで嘘だったかのように晴天続きで、逆に拍子抜けするほどである。今更この海の天候を嘆くつもりはないが、無慈悲なことをするものだと恨みがましく思う。の性格をわかっていながら暴言を吐いて突き放したせいでこのような結果を生んだ自分を棚に上げての発言だ。
 サボが革命軍に来る前の記憶を取り戻したことは頂上戦争が終わってからのことだが、自分に兄弟がいたことにはあまり驚かなかった。母国の記憶が一切なくても、に対して本物の妹のように接することができたのはきっとエースやルフィとの日々のおかげだろう。世話のかかるルフィに、喧嘩腰のエース。二人の存在がサボの心になんとなく残っていたのかもしれない。だからを守らないといけない使命感のようなものが自然と生まれた、とサボは思っていた。
 朝食を済ませてそんなことをぼんやり考えていると、控えめなノックの音が耳をかすめた。入室の許可を出して、入ってきたのはエリスだった。革命軍に来たのは九年前とより数年あとだが、同僚の関係を築いていることもあって何かと気にしてくれている。

「サボさん。コアラさんから、間もなく到着なので上陸準備をとのことです」
「わかった。ありがとう」
「いえ……」

 伝言のほかに何か言いたそうな様子でちらちらこちらをうかがってくる彼女に「まだなにかあるのか?」と先を促してみる。思えばエリスは自己主張が少なく、のようにじゃじゃ馬な性格をしていないせいかサボもいまいち距離を図りかねていた。逆に従順すぎるのだ。とはいえ、のような人間が二人もいたら困るっちゃ困るが。

のことで……」

 ぽつりと消え入りそうな声で呟くと、そのまま俯いて黙ってしまった。
 同僚のことが気がかりなのだろう、サボがを心配するように彼女もまたを案じているのだと悟る。エリスはの過去まで知らないが、上司の風当たりが強いことに不満だと愚痴をこぼしているらしいのでなんとなく察するものがあるのかもしれない。
 身内のくだらない喧嘩に巻き込んでいるようで羞恥心を覚えたサボは、それを隠すように笑ってみせた。

「あいつなら大丈夫だよ。無理はさせねェから」
「それは、わかってます。ただ――」
「……?」
「サボさんはどうしてを、任務から頑なに避けようとするのか気になって……」

 どうやら彼女が聞きたいのはの身を案じてのことではなかったらしい。なるほど、ここ最近のへの態度を不審に思っているわけか。
 正確に言えば任務自体を避けているわけではない。だって革命軍の一員だし、サボの部下だ。必要とあらば当然世界各地を回ることになる。ただ、が関わるべきかどうかはで決めているというだけだ。これが周りからすると結構異常に見えるというから心外である。コアラに言われてもあまりピンとこなかったが、ようやくそれが妹に対する態度から激しく逸脱しているのかもしれないと気づき始めている。事情はどうであれ、過保護の領域だと。その理由がどこから来るものなのか、気づきたくなくて知らないふりを続けていることも。
 にどう思われようが関係ないと振り切ったものの、傷ついたような目を向けられるとこちらも悪いことをしている気分になる。のためっていうのは名目だけで、本当は自分が安心したいだけなのかもしれない。だがサボにも譲れないものがあるし、ウォルトとの約束もある。今は、その名目に頼るほかないのだ。

「なんでだろうな。兄として、と言いたいところだが、実はおれにもよくわかってねェんだ」
「……」
「幻滅したか?」
「そ、そんなことはない、ですけど……」
「はは。あんまし納得してねェって顔だなァ」

 しっかり「納得いかない」という顔をしていて、この辺りはと変わらない年相応な彼女の一面だろうと思う。どちらもサボの大事な部下であることに変わりない。が戻ってきたらまた仲良くしてやってほしいことを伝えると、小さく頷いたエリスは「先に行ってます」といってこの場を後にした。


*


 サボたち革命軍がアンバーに上陸したとき、入り江には海賊船らしき船がなかったのでまだ到着していないのかと思えば入り江の先の森から二つの影が現れた。と――トラファルガー・ローだった。しかし、ハートの海賊団の船が見当たらないし、ほかの仲間も近くに気配がないのが気になった。
 ひとまずこちらの船を見つかりにくい場所へ移動させ、サボはコアラたちを連れてのもとに駆け寄っていく。久しぶりに見たその姿にひどく安心感を覚え、本当に生きていたことに心から安堵した。電伝虫越しではわからなかった表情もしっかりこの目に映っている。
 へ伸ばした腕は、しかし後ろから追い抜いていったコアラによって阻止された上に、

!」
「わっ、コアラちゃん!」

 先を越されてしまい、自分の右手は虚しくその場で静止した。上司の面目を一切気にしないどころか、自分が一番心配していたと言わんばかりに熱い抱擁を交わしている。いや、コアラには何度も世話をかけたしその役は譲ってもいいんだが。完全に声をかけるタイミングを見失ったサボは抱き合うとコアラ、そして加わったエリスの少し後ろで所在無げにするしかなかった。
 満足して体を離したコアラがに何かを耳打ちすると、視線がこちらに向けられたので思わずぎょっとする。どうやらやっと自分の存在が認められたらしい。

「総長……」

 久しぶりに呼ばれたその音の響きがとても尊いもののような気がして、サボは頭を抱えたくなった。なんて答えたらいいのか、情けないことに言葉に詰まっていた。
 元気だったか。生きててよかった。もう勝手なことするな。どれも伝えたい言葉だったはずだが、彼女の姿を目の前にしてサボの口は先ほどから閉ざしたまま何も紡がない。のほうは気にした様子もなく、ゆっくりこちらに近づいてきたかと思うと、いきなり頭を下げて体を折り曲げてきた。

「すみませんでした!」
「……いや、もうそのことはいいよ」
「よくないです」
「迷惑をかけたから、ちゃんと謝りたいんだって」

 コアラがの心情を説明してくれると、もう一度はサボに向かって深く頭を下げた。
 上司と部下であるとはいえ、こんなふうに素直な態度でこられると逆にどうすればいいのか対応に困る。に対して叱ったことはあったが、大体が言い返してくるので口論になることが多いのである。
 今回のことに関して、果たしてどちらが悪かったのだろう。指示を無視して勝手な行動したか、それとも思ってもない煽るような発言をしたサボか。比べるのもガキみたいだなと自嘲する。

「おれも言い過ぎたよ。だからもういい」
「はいっ……」
「……取り込み中悪いが、お前らはこれからどうするつもりなんだ」

 サボたちのやり取りをじっと眺めていた男――トラファルガー・ローが、話が一区切りついたタイミングで声をかけてきた。
 噂に違わず冷酷無比な印象を受ける目をしていた。が無礼を働いて殺そうとしたところを、素性を明かした途端態度が一変して、ここに来ることを条件には死なずに済んだらしいが。
 あの通信でわかったことはどうやら十年前のアンバークーデター未遂事件のことを、奴も少なからず知っているということだ。まあ当時新聞沙汰になったし、当事者でなくとも耳にした人間がいてもおかしくない。城下のほうで死傷者が大勢いたし、ウォルトの名前が新聞に載ったことから彼の死を知っているのも頷ける。がその娘だということも、名前を聞いたのならすぐに結びついただろう。
 ――だが、お前に何の関係がある……?
 いまいち状況が掴めないことに苛立ちを覚えながら、サボはローと向かい合って口を開いた。

「おれんとこの部下が世話になった。礼を言う。だが、お前たちにこの国に居座る理由があるのか? 仲間の姿が見当たらないのも気になる」
「仲間は先に別の場所へ向かっている。ここへ来たのは完全な私用だからだ」
「……私用?」
「ああ。お前らが追ってるこの案件は、裏で糸を引いてる人間がいる。それが闇のブローカーともいわれる七武海の一人、ドフラミンゴだ。おれはそいつに用がある」
「……ドフラミンゴと因縁でもあるのか?」
「まあな。あいつの弱みを握れる可能性があると踏んでここへ来た」

 その言い方から余程何か特別な事情があることは察せられたが、詳しく話す気はないらしくそれ以上は口を閉ざしてこちらの出方を見ているようだった。仲間がいないということは一人で行動するつもりなのだろう、しかしサボとしては勝手にウロウロして目立つことをされては困る。共に、とはいかずともこちらの動きを把握してもらう必要はありそうだ。

「お前の事情は了解した。ただ、アンバーは現在内戦状態で危険な場所だ。おれたちは町の様子をうかがいながら話を聞こうと思ってるが……お前に目立つことをされると部外者は警戒されやすくなる。だから――」


*


 ある程度予想はしていたものの、思ったより町が荒んでいることには驚きを隠せなかった。店や宿泊施設などは一応営業しているようだが、店員の強張った表情から何かを恐れていることは明らかでそれは聞かずともわかることだった。
 クーデターは国外の犯罪集団が計画していると聞いている。つまり本来であれば、国民はまったく知らないはずで平和に暮らしていてもおかしくないのだ。にもかかわらず、内戦が起こっているのは一体どういうことなんだろう。
 前を歩くサボが辺りを見回しながら様子をうかがっている。正体を隠すためにマントで全体を覆っているが、これが意外と隠れ蓑になるのだという。旅人がよくする格好だと言われて、確かに父も似たようなマントを羽織っていたのを思い出す。小さいながらも放浪癖のある父だったことは記憶しているのだ。
 サボの提案で、二組にわかれて調査をすることになった。その組み合わせではサボと、コアラはエリスと組むことになったのである。ローは単独で行動する代わりに、連絡が取れるようにしておけというサボからの条件をのんで一人別で動くことになった。ちなみにいつも一緒のハックがいないことに気づいて尋ねたところ、どうやらここへ来る前急きょ別件が入り、応援として彼がついていくことになったのだという。そちらが片づき次第合流するとは言ったものの、各地で任務にあたっているメンバーは大勢いるし、なかなか難しいかもしれない。
 こうして結果的に調査へ同行する形になったわけだが、サボはどう思ってるんだろう。もういいとは言われたものの、不本意だろうなということはわかっていた。足手まといという言葉を思い出して、ちくりと胸が痛む。
 いや……首を振って考え直す。少しでも彼の役に立てるように頑張るんだ。

「おい
「あ、はい」
「この店で話を聞いてみよう」

 くるりと振り返ったサボは、右手に見える建物を指さして中へ入っていこうとする。見上げた看板には地元料理のイラストとともに、店名が古風な字体で書かれていた。
 先を行く上司の背中を追うようにも店の扉をくぐる。いよいよアンバーでの調査が始まった。